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ハッシュタグ「#介護日記」の検索結果104件

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心の声

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10/04/2019






これまでにも何度も食べたことのあるものについて、「こんな魚食べるの初めて。これはなんて魚なの」と聞いてくる超高齢の母親に対して、「これは○○だよ」と普通に答えれば良いところを、なんだか悲しくなって、(何度も食べてもらったじゃないか、これは○○だよ)という心の声を表に、しかも苛立ちまぎれに声にしてしまう、という某ブログの作者の記述に、生前の母のことが思い出された。


母の認知障害は徐々に進んでいたのだが、帰郷した折からどんどん進行していったように思う。

あの頃、まだ島に帰る前の母は、何度も同じことを話したり聞いたり時に怒ったりもあったが、外界との接触はそれなりに出来ていた。外食など、出かけることを頑なに拒むようにはなったが、デイには毎日通えていたし、お気に入りの介護士さんもいたりして、笑顔も多かった。

わたしは毎夏、母の介護(の真似事)のために2か月ほど帰国した。母に会いたいのはもちろんだったが、わたしが一時的に母と一緒にいることで、姉たち(あの時は姉3がメインだった)のレスパイトになれば、という思いだった。

ある時、母が祖父のことを訊いてきた。
祖父はもちろんもう亡くなっていて、その時の母の口ぶりからすると、母はタイムスリップしたかのようだった。確か、病床の祖父のオムツをちゃんと確認してくれ、といったことだったと思う。
わたしは母に「わかった、確認しておくからね」というようなことを答えた。
すると姉3がすかさず、「なんで母ちゃん、じゅうはもうおらんがね」と言った。「じゅうはモリシタがね」
母は一瞬きょとんとした顔をしたがあまり意に介さなかったように思う。

後になって姉3はわたしに、母に嘘をつくべきじゃないような気がする、母にちゃんと話せばわかるのではないか、忘れているだけだから、もう死んでいないんだよということを思い出させればいいんじゃないか、というようなことを言った。「なんでもかんでも、そうだね、と言うのは、ちょっと違うような気がする」

あの時、姉3にそう言われて、あぁ確かにそうなのかもしれない・・・と思った。元看護師であるわたしは、母のそういった言動に、あまり深く考えることもなく、母に合わせて答えていた。マニュアル的だったと言っても良い。
思い返せばあの頃、母と一時的に同居していた姉1もそうだった。姉1もまた看護師だからか、母と接する彼女は、穏やかで優しく、母の言うことに異を唱えることはあまりなかったように思う。もちろんそれは、全て母の思い通りにするということではなかったが。

姉3の言葉から、自分は母を「認知症のある母」としてしか接していなかったのかもしれない、と反省した。母は母なのだから、母として接するべきだ、と思い直せたきっかけでもあった。姉3の言動すべてが正しいとは思わない。でも、間違いだとも思わなかった。


そんな姉も、母が帰郷しいよいよ認知障害が進んでくると、母との対応が変わってきた。母は母なのだが、それだけじゃなく、認知障害を持った母として、母の心の安寧を最善として対応する。
そんな姉3の変化が感慨深く、自分自身を省みることにも繋がった。


母がアルツハイマー型認知症と診断され感情の起伏が激しくなり、デイにも行きたがらず、かと言って家にいても「家に帰りたい」と訴えるようになった頃、わたしたち姉妹の母に対する接しかたは、いわば足並みの揃ったものだったと思う。

が、長兄は違った。
兄は娘らに母の介護を任せている罪悪感もあったのか(いやもちろん素直に母に会いたかったのもあったのだと思うが)、時々母の様子を見に他県から帰省し何日か滞在した。そして、母の言動に対しいちいち「また同じこと言ってる」とか「わからんわけないだろう」とか、そんなことをのたまっていた。その度わたしは(母のいないところで)、「兄貴、母ちゃんは認知症なんだからそういうことを言わんで」と言ったものだった。


あの時、兄はきっと悲しかったのだろうなと思う。母が、どんどん母でなくなっていくのが辛かったのだろう。
ある晩、友人らと飲みに出かけた兄は酔っ払って帰って来て、眠っている母のベッドの傍に跪き、「おっかんよー、おっかん、○○どー、わかるなー、わかるだろー、おっかんー」と言って、泣いた。「兄貴、母ちゃんせっかく寝たから起こさんで」と言いかけたが、そんな兄の姿に何も言えなくなった。

「ユックらって!ぬっちゅんニンギンかい!なんや長兄ど!」

そう叫んだのは母だった。
驚いた。心底、驚いた。
酔っ払って帰って来てムガル兄を諌めたのは、紛れもない母だったのだ。


翌日、そのことは兄も母も、どちらももう忘れてしまっていた。
でも、このことでわかったことがある。
認知症といってもその魂は確かにそこにあり、認知障害に常に侵されいるわけではないのだ。
あの時母は、母の魂の、心の声を出した。


(でもユックライは、、、、ユックライ兄の魂はそこから抜け出ている。
母と泣きながらでも話したいのであれば、酒の入っていないときにするべきだ。

まぁ気持ちはわからないでもないけれどね。)













#介護日記

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リスボン

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6/18/2019







世の俗民に漏れず、某週刊誌に取り上げられた(とされる)方の 日記 を読むようになって1週間ほどか。
正直で素朴な老々介護の描写に心打たれる。
彼は自身のことを前期高齢者と呼び、主に高齢の母親との暮らしや彼の仕事のことなどを綴っている。
ほぼ必ずと言っていいほど、老々ブレックファースト・老々ディナーメニューが記されていて、彼らの暮らしぶりが見えるようだ。
また、お母さんとの会話やその時の彼の心情などが綴られており、つい亡き母のことを思い出してしまう。

彼のお母上は認知症はないということなので我が母とは違うのだろうけれど、それでも生前の母の呟きや、時にわたしたち娘に見せた困ったような表情を思い出す。あの時、母は何をどう感じていたのだろう。


彼の日記は、淡々と、その日のことが書かれている。
お母上に対しての、困ったなと思うことやうまくいかないと思うことなどもしっかりと記されているが、悲愴感がない。
そして、そういった暮らしの中で「母との暮らしは面白い」と言う。

思えば姉もそうだった。
どんなに辛そうでも(実際、本当に辛かっただろう)、いつも「母ちゃんと一緒にいると面白い!!」と言っていた。
そんな姉に、わたしはいつも「姉ちゃん、本を書きなよー<明るい介護>の本!」と笑って返したものだった。
「いや、色々書く時間も気力もない。それをするのはm(わたしのこと)!書いてよ!!」
と言っていた。

介護の手伝いで毎夏2ヶ月ほど帰国していた時、たまに母のことを書いた。
一応「介護日記」としてのラベルも付けてある。
でも、全然、足りてない。
今になって、後悔の嵐だ。
もっともっと、ちゃんと書いておけば良かった。
母との会話とか、母の様子とか。
あの時は、毎日毎日その繰り返しで、いつも同じことだって思っていたのだろうな。毎日、違っていた筈なのに。



リスボンとはポルトガルの首都らしい。
名前は聞いたことあったけど、どこのことか知らなくて調べたらそう出ていた。












#日記 #介護日記

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お迎え

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11/10/17






5:20起床。外気温18°F(-7.8℃)との表示。今季一番の冷え込み。screenshotにして娘へ送る。ちょっと自慢。

昨日の朝、ちょうどこの時間くらいに久しぶりに姉2からSkype電話が入った。母とも久しぶりに対面。表情は穏やかで、まぁまぁ元気そうに見えて安心。しばらく母と話したあと、「とぅくばろいー」ということでベッドへ。姉曰く、なるべく起きてて欲しくて電話をかけたとのこと。結局、横にさせたのは20:15くらいか。

ここ数日、母は不穏だったらしい。昼夜逆転が続き、夜間に眠れなかったという。息苦しさを訴え、そろそろお迎えが来たか、などとも言っていたらしい。姉も介護でヘロヘロ状態だったようだ。姉のすごいところは、本当に苦しい時には連絡してこないことだ。わたしへは時差の関係もあるのだが、毎月介護に来てくれる東京の姉にも連絡しなかったらしい。「姉ちゃんに連絡したら心配するから」
そんな姉の話を聞きながら、申し訳なく思う。そして、ただ聞くことしかできない。姉は自分自身に言い聞かせるように話す。「薬が切れてしまったのが良くなかったんだと思う。4日、いや5日かかったかな、普通のリズムに戻るのに。」
そして、過ぎたことを面白おかしく話す。
眠れない日々が続いたある晩、母が何度めかに姉を呼んで「もう天国へのお迎えが来た」と言った時、姉はこう答えたのだと言う。「母ちゃん、母ちゃんのお迎えよりわたしのお迎えかもしれない。わたしがもう天国に呼ばれたのかもしれん。」
そして、不思議とその次の晩から、母はまたぐっすりと眠るようになったらしい。姉はこうも言っていた。
「まるでDVみたい・・・飴と鞭じゃないけど、次の朝に母ちゃんが「あんただけじゃが、よろしくやーありがとやー」っち言うわけ。それ聞いたら、あげれ、母ちゃんかわいいやーっち思うわけ。」
わたしは大笑い。「まさしくそれはDV夫婦の関係じゃ!」
DV夫は手のひらを返したように「お前が一番」「俺を見捨てないでくれ」そして妻は「あぁわたしさえ頑張ればこの人は大丈夫。わたしの頑張りが足りないのだ。」と思う。
いかんいかん!いかんよ〜姉ちゃん!!

お迎えと言えば、こんなことも。
デイへのお迎えが来た時に母にそれを伝えると、「天国へのお迎えね?」と母。それに対して姉は「天国だと良いんだけどね〜、デイよ、母ちゃん、デイのお迎え、天国じゃないよ」
こんな会話でお見送り。明るい介護に明るい未来。

別の日にはこんなことも。
「母ちゃん、お迎え来たよ」「なんのお迎えね」「あおぞらさん」「わんば、てんとうっむぅち捨てぃな!」
あおぞらさんとはデイの名前。てんとうとは、おてんとさん、のこと。空の下に捨てるのか、という意味だ。これは咋夏も良く言っていた。
わたしは姉にこう助言した。
今度、母ちゃんがそう言ったら、てんとうさんからのお迎えだよ、っち言えばいいよ。ま、母はわたし達の上の上を行くだろうけれど。

それにしても姉のこの純粋な気持ち、エネルギーに脱帽。心から尊敬する。
母には来年の6月まで生きててもらわないと、と思う。本当に。

カメラを設置してさ、ドキュメント撮影したいね。それを映画にしたら大ヒットだよ!

こんな冗談を笑って聞いてくれる姉には感謝しかない。
母ちゃんも姉ちゃんも、ふたりとも、本当に素晴らしい。









#介護日記

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若草姉妹

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7/6/2017







姉1が今日、東京へ戻っていった。
2日に来て4泊5日。あっという間だった。
3日に姉3が合流したので、しばらくは4姉妹勢揃い。2年前の温泉旅行以来だ。

姉の、母に対する接し方がとても優しくとても丁寧で、勉強になった。母のほうは、良い時と悪い時の差が激しくて、嫌でも認知症の進行を感じさせられたが、それでもとっても穏やかな時もあって、そんな母と笑いあったり出来たのは良かった。

姉3は比較的長期間、いられそうだ。
ここで仕事を探すことになりそう。わたしのいる間に色々と決まって軌道に乗れるといいのだけれど。。。


毎日暑くてエアコンのお世話になっている。
犬たちの散歩はもっぱら夕方だ。














#介護日記 #日記

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インガ

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7/2/2017







今日、姉1が来る。4泊滞在。ついで、明日には姉3。こちらは長期滞在、期間としては未定。出来ることならば姉2とともに母と一緒に暮らせれば・・・と願うが、どうなるか。神さまが良いようにしてくださるだろう。
姉たちが来るので、日記を書くことが出来なくなるかもしれない。少なくとも姉1がいる間はそのような時間は取れなさそう。も、出来るだけ時間を見つけて記録しようとは思っている。


 ・


昨日はだらだらと過ごした。暑くて暑くてかなわん。
洗濯したりしてるうちにどんどん暑くなってしまって散歩へ行く機会を逃した。陽射しが強く外はギラギラ、室内はといえば、めらめら?蜃気楼?が立ち上ってるのかな?と思うほど。
お昼少し前に買いもの&車のガソリン入れへ。お目当の特売品(2L 十六茶が108円)が翌日(今日ね)と知ってがっくり→しょうがないので今日も買いものへ行く予定。
午後4時、あまりの暑さに耐えきれず、エアコン稼働。そしたらちょっと元気が出てきた。熱中症警戒レベルだったのかもしれない。やばいやばい。
散歩は日が傾き始めてから。暑いねー!と言い合いながら(きっと犬たちもそう言ってたと思う!)

母がベッドへ入った後、長兄より電話。ユックラッテいたらしい。気持ち良さそうにラテン語で聖歌を歌ったりして。母の以前の言葉を借りて、チュリナンティ ウタアシビナー キムサゲサー! すると兄はキムグルサ、ッチドガ イウガ、と来た。どうでもいいよセヘノミヌ、ユックライ!

兄に母の認知障害が進んでいることを話した。兄は、いや前に電話で話した時はマトモだった、と言う。そらマトモな時もあるけどね、でもかなり酷くなってるよ、と言うのだが、ま、ユックラッテいたのもあって聞く耳を持たない。
兄貴、3週間くらい一緒に過ごしたら良いよ、そしたらわかるよ
と言っておいた。脳には響いてないと思うけど。

インガン クヮンキャヌ ヌッチン シキラン 
タムン ナラン ヤレ クヮンキャ ジャ




母の言葉は正しいわ









#介護日記 #日記

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ひとり学びとも学び

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7/1/2017







7月が始まった。
快晴。今日も暑くなる模様。あと、スコールに注意。いきなりじゃんばら降ってカラッと晴れる。昨日もいきなりのどしゃ降りで慌てた。室内にいると雲の様子を見ないので暗くなったと思った途端にバラバラという大きな音で雨が来たのを知る。洗濯物を大々的に干したまま出かけることが出来ないのにはそういう理由がある、ってことを忘れていた、島の暮らし。


昨日、小学校の2回目の見学へ。担任の先生のはからいで、国語を見せていただいた。以下、ノートにメモしたことをここに記しておく。

・生徒への声かけ・・・「休み時間にすることですよ」
・授業の流れの確認
・めあての確認・・・板書、ノートへ書かせる、全員で読み上げ
・ワークシートの活用
・各場面の絵を黒板に提示
・黙読の後に内容を問うー発表
・ノートに書かせる場合、時間を決める
・教員は黒板上で定規を使っている
・きちんと「聞く」ことを促す〜意見の違いを話し合わせる
・発表・・・指名式、リレー式(リレー式は生徒が生徒を指名)

総じて、教師の凛とした姿勢が大事だと思った。かつ、その辺りが自分には不足しているかな、とも。教師の言動、姿勢が生徒の意識をつくる。教師がフラフラゆらゆらしていると、生徒もまたそうなる。力で抑えるということではなく、メリハリの効いた教師の態度というのはとても大切だなぁと肌で感じた。
生徒たちの集中力の高さにも感心した。「ひとり学び」「とも学び」という方針は、複式をしていく上での基盤なのかもしれない。


 ・・・

昨夜の母。
帰宅時に不安そうであった。どこへ連れてこられたのだろう、という恐怖感なのだと思う。わたしの顔を見て、知ってるような知らないような・・・という感じだった。
軽い晩御飯を食べている途中でトイレへ行きたい、と。
そこで一悶着。
母にとってもわたしにとっても辛いことで、詳しくは書かないでおく。
母の言葉だけを記しておこうかな。ウヤバ ハゴハゴ シチ ヌッチュン カイ!
頑なな母の表情を見ながら涙がはらはらとこぼれた。ごめんね、母ちゃん、本当にごめん。母の辛さを思うと、自分の痛み(悲しみ)なんてたいしたことではない、と思う。本当に。

母、一晩中ぐっすり。まったく起こされなかった。びっくり。
このところ何度も覚醒していたから、母自身も相当疲れていたのだと思う。

今朝、母のトイレ介助を姉が行ったのだが、睡眠が十分だったせいか立ち上がりがしっかりと出来た、と。このところ脚力が弱くなったような気がしていたが、あれは睡眠不足もあったのだろう。

母の混乱はこれからも続くのかなぁ。辛いなぁ。母が穏やかで平和であればいいのに、と、心から思う。願う。祈る。










#介護日記 #日記

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雲が変わった

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6/30/2017







梅雨明け宣言。
例年より早め、と思っていたが、実は去年より11日遅く、しかしながら平年並みということだった。へ?そうなんだ?感覚、鈍ってるんかなー。でも、あ、明けたかも?とは思ったのだ、昨日。なぜなら雲が変わったからね。夏の雲になってた。


昨日の午後、姉と釣りへ出かけた。
2日目。初日は姉が極小のベラを3匹釣って逃がしてあげただけで終わったので、そのリベンジと思って出かけたのだがーーー。
最初にウミガメが泳いでいるところを見たのが良くなかったな。ウミガメがいるところに魚はいないー、という説、当たってたっぽい。言い訳か?
それでもわたし、まぐれのメバル(極小)を釣って逃がしたので、まぁ満足。

 
 ・・・

昨日、母の行っているデイでは「たこ焼きパーティー」をしたのだそうだ。中身はタコではなくウィンナーだったらしい。きっとその方が食べやすく安全だからだろう。送迎のoさんによると、母も美味しそうに食べたとのことだった。なるほど、Tシャツにその痕跡(ソース?)が。母はすっかり忘れてしまっていたけれど。

晩御飯(とっちぶるの煮物)を食べた後、母は早々にベッドへ行きたいと言った。食後の片付けをしていたわたしの代わりに姉が母をトイレへ誘導、ついでに汚れたTシャツを脱いでもらい、ズボンも脱がせて肌着だけになってもらってからベッドへ。
こんなに早く寝かせたら・・・とは思ったが、1時間遅くしたって大きな違いはない、と、これまでの経験から。

11時頃か?案の定、母がトイレへ行きたいと言う。最初に姉が介助したのだが、肌着が汗で濡れてしまっていたので、着替えさせることにした。母は裸になるのを嫌う。なので、素早くしないといけない。汗かいちゃってるからね、と言い聞かせながらせっせと着替えさせた。

夜間、何度か母に呼ばれた。同じ部屋に寝ていたので、布団から返事をする。まだ朝じゃないからねー、まだ寝てていいよ、などなど。母が朝までぐっすり、というのはなかなかない。こうも眠りが浅いと疲れるだろうな、、、と思う。

5時半、母の声で目覚める。まだ早いよ、と伝えたが、15分もしないうちにまた声をかけられた。しょうがないや、もう起きるか・・と、行動開始。母をトイレへ誘導、ついでに服(上下)を着せておく。まだちょっと早いから横になる?と聞くと素直に頷く母。
その後、6時半に再び呼ばれた。少し早いけど・・と思いつつ、母を車椅子へ移乗させ、モーニングケア。軽い朝食を出して一緒にTVを見たり。母、ちょっと辛そうな表情。あんまり寝られなかったかなぁ。

7時10分。Igさん到着。このところ毎朝Igさんなので、大変ですねーと声をかけると、ええ、まぁ・・・と苦笑されていた。スタッフも順番で夏休みなのかな?
Igさんによると、母は昨日、Igさん演奏(三味線)で「19の春」を歌ったのだそうだ。母の好きな歌だ。聞いてて嬉しくなった。

まっとれよ!!

そう言いながら、母は出かけて行った。
どうか今日も一日穏やかでありますように。











#介護日記 #日記

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on-line

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6/29/2017







オンラインでしている某ストアの支払いが、日本からだと出来ないらしいことを最近知った。支払いだけではなく、そのストアのウェブサイトそのものも閲覧できない。なんたるちーや。しょうがないので夫へ連絡し、通常のメール扱いで支払ってもらうようお願いした。paperlessオンリーにしてなくて良かった。

そう言えば、以前、義母への贈りものについて、娘の意見も聞くべくそのウェブサイトのリンクを送ったところ、彼女から「ウェブが見れない」と言われたことがあった。
逆にわたしは、日本の某大型生地屋のウェブサイトをアメリカから閲覧できなかった。最初はサイトのアップデートか何かで一時的に見れないのかとも思ったが、そうではなかった。どうやら海外からのアクセスをブロックしているようだった。

もうひとつ気づいたこと。
お気に入りのストアのウェブサイトをここで見ると、値段がJPY(日本円)で表示されていた。驚いた!わたしのクレジットカードはUSDなので、結局はドル払いとなるのだが(とは言っても、日本にいる間にあちらのものを購入することはないけれどー)。


こちらへ来てon-lineで購入したものをメモしておこう。
・ヘナカラーコンディショナー
・天声人語書き写しノート
・フィリップ電動歯ブラシの替えブラシ
・音波振動アシスト
最後の音波振動〜は昨日、TVで紹介されていた便利グッズ。姉とわたし用に2本注文。これを先に知っていたら、電動歯ブラシの替えブラシは購入しなくても良かったのだけれどー。

原則として、on-lineでの注文は送料無料であることとしている。送料払うくらいだったら自分で手にしてから買うよ、と思うので。せこいけどねー。
でも、そのうちどの商品も送料無料になるのではないかなーと思う。どうかな?


 ・・・

昨夜の母。
上機嫌で帰宅。帳面にも、一日とても穏やかでした、との記録。ほっと安心。
姉による「あじの姿揚げ」を骨をとって母に出す。あじのことは島口で「ガラ」と言う。ガラだよ、と言って出すと、母はとても喜んだ。なす、ピーマンを素揚げにしたものと小さなおにぎりも出すと、すべて平らげた。すげー。
8時半、ベッドへ。
もうちょっと起きてる?と促してみたが、既にもう眠そう。ズボンを脱がせて袴下だけにする。
10時頃か?トイレへ誘導。
その後・・・12時頃、うわごとのように呼んでいたが、大丈夫だよーという返事ですぐに再入眠。
なんと昨夜は夜中に一度も起きなかった(!)

5時半、母の呼ぶ声で目覚める。見るとまだ眠っている様子。
わたしはそのまま起床。珈琲を淹れてゆっくり。
6時、母覚醒し、トイレへ誘導。ズボンも履かせておく。
姉のことを聞かれ、まだ上で寝ていると話すと、自分ももう少し寝る、と。
それからぐっすり。起きようとしないので、ああああヤバい、、、またストライキか???
6時50分、姉に声をかけてもらう。母、頑なに目を閉じていたが、ようやく開眼。だましだまし、ベッドから車椅子へ、そしてモーニングケア。
お迎えまでにもうちょっと時間があったので、オレンジジュースを出し、バナナを食べてもらう。
7時10分、お迎え。今朝もIgさん。
母、いきなり豹変。
Igさんは「大丈夫です、車に乗るとまた変わりますから」とわたしたちを安心させようと声をかけてくださった。ありがたいことだ。
母は、わたしたちに向かって、自分を捨てるのか、どの国に捨てるつもりだ、知らない国に捨てるのか、悪魔!などと叫んでいた。そして、主の祈りを大きな声で唱え始めた。食前に穏やかな様子でゆっくりと手を合わせて祈る時とはまったく違う。それでも、お祈りは一字一句間違えることがない。不安と恐怖の中で、自分の感情を抑えきれない時でも神さまに祈ることは忘れていない母だ。

よろしくお願いします、と頭を下げて、見送った。










#介護日記 #日記

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あめのもり

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6/28/2017







最近、ちょっとしたエクササイズを行っている。娘&姪から教えてもらった方のをYouTubeを見ながら。ベーシックなものから応用〜コンビネーションという流れの3バージョン。1バージョンにつき約4分×3で12分×3バージョンなのでトータルすると約36分。ベーシック版はなんとか形になっているのが応用編でちょっとつまづく。さらにコンビネーションになると・・・ちょっと人には見せられない。笑 
まぁ格好の良いものではないが、これがなかなか気持ち良い。母が出かけた後は洗濯、犬の散歩、家の片付け〜が主なので、それにエクササイズが加わった。充実。娘&姪は彼女のDVDを購入して毎晩、エクササイズに励んでいるらしいが、わたしは無料のYouTube版で頑張っている。来月半ばにふたりが来島・再会するので、それまでは頑張って続けようと思う。シェイプアップもだけど、筋力をつけたいのだ、この歳にもなるとね。笑


 ・・・

昨夜の母。
姉が知り合いからいただいたというウヮンホネ(豚足を煮たもの)を出すと、はく〜っ!と感嘆しながら美味しそうに食べていた。やはり島料理は嬉しいのだろう。ついでにわたしの手料理(じゃが芋と豚肉、きのこの甘辛炒め)も出すと。それも美味しそうに完食。素晴らしい〜。
食事の後片付けをしていると、母が車椅子の上でウトウト居眠りをしているのが見えたので、姉に声をかけ、ベッドへ誘導してもらった。

夕暮れ時にいきなりのどしゃ降りスコール。姉が濡れながら外犬の2匹も室内へ。雨が降っても蒸し暑さは変わらず、エアコンを入れた。
前夜の教訓を生かそうと、わたしは母と同じ部屋に布団を敷いて寝た。10時半、母の「おーい、おーい」と呼ぶ声で目覚める。
と、ソファでうたた寝していた姉が、半ば眠った状態で「はーい、大丈夫よー」と返事をした。そっか、そういう風にするのか、と学習。その後、2
度ほど繰り返したところ・・・母はまた眠りに落ちたようだった。

12時。
母の声で目覚める。姉はいつの間に自室へと上がっていった様子。わたしは再び、母に返事だけしたのだが、母も今度は引かない。なので、トイレへ誘導。
その後、母は何度か目覚め(たのか或いは夢か)、その度わたしは時間を伝え・・・。

何度かそういうことを繰り返し、5時半、また母に起こされた。もうちょっとねーと言いながら、根負けして起き上がる。時間にして5時45分だったか。

なんだかんだで母を起こしたのが6時20分。モーニングケアをして軽く朝食。
7時ちょっと過ぎにIgさんがいらっしゃり・・・
というところで母がいきなり豹変。
さっきまで穏やかだったのにとっても怒っている。どういうことだろう?本当に不可解だ。

そんな感じで母は出かけて行った。
デイで穏やかでありますように、と祈りつつ、行ってらっしゃい、とお見送り。










#介護日記 #日記

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複式学級、味噌甕

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複式学級、味噌甕 複式学級、味噌甕 複式学級、味噌甕 複式学級、味噌甕
6/27/2017







今日は姉の計らいで某小学校へ見学に行けることとなった。
そのため、朝は洗濯&犬たちの散歩を大急ぎでこなして準備し、10時10分前に自宅を出た。
途中、大型ディスカウントストアにて教室内用の上履きサンダルを購入。姉の待つ中学校へは約束の時間ピッタリに到着、姉と合流してから小学校へ向かった。

この小学校は過疎地区にある学校で、全校生徒が12名(!)ということだった。必然的に、クラスは複式となる。補習校でわたしが担当しているのは小学4年生の5人クラス。見学した学校は小3、4の複式で、3年生4人、4年生2人というクラスだった。複式クラスには以前から興味があったので、見学できるのは幸運だったと思う。

印象的だったのは生徒たちの集中力の素晴らしさ、尚且つ、担任の先生の的確な指示。これは、複式学級を継続している(しざるを得ない環境下である)学校運営の賜物でもあるとも思った。一教員の努力だけでは出来ないことだし、生徒たちの自主性を高めるには教員、生徒、そして(たぶん)保護者の理解や協力もあるのだろうなと思った。時間数では圧倒的な差があるとは思うが、補習校と通ずるところがあるなぁと思った。先生方のご厚意で、金曜日にもう一度見学できることとなったので、出来るだけ勉強させてもらい、向こうへ戻ったら他の講師の方々と共有したいなと思う。


見学へ行く途中、海の写真を撮った。梅雨明け間近かと思っていたのだが、もうちょっと先かもしれないな・・という空と海。




 ・・・

遅くなったが母のことも書いておこう。

昨夜、母は少し遅れて帰宅。
長兄からのメロンを切って出したところ、まだ完全に熟していなかったようで、皮付近が母には硬すぎたようだった。途中、外側をもっと深く切り落としてあげた。もうちょっと熟させてから切るべきだったーーー残念(中の方はとても甘くてジューシーだったけど!)。

帳面より「排便なし」という記録だったので酸化マグネシウムを1錠あげた。この方法でちょっと様子観察。
メロンのせいか後半、母は酷く噎せ込んだ。用意していた酸化マグネシウムを見た母は「これは胸のゼーゼーを取る薬?」と聞いてきた。やや躊躇ったけれど「うん」と答え、のんでもらった。

母、自ら「とぅくばってくり」と、8時半過ぎにベッドへ。噎せ込みを心配したが、ベッドに横になってからは落ち着いたようで、ぐっすり。

10時45分、母に呼ばれる。はっきりと「トイレ」と言うので、誘導する。
母、尿取りパッドに失禁なく、トイレで排尿。やっぱりちゃんとまだ尿意はあるのだな、とあらためて思う。
これで後はぐっすりと寝てくれるといいが・・・と思いつつベッドへ戻した。

が、昨夜の母はーーーーー忙しかった。

11時過ぎから3時頃まで、何度も何度も呼ばれた。1時半だったかな?もう一度トイレへ誘導するかと思い、ベッドサイドに座らせたのだが、「何をしたらいいの」という母に拍子抜け。トイレへ行きたいわけではないのだと知り、「眠っていいよ」と、また横にする。

ところで、昨夜の母はどうやら朝食の準備をしなくては・・という強迫観念(夢?)があったらしい。しきりに

ミソばカメちうつさんば
はがま ちかわさんば
あしゃばん あんな〜

後半は明らかに目をつむったまま繰り返すので、大丈夫、全部準備できてる、安心して朝まで寝てください、と答えておいた。

いやはや・・・おかげでわたしは眠れなかった。自分のベッドと母のベッドとの行き来で忙しい忙しい。

朝、そのことを姉に話すと、そういう時、姉は母のベッドの隣に布団を敷いてそこに横になり、母が呼ぶと起き上がらずに布団の中から(生)返事をするのだそう。母も寝ぼけているので、それで大丈夫なのだと言う。そっか、、、じゃぁわたしも今夜からはまた布団にするかな・・・と思う。


今朝、6時起床。母の声で目覚めたのだが、わたしが起き出した後、母はまた眠ったらしい。ゲンキンな母だ。
珈琲を淹れてほっと一息。
その後、6時35分頃に母が目覚めたので、声をかけて車椅子へ。
モーニングケアをして、パンを少々とゼリーをちょっと。夜中の母とはまるで別人。ゆっくりと十字を切り、手を合わせて目をつむり、心の中でお祈りを長いこと唱えてから、いただいていた。

お迎えが来たのは7時10分頃か?oさんが丁寧に声をかけてくれて母の表情も和やかだった。
行ってらっしゃい〜。
母の心が平和でありますように。
















#介護日記 #日記

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