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心の声

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10/04/2019






これまでにも何度も食べたことのあるものについて、「こんな魚食べるの初めて。これはなんて魚なの」と聞いてくる超高齢の母親に対して、「これは○○だよ」と普通に答えれば良いところを、なんだか悲しくなって、(何度も食べてもらったじゃないか、これは○○だよ)という心の声を表に、しかも苛立ちまぎれに声にしてしまう、という某ブログの作者の記述に、生前の母のことが思い出された。


母の認知障害は徐々に進んでいたのだが、帰郷した折からどんどん進行していったように思う。

あの頃、まだ島に帰る前の母は、何度も同じことを話したり聞いたり時に怒ったりもあったが、外界との接触はそれなりに出来ていた。外食など、出かけることを頑なに拒むようにはなったが、デイには毎日通えていたし、お気に入りの介護士さんもいたりして、笑顔も多かった。

わたしは毎夏、母の介護(の真似事)のために2か月ほど帰国した。母に会いたいのはもちろんだったが、わたしが一時的に母と一緒にいることで、姉たち(あの時は姉3がメインだった)のレスパイトになれば、という思いだった。

ある時、母が祖父のことを訊いてきた。
祖父はもちろんもう亡くなっていて、その時の母の口ぶりからすると、母はタイムスリップしたかのようだった。確か、病床の祖父のオムツをちゃんと確認してくれ、といったことだったと思う。
わたしは母に「わかった、確認しておくからね」というようなことを答えた。
すると姉3がすかさず、「なんで母ちゃん、じゅうはもうおらんがね」と言った。「じゅうはモリシタがね」
母は一瞬きょとんとした顔をしたがあまり意に介さなかったように思う。

後になって姉3はわたしに、母に嘘をつくべきじゃないような気がする、母にちゃんと話せばわかるのではないか、忘れているだけだから、もう死んでいないんだよということを思い出させればいいんじゃないか、というようなことを言った。「なんでもかんでも、そうだね、と言うのは、ちょっと違うような気がする」

あの時、姉3にそう言われて、あぁ確かにそうなのかもしれない・・・と思った。元看護師であるわたしは、母のそういった言動に、あまり深く考えることもなく、母に合わせて答えていた。マニュアル的だったと言っても良い。
思い返せばあの頃、母と一時的に同居していた姉1もそうだった。姉1もまた看護師だからか、母と接する彼女は、穏やかで優しく、母の言うことに異を唱えることはあまりなかったように思う。もちろんそれは、全て母の思い通りにするということではなかったが。

姉3の言葉から、自分は母を「認知症のある母」としてしか接していなかったのかもしれない、と反省した。母は母なのだから、母として接するべきだ、と思い直せたきっかけでもあった。姉3の言動すべてが正しいとは思わない。でも、間違いだとも思わなかった。


そんな姉も、母が帰郷しいよいよ認知障害が進んでくると、母との対応が変わってきた。母は母なのだが、それだけじゃなく、認知障害を持った母として、母の心の安寧を最善として対応する。
そんな姉3の変化が感慨深く、自分自身を省みることにも繋がった。


母がアルツハイマー型認知症と診断され感情の起伏が激しくなり、デイにも行きたがらず、かと言って家にいても「家に帰りたい」と訴えるようになった頃、わたしたち姉妹の母に対する接しかたは、いわば足並みの揃ったものだったと思う。

が、長兄は違った。
兄は娘らに母の介護を任せている罪悪感もあったのか(いやもちろん素直に母に会いたかったのもあったのだと思うが)、時々母の様子を見に他県から帰省し何日か滞在した。そして、母の言動に対しいちいち「また同じこと言ってる」とか「わからんわけないだろう」とか、そんなことをのたまっていた。その度わたしは(母のいないところで)、「兄貴、母ちゃんは認知症なんだからそういうことを言わんで」と言ったものだった。


あの時、兄はきっと悲しかったのだろうなと思う。母が、どんどん母でなくなっていくのが辛かったのだろう。
ある晩、友人らと飲みに出かけた兄は酔っ払って帰って来て、眠っている母のベッドの傍に跪き、「おっかんよー、おっかん、○○どー、わかるなー、わかるだろー、おっかんー」と言って、泣いた。「兄貴、母ちゃんせっかく寝たから起こさんで」と言いかけたが、そんな兄の姿に何も言えなくなった。

「ユックらって!ぬっちゅんニンギンかい!なんや長兄ど!」

そう叫んだのは母だった。
驚いた。心底、驚いた。
酔っ払って帰って来てムガル兄を諌めたのは、紛れもない母だったのだ。


翌日、そのことは兄も母も、どちらももう忘れてしまっていた。
でも、このことでわかったことがある。
認知症といってもその魂は確かにそこにあり、認知障害に常に侵されいるわけではないのだ。
あの時母は、母の魂の、心の声を出した。


(でもユックライは、、、、ユックライ兄の魂はそこから抜け出ている。
母と泣きながらでも話したいのであれば、酒の入っていないときにするべきだ。

まぁ気持ちはわからないでもないけれどね。)













#介護日記

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