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two o one two

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つまらない

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02/17/2021









昨日から(1日遅れで)週5日登校が始まった。
生徒がうじゃうじゃ。
でもうちのHigh Schoolはdistrict内でin-personを選んだ率が最も低かったらしい。エリア的になんとなく納得。生徒の親には大学関係の医師や教授などが多い。それでもハイブリッド時に比べると当然ながら生徒数は多くなった。マネージャーは朝からハイテンション。嬉しいのだと思う。あんなにコロナ感染を怖がってたのに、馴れって凄い。


友人がとうとう今週末にワクチン接種の順番が来たと言っててびっくり。彼女はわたしよりも歳下。もちろん健康。
ワクチン接種のお知らせメールを見逃したか?と、ゴミ箱まで探したがやはりない。
でも、接種希望のアンケートの最後の項目で、「優先的に行うべき人の後で良い」と答えたことを思い出した。健康問題がある人や家族に健康問題があって優先的に接種したいと思う人や、そういう人達をお先にどうぞ、わたしはいつでも良いです、というやつ。
まぁいいけど、、、、夏までに2回目の接種が終われば良いが、、、と今になってちょっと後悔。


無料の星読み講座というのを受けている。確か去年の11月とかに申し込んで、今年の1月から始まった。無料だから〜という気持ちで始めたのだけど、、、なんかちょっと違うような気がし始めた。いや、無料は無料。多分ずっと無料だと思う。というか、もし途中で、ここから先は有料ですよ、となったらそこで終わり。有料版に申し込むことはないだろう(それまでに洗脳されてしまったりして?という気持ちも最初はあったけど、そういう感じでもなさそうだ)

違うというのは期待してたのと違う、ということかも。何かを期待してたつもりもないけど、だんだん、聞いても(メールと動画)しっくり来ない。最初の3回目くらいまではおー面白い。かも。と思ったけど、、、だんだんだんだん、なんだろか、、あ、わかった。つまらない。これだ。つまらないのだ。

でも、とりあえず今回の講座は最後まで受けてみるかな、とも思う。今は「だれ」ているだけなのかもしれない。気に入らない部分は捨ておいて、とりあえず続けるかな。



空港の夢をまた見た。

姉3が2日間だけこちらへ来ることになってて、わたしと入れ違い。
空港でちょっとだけ会う。何かのセミナーに参加するらしい。相変わらず怪しい。たったの2日間のためにわざわざ、、、と思う。

姉とロッカールームのようなところで落ち合うことになっていた。
ロッカーを開けるとどのロッカーも何かが入っている。使用中?鍵はかかっていないけど、、、と思いながら開けては閉め開けては閉めを繰り返しながら空いてるところを探していると、若い女性からキツイ口調で注意された。注意というより叱咤された。その女性はややふくよかな体型で、髪の毛は金髪と栗色とのメッシュのような感じ、ところどころにビーズを付けて編んでいる。メイクが濃い。
鍵が開いてて・・でも使うつもりはない、と伝えると、言い訳するなという顔をしている。怖。

と、姉が「mー!」と声をかけて来た。こっちこっち。
彼女に軽く会釈をして、姉のところへ行く。何持って来た?とか言いながらお互いの荷物を見せ合っていると、その彼女が近づいてきて、ブローチのようなものを見せた。「これ、あなたに」と言う。え?売り物?それともくれるの???なんなんだ、と思って困っていると、こっちのほうがいいかも、と、また違うアクセサリーを見せる。それはイヤリングだったが、サイズがデカいのとデザイン的にどうもわたしには、、、という感じ。あなたに持ってて欲しいのよ、あなたのために、とか言う。何?なんで?と、ビビる。姉が「もらっとけばいいじゃん」と軽い口調で言う。何か意味があるんだよきっと。
ふと、彼女が持っていたアクセサリーの中に、テディベアの型の大きなイヤリングを見つけ、「これがいいかな。。。」と言った。自分に、ではなく、姪っ子のるぅちゃんにあげようかなと思ったのだ。

そこへ、わたしの乗る便の最終案内が流れた。おー急がねば!!
姉は、係員と話をしてこのロッカーを共同で使えるのだと早口で説明し始めた。10円出してロッカー番号を言えば、係りの人が開けてくれるからね。25番、いや、75番。どっち?75番!!だから鍵は要らんから〜。10円も返してくれるからねーじゃーね〜!!!


25、いや75、75、と呟きながら、わたしは急いで搭乗口へ向かった。でも10円あったっけ?10円玉は持ってなかったような気がする、、、こっちに戻るときに10円忘れないようにしなくちゃ、、と思う。


大勢の人と一緒にモノレールのような列車に乗り込んだ。中は、ロマンスカーの展望車両のようになっている。座るところがない。なんとなく心許無くなって、持ってきたバッグを胸の前でぎゅっと握った。

男の人から「一緒に座る?君のサイズなら入るでしょ」と声をかけられた。揺れるたびに身体を支えるのに苦労していたので、座ったほうが楽かな・・と思ったけれど、やんわりと断った。彼は、そう、と言って、それ以上は何も言わなかった。

「そろそろ到着します」というアナウンスが流れ、降りる準備をする。他の人々も皆、荷物を揃えたりしていた。降車口から人の流れにのって順番に行くと、降りたところからゴンドラのようなものに乗る仕組みになっていた。そんなつもりじゃなかったので、慌てる。でも人々はためらうことなく、スーッスーッとゴンドラ(?)に乗る。一人1台。安全ベルトのようなものが付いている。

わたしの番になって、リズムを狂わせないようにと思いながらゴンドラに飛び乗った。バッグひとつだけにしてて良かった〜とホッとする。が、シートベルトの締め方がわからない。これ、どんな風にするの???周りを見ようとするが、皆、順々に乱れることなく動いていて良く見えない。そうこうしているうちにもわたしのゴンドラは既に動き始めている。しょうがないので、ベルトを無造作に掴んでバッグとともにぎゅーっと握った。

ゴンドラは、大きな構内を結構な速さで進んで行った。足は宙ぶらりんでゆらゆらと揺れる。なんか、怖くない???これ大丈夫なの?周囲を見ると、かなり奥の方まで続いているし、高さもある。でも大勢の人がそれぞれゴンドラに乗って進んでいるので、まぁそういうシステムなんだろうと思う。それにしてもこんな広いんだ、と、驚く。空調が効いていて、寒くも暑くもない。ふと、ずっと前に乗ったスペースマウンテンみたいだな、と思った。そして、まさかジェットコースターみたいに曲がったり回転したりはしないよね、、、と思いながら、もう一度、ぎゅーっとベルトを握りしめた。


到着した場所は、搭乗前の待合室だった。
係の人が、オーバーブッキングのため、臨時便を手配しています。もうしばらくこちらで待っていただきます、とアナウンスしている。
え?乗れないの???と、不安になる。他の人たちも、ざわざわし出した。なんだよ、どうなってるんだよ。


列車で出会った男性が、Hi!と手を振って近付いてきた。さっきはごめん、一緒に座れたけど、リチャードが急かすから、と言う。意味が良くわからなかったが、座席に座っていれば便に乗り遅れることはなかったらしい。そして、どうやらリチャードはその便に乗れたようだ。なんでこの人は乗らなかったんだろう?と思ったが、聞かなかった。それよりも一体どれくらい遅れるのか?何時間もかかるのか???

「お客さまのお荷物は全てこちらで手配済みです。次の便までもうしばらくお待ちください。」
というアナウンスが流れる。

あぁーあ、ついてないな・・・とがっかりしていると、先の男性がにこやかに言った。
「大丈夫、待ってる間も退屈させないようなイベントを準備してくれてる筈。このエアラインカンパニーは凄いんだ。さっきのジェットコースターもどきも楽しかっただろ?次な何かな?なんだと思う?もっと凄いよきっと!」

えええええええ、どーでもいいけど、、、と、思う。
そして、さっきゴンドラに乗った時点でもう遅れるグループになってたのか、、、と思う。
必死でベルトを掴んでいた自分を思い出し、なんだか悲しくなった。

あーあ、何時間遅れるんだろう、、、、そればかり考えている。












#ユメモ #日記

ワオ!と言っているユーザー

料亭の海鮮サラダ

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02/15/2021








父が夢に出て来た。
これはすごいことだ。初めてではないかもしれないけれど、もし前にもあったとしたら40年いや45年以上は経ってるかも。

父はわたしが6歳の頃、他界した。正直、父と話した記憶すらない。
思い出の父は兄や姉たちが語る父であり、わたしの中の父は病床で横たわっている。でもそれも後から付けられた記憶なのかもしれない。
父は脳腫瘍だった。母は一向に良くならない父を連れ、最終的には東京の病院まで行ったが診断を受けたときには既に手遅れだった。

最期は島の病院で亡くなった。

夜のまだ明けない頃、長兄に起こされたわたしたちは父の入院先へ向かった。
海岸線、兄の車の窓から、黒い波しぶきをずっと見ていたのを覚えている。モノクロの世界。
幼かったわたしと弟は、病院の地下、あれはどこへ向かう扉だったのだろう、もしかしたら霊安室だったのか?そのホールで待たされた。大きな丸いタイル張りの柱がいくつもあって、かくれんぼをしたり鬼ごっこをしたりした。
それから、父の病室へ連れて行ってもらったと思うのだが、記憶は朧げでほとんど覚えていない。

次の記憶は、父がオモテに横たわっているところ。
母は泣いていた。兄たちが母の少し後方に順番に正座していて、弟は次兄の膝の上にいた。兄たちも泣いていたので、わたしは怖ろしく心細くなって、弟みたいに誰かに抱っこしてもらいたいなと思った。
それが父の最後の記憶。



 ・・・

家にいる。どこか忙しない。母が少しピリピリしている。どうやら「寄り合い」があるらしい。酒や料理の準備が必要だ。

とにかく何か準備をしなくては、、と、あるもので拵える。町の料亭から海鮮サラダが届いた。母が頼んだのか?ハイカラだな・・と意外に思う。
兄2が焼酎を運んでいる。
プラスティックのケースに入った筆のようなハケのようなものをわたしに見せ、「これは料理用だけど使うなよ、あれのものだから」と言う。あれというのは兄4のことだったので、「いやー使われんわーあれのだれば〜」とわざと大袈裟に答えると、兄は振り向いて「その通り!」と意味深な顔をしながら大きく笑った。

食器を運ぶと、場所が変更になっていた。いつものオモテではなく、隣の離れを使うのだと言う。
そこへ行くと、既にハルカうじやらシズカおばやら、他にもわたしの幼馴染(ワタル?と、ひとつ下の誰か)もいた。他にもよく知っているおじさんおばさんたちがいて、食卓は大賑わい。誰がどの席とか関係なく、それぞれ思いのままに飲んだり食べたりしている。

父がその中にいた。穏やかに笑っていた。
母は食事をすすめたり焼酎やビールをすすめたり、それから友人のおばさんたちと大声で笑いあったりして、とても楽しそうだった。
母は集まりが大好きな人なのだ。

喧騒。

あぁそうだ、と不意に思い出し、iPadを取りに母屋へ戻った。
そこに幼馴染が2人(一人はヨシヤ?もう一人は同級ではない年下の誰か)いて、「mーヤァに電話が通じらん、っちどー」と言われる。電話番号はもらえないんだよ、と心の中で思ったが、面倒だったので無視していると、もう一人が「アメリカの電話だから電話番号が違うっち」とか言っている。なんだ知ってるんかい、と思う。部屋の隅に置き去りにしていたiPadを手に取ると、スクリーンにはメッセージも何も表示されていなかった。

離れに戻ると、宴はいよいよ賑やかである。
父の姿はない。
と、父は、布団に寝転がっていた。眠ってはいない。わたしを見て、にこりと笑った。
離れはLの形になっていて、宴会場所から折れたところで休めるようになっていた。今、まさに母はそのための布団をいくつか敷いていた。

なに、ユックライはここで眠るのか、、、、と驚く。と同時に、まぁ合理的だな、とも思う。
母は忙しそうに布団を準備している。シズカおばが大笑いしながら手伝っている。既に出来上がった連中もいて、すぐにでも必要な感じだ。

わたしは父のそばへ行った。父は何も言わずに笑いながら皆のことを見ていた。
わたしは痩せた父の体と、相変わらずハンサムな顔をじーっと見て、なぜか急に「会いたかったー」と思う。
そして、父ちゃん、と言って、父のすぐ隣に横になった。
父はポンポンとわたしの背中を叩いた。何も言わなかったけれど、「わらぶっかじゃが」という顔をして笑っていた。父に抱きつこうかなーと思ったけれど、なぜかそれはダメだと思ってやめた。

幼馴染が、サラダが違うっちょ、としきりに言っていた。失礼な奴だ、と思い、何が違うんだ、と訊いたら、「海老はいいっちょ。だんば、イクラが入っとる」と言っていた。ばかたれじゃ、と心の中で思う。そして、イクラどければいいがな、と言ってやった。失礼な奴だ。海鮮サラダ、じゃ。料亭からのものじゃ、と心の中で言う。



 ・・・

不思議な夢だった。

まず、登場人物は亡くなった人ばかり。何これ、、、何かのしるしなのか???
父、母、兄2、ハルカうじ、シズカおば。みーんなもういない。

それから、我が家の「離れ」。
これは昔、確かにあった。兄2が実家の庭を取り壊して建てた。でも、夢の中のそれは兄のものとは違っていた。

海鮮サラダと料亭。
これも島のどこのものなのか不明。てか、「料亭」って何?って感じ。笑える。











#ユメモ #日記

ワオ!と言っているユーザー

My Valentine

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My Valentine My Valentine
02/14/2021








Happy Valentine's Day!


またまた間があいてしまった。なんという体たらく。
一応(自分の名誉のために?)言い訳を書いておこう。
先週は毎朝、毎夕、メール交換に明け暮れた。わたしを介して、幾人かとのやり取り。間に入ったものだから、とにかく返信しておかないと話が進まない。そういうワケで、仕事へ行く前の朝と、仕事から帰って来てからの午後〜夕方の時間をほぼそのことに費やした。その間、Bevoの散歩もあった。早朝、暗いうちからと帰宅後、暗くなる前の時間、、、、しかも激サム極寒。

まぁその甲斐あって、お話はまとまりました。めでたしめでたし。


寒波が来ている。
めちゃくちゃ寒い。

そういえば先週の火曜日だったかな。
仕事中、両脚(両大腿部)にチアノーゼ様のまだらな紫班が出現し、ギョッとした。
もちろん室内。暖房も効いている。けど、時々、戸外に出たせいか?或いはフリーザーに入ったせいか?とにかく、発見した時うわーーーーーーと声を出しそうになった。そして同僚をトイレに呼び出して大腿部を見せた(恥)。大腿部を、というか、そこはもちろんだけど、自分では見えないところ(背中とか)を見てもらった。原因は何も思い当たらないしそれ以外の症状もないんだけど、全身に出てたら何かのアレルギー反応かも、とか思って。
結果、脚だけだったのだけど、原因は寒さのせいだろう、と。
あぁ、、、なんだか年寄りくさい、、、、

しかし侮れないこの気温。
今朝は気温-7F(-21.6C)で体感-26F(-32.2C)との表示。びぃ坊との散歩も15分で中止。もちろんWind chil warning発令中。
昨夜のうちで、あちこちの教会の日曜サービスは中止です、というテロップがTVで流れていた。明日は今日よりは少し良いみたいだけど似たような感じらしい。Wind Chill warningは明日の12時までとある。もしかしてもしかすると・・・・休校(というかオンラインに移行)???ブフーーーーーー!期待に鼻が膨らむゼ。



娘にHappy Valentine's Dayのメッセージを送ったら、美味そうな食事の写真が届いた。彼氏のためにステーキをこしらえたのだそうな。
ガッツリ、だね。と送ると
いやガッツリ系だけどヘルシーだったよ、パクチーソースと一緒に。と。
いやいやいやそれでもガッツリに変わりはないって!とは、もちろん言わずにおく。



我が家は夫がまだ帰宅しておらず(今までの最長記録かも!)、My ValentineはBevo(^^)
Trader Joe'sで買ったハートのトリーツで記念撮影。
可愛いお花も購入。寒いので、なんとなく、お花で春を感じる。
Happy Valentine!












#日記 #犬日記

ワオ!と言っているユーザー

アシナガグモ、赤ん坊

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02/10/2021








職場の相棒の様子がおかしい。
やたらと近づいてきて今にも抱きしめてきそうな気配。ハグじゃない。性的な抱擁の要素を感じてしまって、ビビっている。

夜。
彼女に呼び出された。話したいことがある、と言う。どうしても今、と言う。
怪訝に思いながらもごく普通に返事をして指定の場所へ出向いた。
と、現れたのはアシナガグモの相棒。と、思ったら、何やら車椅子が変形したようなものに身体を乗せている。
顔つきが強ばっていて、年老いたようにも見える。
そして、言葉を発さない。わたしを見て、ギシギシと近づいて来た。
恐ろしくて後退りするのだが、腰が抜けたようになってしまって動けない。
たたたた、、、助けて、、、、
声にならない言葉を叫ぶ。
Help! Help me, somebody, anybody!!

すると、どこかの家からBevoが出て来て、蹲るわたしの周りを忙しく駆け回り、ペロペロと舐め始めた。
びぃちゃん、、、、!


気付くとびぃ坊がベッドに上がって来てて目が醒めた。
マジに怖い夢だった。なんなんだ。どれだけ彼女に支配されているんだか。いや考えすぎか?


・・・


空港。友人Eと食事。
どうして空港で食事になったのか思い出せない。何かの会合の帰りだったような気がする。

どこで食べようか、と、ゆっくり歩きながら話す。
最上階。
着飾った老女に声をかけられる。古い知り合いだった。
少々威圧的にも感じるのは年齢のせいだけではないと思う。以前にも増して、ちょっと近寄り難い。
が、友人はそんな風には感じていないようだ。軽やかに会話を楽しんでいる。
わたしは聞き役に徹するフリをしていて、実はあまり聞いていない。苦手なのは前から変わらない。

サーバーらしき人がやってきて、老女に何やら伝えると、彼女は友人に「ご一緒にどう?」と言っていた。ひえ〜〜〜〜ごめんごめん、と思うのだが、友人はどう答えるかわからない。

そんな様子を見ながら、わたしはフラリとフロアーを歩き始めた。友人はまだ老女と話をしていた。

エスカレーターが見えたので、階下ものぞいてみようと思う。
するとそのエスカレーターは止まっていた。止まっていただけではなく、階段が畳まれていてスロープ状になっていた。
周りには誰もいない。

ちょっと躊躇したが、まっいっか。と、そこを滑り降りることにした。
それほど急な勾配ではなかったのに、長さがあるせいか、かなりのスピードが出てしまった。
階下のフロアーに到着しても、滑ったままなかなか止まらない。
前方にはいくつかのソファーが並べられたオープンカフェがあった。身体を傾けて方向を変え、ソファの合間を抜ける。
ところどころに、客が残して行ったグラスなどがある。それも上手にかわす。
なかなかうまく滑れている!と、調子付く。
と、大きなカウンターが目の前に現れ、スピードこそ緩まっていたものの、止まることができず衝突する。
その衝撃で、カウンター上のトレイに載せてあったグラスがひとつ、落ちる。
あああああ!と思って手を伸ばしたが受け止めきれなかった。
あぁ割れた!と思ったが、不思議とそのグラスはゴロリと転がっただけで割れなかった。
うわー良かった。

立ち上がると、カウンターでグラスを乾拭きしていたお店の人が、驚いた顔でわたしを見ていた。
すみません、、、、
そう言いながら慌ててそこを立ち去った。

しばらく歩いていくと、姉3人と出会う。
姉1は赤ん坊を抱っこしていてギョッとする。誰の子???
姉たちから、おーちょうど良かった、mも来てくれたんだね、と言われる。もうすぐだよ。

何かと思うと、兄家族が出発するのだと言う。
兄と、兄の後妻と、兄の娘、孫、そしてもう一人子供。
色々な事情があるらしい。一人の子供は泣き顔だった。なぜかとても気の毒になってしまって、またね!元気でね!と、手を振った。

姉1の抱いていた赤ちゃんは姉2の元生徒の子供らしい。姉1は嬉しそうに赤ちゃんを抱っこしていて、あー姉さんはきっと赤ん坊が恋しいんだなーと感じた。

姉たちから一緒に帰るか、と言われ、それもそうだな、と思う。
あ、でもEに連絡しなきゃ、、、、

続く。


・・・

続き。


Eに電話をかけた。

わー心配してたんだよーどこ?大丈夫?

Eはどこまでも優しい人だ。

ごめんごめん。ちょっと下を見に行ったら姉たちに会っちゃって。連絡もしなくてごめん。
言い訳がましいな、と自分でも思う。Eは、いいけど、と言っていたが、良い気はしないだろう、当然だ。

わたしはEにエスカレーターが止まっていて滑り台みたいになってたこと、それを滑って階下に来たこと、グラスを落としたけど割れなかったこと、姉たちに偶然会ったこと、兄家族がどこかへ行くことになったらしい、など、かいつまんで話しているうちに、なんかおかしい、と思い始めた。

E、思うに、これは夢かも。だって変でしょ、滑り台のエスカレーターなんて。ソファーがいくつもあったのにぶつからなかったのもグラスが割れなかったのも、変。

mちゃん、そうだよきっと。夢だよ、夢。


やっぱりそうか、と思う。
でも、姉たちとこれから一緒に帰るのも悪くない、と思って、友人にそう告げる。友人は、いいよーわかったー、と答えてくれた。
















#ユメモ #日記

ワオ!と言っているユーザー

白衣

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02/09/2021








今日は父の命日。もう50年くらい経つ。
そして義父の命日でもある。こちらは7年か。


3日くらい前、病棟で仕事している夢を見た。
手術室勤務だったのだが、夢の中では白衣を着て病棟にいて、患者さんをストレッチャーで搬送していた。救急外来勤務時か?
内容を全く思い出せないのだが(なのでユメモにもならないのだが)、久しぶりのワンピース(白衣)で、下半身のスースーと風通りの良い感触が目覚めてからもやたら残った。


今朝、いつも読んでいるブログを開いたら、お母さんが退院されたことが書かれていて、自分のことのように喜ぶ。そしてお母さんはお兄ちゃんのことを忘れてなかった。それがとっても嬉しくて、良かったねお兄ちゃん、と心の中で呟いた。










#ユメモ #日記

ワオ!と言っているユーザー

誕生日

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02/06/2021








今日は夫と娘の誕生日。Happy Birthday!!
Birthday wishを娘には(日本にいるので)昨日のうちで、夫にはつい先ほど送っておいた。

昨夜、娘からメッセージ。
ーたしか早朝生まれなのよね、私。

来た!!

ー今朝は4時くらいに人生最強の腹痛に襲われて、たぶんちょうど産まれた時間


あ、そういうこと。ちょっとホッとする。

ーI don't remember what time you were born but yes, it was in the early morning like 6, 7 or 8?
ーI remember a really long time ago when i was in middle school? ish? I looked at my birth certificate and said either 6:37 or 7:36 I can't remember when lol
ーI remember that you asked me the birth time and I said I don't know and then you got mad at me. lol lol lol
ーそうそうその時!今思えば当時、一人娘の生まれた時間を覚えてないなんて!とプンスカしてたのが不思議でしょうがない。笑

ほぉ〜大人になったモンだ。

ーYou said, Don't worry! You don't have to memorize it, I WILL!! Remember? lol
ーAnd I forgot lol lol


母子手帳。階下の倉庫の大事な書類箱の中に眠っている筈。母子手帳はいつだか覚えていないが、わりとまだ新しいうちに濡らしてしまって(まさか洗濯した?覚えていない)、結構ボロボロ。この国に来るとき、日本の母子手帳ほど素晴らしいものはない、とかで母子手帳の英語版を提供しているところがあって買おうかどうしようか迷ったが、止めた。その都度、自分で英訳すればいっか、とか、そういうズボラな理由。
まぁでも母子手帳自体、それほど活躍しなかった。わたしの場合。


娘は予定日より1週間くらい遅れて生まれた。
予定日から1日過ぎる度に、あなたと同じ誕生日になったりして、と言っていたのだが、本当にそうなった。
夫はわりと早い頃から自分の誕生日を祝われるのが苦手な人だったのだそう。それで義理ママは苦労したらしい。
が、娘が生まれたのが自分の同じ日になったので、毎年、誕生日を盛大に(ついでに?)祝われることになった。義理ママは「こんな素敵なことはない!」と大喜びだった。
わたし的には、ジョン・レノンとショーン・レノンが同じ誕生日だってのと一緒だーと思って嬉しかった。


当時、生まれるまでは性別を知りたくない、と医者に話していた。
医者は、不思議な顔をしつつも、それを尊重します、と答えた。
自分の中では男の子だという感覚があって、これは母性としての感覚だから確かだ!と、なぜか強い確証があり、男の子の名前しか考えていなかった。夫にもそれを伝えると、わたしの考えた名前でいいと賛成してくれた。

でも生まれたのは女の子だった。
え?え?え???そんな筈は、、、、、というのが最初のリアクション。どうするよ、、、

夫は名前をすぐに決めた。わたしは女の子の名前をまったく考えていなかったので、ちょっと驚いたけれど、いい名前だと思って賛成した。
その後、姉2から日本名をいただいた。日本名もまったく考えていなかったので、ああいい名前、と思っていただいた。

だいぶ後になって、夫がなんであんなに迅速に名前を決められたんだろう?と不思議に思って彼に訊いた。というのも、夫はなんに対しても熟考に熟考を重ねるタイプなのだ。
ーずっと考えてたからね。
ー女の子の名前を???
ーああ、うん、、、女の子って、教えてもらってから。

は????

聞くと、彼は性別を訊いたのだそうだ。あの日。わたしには内緒で。
だーかーらーかー!!と、納得。わたしの考えたBaby Boyの名前をあんないともあっさりと了解したのは!!!

ちなみに、その名前は我が家の犬第一号に譲りました(ミドルネームとして、だけど)。











#日記

ワオ!と言っているユーザー

Whey

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02/05/2021








夫の不在が続いて、、、いよいよ牛乳の賞味期限日となってしまった。
わたしは牛乳を飲まない。牛乳は夫用だ。夫は牛乳を飲む。かなり飲む。馬鹿みたいに飲む。
朝食に飲む。夕食に飲む。クッキーやドーナツを食べる時には牛乳がないと買いに行く。そういう人間。
娘がいた頃は普通のアメ人家庭のようにガロンミルクを買っていた。彼女が家を出てからはハーフガロン(1.89L)にサイズダウンした。

前回、夫が仕事に出る時、開封済みのハーフガロンミルクをクーラーに入れて持って行った。それでも未開封の牛乳が2本あった。期限が結構先だったので、まぁ大丈夫かなと思っていたのだが、このところの悪天候で長期で帰宅出来なくなった。

夫不在には慣れている。除雪作業は辛いけど、しょうがない。
Bevoが3日前からベッドの上で眠るようになった。ダディがいなくて淋しいのだろう。それくらい、今回の不在期間は長い。

で、困ったことに牛乳!
未開封だけど、、、、でも期限が、、、、、
いつもはマイ豆乳でSoy Latteを拵えるところを牛乳に変えた。でも、こんなに飲めるわけがない。どうするよ。

そこで「牛乳消費レシピ」と入れて検索してみた。らば。
自家製カッテージチーズというのがあった。おおおおおカッテージチーズ大好きよ〜。
ということで、早速作ってみた。らば。

大量のホエーが、、、、、、、、、、、
日本のレシピを見て作ったのだけれど、どのレシピも牛乳1L分。わたしの場合、約2Lだ。なので、残ったホエーの量もすごい。これ、どうするよ。

で、今度は「ホエー活用レシピ」と入れて検索。らば。
スコーンとかパウンドケーキとか出てきた。でもホエー量が少ない。もっともホエーを大量に使うレシピはスープくらいか、、、、


こんなサイトも見つけた。→12 way to Use Up Whey

日本のレシピよりもホエー消費量が高そう。


久しぶりにパンでも焼くかな、、、、、、、、、










#日記

ワオ!と言っているユーザー

ハンドル

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02/05/2021








2月になっている。もう5日だよ。明日は夫と娘の誕生日だ。ふたりとも家にいないので、特に予定はない。メッセージは送るかな。

酷い吹雪で昨日は休校(でも授業は完全オンラインに移行)になった。それでもmeal serviceはあるのだろうと覚悟していたらキャンセルになった。Yayyyyyyy!!

昨日は予報どおり朝の8時半くらいから雪が降り始めた。散歩はその前に済ませたのでセーフ。それにしても凄い雪だった。降り始めは牡丹雪がぼたぼたぼたと限りなく続いた。そのあとに一瞬(本当に一瞬)止んだと思ったら粉雪に変わってしんしんしんしん降り続けた。窓から見る世界はどんどん白くなってって、どこにも出かけるつもりはなかったのだけれど、幽閉された気分になった。それからまた牡丹雪に変わって、普通の雪になって、、、というところまで見てからはもう外を気にしないようにした。いずれにせよ、除雪作業が待っている。


15時半、除雪作業開始。雪が小降りになったのと、アプリでは雪は16時半頃には完全に止む予報になっていたので。TVは朝からシグナルロスで役に立たず。

除雪機を稼働させた。
ここに書いたかどうか?確か書いていないと思うが、前回の吹雪の後、除雪機を動かそうとしたらエンジンはかかるのにやっぱり使えなかったので、がっかりしながら手作業で除雪していたらお隣のスーがやって来て「ちょっと見せてみ?」と手伝ってくれた。わたしは夫に教えてもらった「除雪機を動かす方法」の自作図解入りメモを見られやしないかとちょっと恥ずかしくなったけど、構っていられない。こうしてこうして、こうやって、こうして、と一通り説明。

でもね、ブレードが動かない。まったく動かない。
ん〜。雪が深いってこと?雪を掻きこめない?
どうしてかはわからない。とにかくブレードがうんともすんとも動かないの。スプレーもして凍らないようにしたんだけど。
ハンドルはどれ?
ハンドル?これのこと?
いや、ブレードを動かすハンドル。
ブレードを動かす・・・・ああああああああ
まさかハンドルを握らなかった?
やーーーーーだーーーーーーーーーきゃーーーーーー

スーは笑って自分のところへ戻って行った。
おかしいと思った!はははははーハンドル握らないとブレードは動かないわよー芝刈り機と同じよ〜
ああああああああ、だね、そうだった、、、、スー、ありがとうーーーー!!

赤っ恥であった。
ということは、その前に稼働しないとがっかり来てたあの時も本当は動いた筈だった。すっかり忘れていた。ハンドルか、、、、自分、自慢じゃないが芝刈りは一切しない。それは夫の仕事だ。たまに夫の不在が続くとき、いささか芝が伸び過ぎだろと思う時もあるので、芝刈り機の使い方を教えてくれ、とお願いしたことがあった。教えてもらって、一度だけ(ほんの少しのエリアだけ)芝刈りしたこともある。が、あれ以来、夫は「いや自分が帰ってくるまでそのままにしておいて」と言うばかりだった。「芝刈りは自分がするから君は心配しないでいい」と。

エンジンかかってもブレードを動かすには何かしらしないとならない、って、そんなの普通に考えたらわかりそうなものだけれど、エンジンかけるまでが自分にとっては至難の技だったので、その先のことは考えもしなかった。よって、先の手順メモにもそのことは書かれていない。スーがいなくなってから、こっそりとそれを書き加えておいた。「ハンドルを握ること!」やれやれ。


話を元に戻す。
除雪機を使って、無事に除雪作業完了。場所によっては手作業だったのだが、湿った雪で重くて大変だった。
それからびぃ坊と散歩へ。
近所の方々は皆、除雪作業に精を出していた。前回の吹雪の後も同じだった。昔、「町内清掃の日」というのがあって、それは確か週に一度(木曜日?)だったのだが、あれが大嫌いだった。うちは母親しかいなかったので、母とともに町内清掃に参加するのだが、近所のお父さんがたを見るのがなんだか辛かった記憶がある。
その光景がまさにそこに拡がっていた。除雪作業は男性が圧倒的に多い。除雪機をガンガン動かしている。でも女性もいる。慣れた作業でやっている。雪国の人たちって、我慢強いんだなぁ、、、、と、いつも思う。


まだ除雪されていない歩道もあって、スノーブーツを履いていたが雪が深過ぎてパンツの裾の部分と足首の部分の靴下が濡れた。しかもびぃ坊はpoopしなかった、、、、なんのために散歩へ連れてったんだか。

着替えてリクライナーに座って脚をあげてリラックス。インスタを眺めていたらはみちゃんが「皆さんも一緒にどうですか」とワインを勧めてくれていたので、冷やしてあったシャドネーを開けた(空けた、ではない)。




ビーツ好きって、わたしのまわりにも結構いる。自分はそうでもない。と言うか、夫が大嫌いだと言ってたので買って調理したこともなかった。けど・・・・今度、試してみるかな。


TVは相変わらず全然ダメで、DVRを見たりCrunchyrollでアニメ(働く細胞)を見たりして過ごし、そうだ!と思い立ってお風呂をつくって(Bubble Bathにした)チャイコフスキーのバイオリン協奏曲ニ長調を聴きながらのんびり〜と。

その後、何気なく携帯をチェックしたらvoice messageとGmailが入っていた。

Schools will move to 100% remote learning for Friday, February 5, 2021. Please note, there will be no Grab & Go meal service. Stay safe everyone!

キターーーーーーーーーーーーー!!!
まさかの4連休。

ありがたいことです。

というわけで、今朝はゆっくり。
気温がすごーーーーーーーーーーく下がって、これからもっと下がるらしい。散歩には重装備で行く予定。












#日記 #犬日記

ワオ!と言っているユーザー

むかし話

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01/31/2021








今更の話だが、わたしは娘を補習校に入れなかった。

この国に来ることに決めた理由のひとつに、娘の教育があった。彼女は日本で生まれ、日本の保育園に入った。夫は英語で話し、わたしは日本語で、というスタンスだった。でも日本語環境だったので、わたしもなるべく英語で話しかけた。英語で言って、日本語で同じことを言う、というもの。この方法、なんでこんな方法を選んだのか無意識だったのだけれど、わたしと娘の会話を聞いていた友人から「へぇ〜そうやって教えるんだね」と言われて初めて気付いたことだった。ホントだ、なんでだろ?と言って、笑った。わたしの英語の練習?かもね。

小学校に入る前から、いよいよどうするか決めなくちゃいかんなーと思うようになった。
娘は日本語のほうがもちろん強いので、ダディと会話はしているようだが、この先どんどん会話にはならなくなるだろう。父親と話が出来ない、父親と通じ合えない、ということになる。それが怖かった。それは良くないと思った。それはアンフェアだ、と思った。娘にとっても、父親である夫にとっても。

なので、小学校入学前にこちらに来た。今度はこちらの教育を受けさせようと思った次第。
最初に入ったエレメンタリーにはESLクラスがあったので、そこのお世話にもなった。英語を母語としない生徒のサポートクラスだ。通常どおり、他の生徒とクラスにいるのだが、1日のうち一定時間(?)ESLクラスに行くらしかった。そんなモンなのか、とこの国の教育システムは面白いなーと思ったものだ。

娘はこちらの不安なんてモノともせず、どんどん英語を吸収していった。彼女の性質もあったのだろうけれど、周りのアメ人キッズにバカにされようが(特にランチのこととかね。お弁当を持たせてたので。笑)なんだろうが、お構いなしだったらしい。おにぎりの海苔なんかは、鼻をつまんで「クッサーーーー!!」とか言われたらしい。でも彼女はおにぎり大好きっ子だったので、まったく気にしなかったと言う。「こんな美味しいものを食べられないなんてかわいそうに!」


日本語補習授業校のことを考えるようになったのは、それから1年も経たない頃だ。
わたしたちは家を購入し、引っ越した。新しいエレメンタリーにはESLクラスはなかった。彼女の英語サポートの権利を剥奪することになる、と、新しいエレメンタリーの校長は受け入れを悩んでいた。こういうところがこの国らしいと思う。
とにかく、彼女は大丈夫です、と、「保護者の確固たる要望のもと」受け入れを許可された。

それから娘は普通にエレメンタリーに通い、普通に授業を受け、普通に近所の子らと遊ぶ、そんな毎日になった。
わたしはあ〜良かった良かった、と、のんきに喜んでいた。

が、ある日、姉から娘の日本語力が「4歳児程度になってるー」と指摘された。

え?そう?
気付かんかったのか?
いや、全然。

そう言えばわたしも彼女に英語ばかりで話すようになってしまっていた。自分の英語力アップも必要だったのもあったし、英語環境になったので、なんとなく、つい。

このことが、母と娘の日本語バトル勃発のきっかけとなった。

いい?マミィとは日本語で話そう。日本に帰った時、Aマミィ(姉1)やM(姉2)、T(姉3)やおばあちゃんと日本語でちゃんと話せるように。だってみんな英語は話さないでしょ?

しかしねぇ〜。学校も英語、TVも英語、友達も英語、となると、これがなかなか難しい。わたしが一生懸命日本語で話しかけても、彼女は英語で答える。約束が違うでしょ、日本語で答えなさい。Okay, I will. こんな調子。


そんな時、日本語補習授業校の存在を知った。
調べると、車で1時間くらいの場所。でも大都市の中にある。そこまで連れて行けるかちょっと不安はあった。でも、なんとかなるかも、と思い、パンフレットを取り寄せた。


立派なパンフレットだった。カラーの分厚い。
学校長の挨拶。学校の経歴。クラスの紹介。。。
ヤバい、、、、かなり本格的じゃないか。見ると、毎週土曜日(全日)となっていた。学校行事として、時に日曜日を使って運動会とか、そういうのもあった。
ちょっと、、、、これ、、、どうよ???

それでも明るく、娘にそれを見せた。
どう思う?ここに行くと、日本語で、日本人のお友達と一緒に勉強できるよ。あなたみたいなハーフの子もいる。どうかな?行ってみる?
娘はパンフレットのページをパラパラとめくった後に
体育ある?
ない。
音楽ある?
ない。
図工ある?
、、、、、ない。
Then, No!

うわーーーー!!!

実際、わたしもビビっていた。なぜって、月曜日から金曜日までここの学校に行くのに、土曜日も丸一日また学校?いつ休むの?日曜日だけ???その日曜日も学校行事とかあるんだよね、、、わたしだって無理だわ、、、、

そういうワケで、あっさり諦めた。
こういうことなら、じゃぁ日本語は家で教えるわ!と、なった。

じゃぁここに行くのはやめよう。でも、マミィとは日本語で話そう。そして、字の勉強もします。漢字の勉強もします。
Okay!!


これが母娘日本語バトル第2弾の勃発でした。




そんな、自分の娘も通わすことのなかったわたしが補習授業校で講師をすることになったのはかれこれ7年前???
うちの補習校は土曜日全日ではない小規模なので取っ掛かりやすかったというのもあるし、何よりあの頃は日本人との交流に飢えていた。笑

あーでももういいかなーという今日この頃。


わたしが悩んで挫折した時とは場所も違うし何より時代も違う。
こっちで講師を始めたあの頃とも時代は変わった。何より保護者さんが若くなった〜(自分が歳とっただけ)!



さて、そろそろ除雪(氷かも、、、)作業に入るかな。
明日から2月。完全勤務の始まり。ガス燈の相方とまた一緒に働く、、、、実は金曜日で既に問題が、、、、記録開始せな、、、、、うげー。










#日記

ワオ!と言っているユーザー

鶏始乳

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01/30/2021












そういう時季なのかーと驚く。

うちの近所のchicken coopには、少し前からハートのお飾りが窓の両脇に付いている。
Valentine's Dayのデコだと思う。
ここのchickens、冬はどうするのだろうと気にして見ていたが、どうやら鶏小屋の中に簡易的な暖房装置があるらしい。そらそうだな。ここらでは極寒の時季になると-20℃とかまで下がる。
この前の吹雪の後、どうしてるかな〜と気にしながら散歩のついでに見に行ったら、ちゃーんと扉が解放されていて小屋から降りるスロープも取り付けられていた。そして鶏たちはパティオルーム下の、雪のない部分で遊んで(?)いた。寒かろうが何だろうが、やはり日中は小屋の外に出たいものなのだろう。同じところでじっとしているのが苦痛なのは人間だけじゃないのだな。

この鶏たちも、日本の暦よりは遅いのだろうけれど、卵を産む時季に近付きつつあるのかもしれない。

今日、こちらはお昼前から冷たい雨。途中でFreezing rain、これからもっと酷くなる予報。









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