<阿佐ヶ谷の記憶・NO4・世尊院>
5月
17日
小学校4年生の時・同じクラスの(高橋さん)が境内に住んでいた。
お父さんは何をされていたの((かくれんぼ)で遊んだ記憶が読みがった。
HPを見て初めて知った。
中杉通りが完成する前は突き当りだった。
ご両親は何をしていたのか分らぬが同級生の高橋さんが住んでいた。
当寺院は、1429年頃にそれまで阿佐ヶ谷の地にあった宝仙寺(この頃に中野坂上に移転し、現在に至っている。)の子寺として創建されたと言われている。
江戸時代には除地450坪を賜っていた。
かつては天祖神社(現・阿佐ヶ谷神明宮)の別当寺で、祇海という名の住職の時代に、お伊勢の森(阿佐谷北5丁目)にあった天祖神社を寺の隣に移したと伝わる[
また、天沼熊野神社の別当寺でもあった。
現在の本堂は1935年のもの。1973年に傍を走る中杉通り建設のため現在地に移築された。
現在では中杉通りを挟んで東側に本堂が、西側に墓地、観音堂などがある。明
治時代から大正時代にはかつての杉並村の役場が当寺院の境内に置かれたこともあった。