<父親の命日>
5月
11日
その日を境にして小生の人生が激変した。
ドロップアウトして、大人の世界に仲間入り・神谷バー等で飲食・ワルの先輩達に誘われて<闇の世界や極右の世界>を覗いて歩いた。
15歳の超早熟の異端児は、どこでも可愛がってもらった・
大日本愛国党・赤尾敏総裁の演説手法などは・・内容の是非に関係なく影響を受けた。帝政ロシアは・・
学力は中学校卒業時のまま・高等教育を受けていないので・まともな文章などを綴れない・講師で呼ばれることもありますが・実体験からくる内容が主なので・怪し気に受け取られることも多い。
恵まれたのはいつでも父親世代の方々に引き立てていただいたので同世代より一早く情報を得ることができた。
27歳で独立・都立長沼公園用地買収を手始めに・
日本列島改造論の土地ブームの30歳代前半・・行政のトップ(町村長)を口説いて
牛久町と第3セクターで工業団地・
伊南村(常総市)大規模住宅団地・
双葉町(甲斐市)双葉ゴルフ場用地
<猪武者>と注目されて・・華々しく動いたが悪夢の<オイルショック>に巻き込まれ全てを失って以後は黒子に徹している。
話には聞いていたが・・破綻したときに大方の取り巻きが<蜘蛛の子が散らすように逃げ出した> 金銭で買えない貴重な経験を得た。
父親は、超真面目な堅物・繊細な性格で几帳面・・小生とは真逆な性格だった。
長生きしていたら年中親子喧嘩が絶えなかったと思う
<勘当・二度と敷居を跨ぐな・・親子断絶>・・
念願のアメリカのハイスクールに通学できたかも?
写真を見ながら・記憶の乏しくなった父親像を探っている。