<不動産業界の恩師> 大都リッチランド~秀島 豊社長 昭和40年12月~3年余りの闘病生活から抜け出し<排水の陣>で、東京に戻って来た。 昭和41年1月に別荘地を販売していた<大都>に、入社し不動産業界1年生になった。 新聞広告で<初任給3万円プラス高額の歩合給>につられて、不況の<証券会社・保険会社>等からの転職組が大半だった。 年齢も大学新卒から50代までバラバラでした。 毎月<営業職>を、大量募集(50名以上) 1週間の研修を終わると大半が離脱して残るのは半数いない・・ 泊りがけで<那須・塩原>方面に、現地見学~案内練習をすると、残るのは10名弱 <熊や猪>が出てきそうな<原野及び山林>にブルを入れただけの現地、 勿論水道は無い~<自家水道・可能>と宣伝。 ちょっと掘っただけでは井戸水はでない?? 社内の動向を観察していると不思議なことに新人は成績が上がる。 保険会社の女性営業員と同一で <親類・知人>を、一回りして終わり・短期に行き詰まって退社の繰り返し・・ 小生は当初から2~3年一生懸命勉強して独立したいと公言して入社したので<空手形>では、退社しないと決めていた。 慣れない<飛び込み営業>何度も挫けそうになったが、頑張った。 3ケ月後、同期の生き残りの中で一番遅く<契約>ができた。 社長室が開いていたので<秀島社長>に初めて契約ができました。 ありがとうございましたと・・謝礼の挨拶をした。 翌日の朝礼で社長が、当社では初めて<契約が取れたと報告~謝礼>に来た者がいる。 1本の契約は上司・運転手・現地の社員等大勢の力で成立していることを忘れてはいけない。 8月に結婚した時は案内を出していなかったが、カメラマンを連れて<飛び入り>で式場に来られ<挨拶>をされた。 <新婚旅行はどこに行くのだ> 明日現地案内があるので行きません。夏休みに予定しています。 式に列席していた上司に代わりに担当を変えて休暇を取らせなさい。 <車を出すから好きなところに行って来い・・・社長命令だぞ> 式の後に急遽予定を変更して自宅に戻り、近くの山宿に出かけた。 その後社長直轄の<調査課>が編成され<社員教育・実地調査・案内コース選定>等の、業界人の礎となる部分を徹底的に勉強させてもらいました。 不動産業界で50年近く泳いで来られたのは、若い時<裏方修行~苦労は買ってでもしろ>の基礎教育の賜物です。 1年後会社に反旗を翻し<七人の侍>で独立しました。 <立鳥後を濁さず>とはいかなかったのが残念です。 数年後業界の会合でお目に掛かり<挨拶>に行くと<立派になってよかったな・・うちの卒業生だからな?>笑って迎えてくれたのには感謝~感激でした。 一生忘れられない一時でした。