<終末を自宅で>
1月
20日
ベランダ側のカーテンが閉まっていたのが、なんとなく気になった。
月初めの朝近所の知人宅を、カレンダーを持参して訪問した。
扉を開けた母親が憔悴しきった表情で・DRから娘の命は・2~3日と言われた。
何かあったら手伝うから・と激励して帰宅した・帰宅後
昨年1月11日・乳がん患者の娘さんと暮らしていた知人の様子が変なので・民生委員・保健師さんに援助を依頼した。
即・保健師さんが今から行きましょう・知人宅を訪問・小生は紹介して引き上げて来た。
その後は、保健師さん・看護師さん~訪問DR等がチームを組んで、定期的に訪問介護をしてくれていた。
小生や多くの人が・・何度も入院治療を進めたが、病院と過去の軋轢や当人が末期症状と自覚していたので入院を拒否され続けた。
時々会うと短い会話の中で<ブログ>見てます・・面白いこと書いていますね・・
貴女もやってみない・胸に痞えているこを吐き出すと楽になるよ・・
優等生で生真面目だが・・繊細な神経がご自身を追い詰めていったようだ。
一度ゆっくりバカ話をしないと申し込んだが笑ってかわされたまま・・
保険師さん他のスタッフが終末の相談もしてくださっているので・時どき愚痴をこぼす母親にも・皆がで支えてくれいるので・任せておきなさい・忠告している。
昼に行きあったら朝DR来てくれた・処方箋を書いてくれたのでこれから医療センターに薬をもらいに行ってくる。
2~3日が延びたので・<春>まで持つといいのだが・期待していた。
自分の娘だろう・大変だろうが・がんばれ母親・・声をかけた。
<がんばるから応援してね>元気な声が戻って来た。
来週は、寒波襲来・・少しでも頑張ってほしい・・
取り留めないことを綴っているうちに切なくなって涙が出て来た・・
鬼軍曹と言われてきたが・やっと人様の心が少し見えるようになりました。