<阿佐ヶ谷の記憶・No2>
5月
15日
1896年(明治29年)
SDA教団(プロテスタント系キリスト教)の宣教活動開始。ウィリアム・C・グレンジャー宣教師来日。
2年後、東京麻布に「芝和英聖書学校」開校。
1919年(大正 8年)
東京杉並村天沼に(天沼学院)開校。小学、中学、高等部を併設。その後(三育学院9)名称を変更した。
明治30年頃・会津若松市郊外で農業の祖父孫太郎(3バカ兄妹)が、入信して東京との2重生活を始めた。
子供たちは全員小学校入学時から東京での生活・・多分全員杉一で学んだらしい?)・小生の大先輩になる。、
中学は姉3人が(女子学院)・兄と母親が(天沼学院)・弟と妹2人は立教で学んでいる。
いずれもキリスト教関係の学校です。
母親の話では、上京したころの阿佐ヶ谷近辺は、地名が示す起伏に富んでいてあちらこちらに(池・沼)が多く、タヌキ・キツネなどの小動物を年中見られた。
土地の価値もなかったようで(祖父の弟・深沢孫次)が寄付して現在の(病院と教会の敷地)が購入できたようだ。