器の中身をこころで洗い流し 理論が空っぽになったところから 始まるのかも知れない なるべく真っすぐで 単純に打ち込み損得もないのがいい 時間はそんなにあるわけでもなく ひとの微笑みを大切にできる場所に 僕らがいることが素晴らしい そろそろ動き出す時がきた 自分でその世界を作っていこう なに残すわけでもなく 消えてゆく美しさのために 僕らは生きているのが素晴らしい なるべく真っすぐで 単純に打ち込み損得もないのがいい
がらがら電車の中 投げ出した足 受け入れたルーズ 心ゆくまで入ってくる 景色は風になびく稲 歌ってしまうよ青い空 僕の 君の 想い出の 微笑みの 涙の 先の 物語りが見える気がして 階段を降りた閑散 丸い花壇の元気 入り口のリラックス やさしい時間に佇む 風の背を押す道 新しい街は静かに光って 僕の 君の 想い出の 微笑みの 涙の 先の 物語りが見える気がして
なんだか今日はiPadが重たくて、肘あたりがピンピンと痛みが走る。その慣れた痛みは、腕を伸ばし右左に腕を捻るとポキポキと鳴らし落ち着く。問題は身体のことではなく精神の方に今ある。何もかもつまらなくなり何のために詩を書くの、的な負の誘いが手招き。それをモチベーションが彷徨う、と私は勝手に言っている。詩を書けば自分が救われるのはわかっているが、これを無いものにしたらどうなるのか、そんな思考へと繋がり。駄目になってしまう自分に酔い痴れたくなるのか、この感覚は幼い時からあり、愚かだと感じてしまっても入り込んでしまうのである。例えば砂を使い棒倒しで遊んでいる時、棒を倒してしまいたい衝動に駆られ、それでいてああどうしよう本当に倒れてしまう、と避けようとして砂を欠くようにはするが想像通りの悲しい結果。棒を倒してしまうという強い連想が、悲劇を好む場面を回避できない。倒す行為で駄目な自分を愛してしまう、書けない自分に通じる感じであろうか。そして、結果を見ればやはりショックが大きくて、自分の撒いた画鋲に自分がわざと刺さってしまうのである。重なり襲うショック。 しかし、いつの日だったろうか、そこから抜け出す方法を見つけたのだ。それは、意外と単純なことで解決する。無理矢理に今の気分を言葉にしようと始めると、ハマり屋の私は集中して作品を綴る習性モードに入り、止められない止まらない、って感じで楽しみだす。詩の場合、その趣が負へ進むものだろうと正に進むものだろうと自由なので、救われてしまうのである。集中が邪念を消し去るといったスタンダードな解決策を施すのであった。やる気スイッチが入っていないと言葉を連ねることは無理である。スイッチの入れ方は無理矢理に手を伸ばし書き始めることであった。そして今、それを書き終えようとしている。
アアイウものへ ソウイウものへ 雲の羽持つ 得体の知れぬ コウイウものへ ナリタイものへ 空が落ちて 海が飛んで タノシイものへ カナシイものへ 青春知らずの そこの青春 ドギマギしてる ソワソワしてる ナンダコリャ 俯く太陽 アアイウものへ ソウイウものへ 引っかかった 飲み込む針 コウイウものへ ナリタイものへ 飛び出して 浮かんだ鱗 バタバタしてる ゾワゾワしてる ナンダコリャ 萎んだ月 ソンナもんさ アンナもんさ 俺は俺の コンナもんさ ソンナもんさ アンナもんさ 俺は俺の コンナもんさ アアイウものへ ソウイウものへ ソウイウものへ アアイウものへ ソンナもんさ アンナもんさ コンナもんさ ドンナもんさ
マニアにしか受け入れられない詩 そこへ向かって行く詩人 ぜんぜん否定なんてしませんよ 詩は自由なのですから 思うように表現すればよいと思います 〇〇賞を受賞して光の当たる詩 そこへ向かって行く詩人 ぜんぜん否定なんてしません 詩は自由なのですから 心ゆくまで表現すればよいと思います どうでもよいのです詩だから 自由に育まないと楽しくないですね なるべく多くのひとに受け入れられる詩 そこへ向かって行く詩人 ぜんぜん否定なんてしません 詩は自由なのですから 思うように表現すればよいと思います 描く世界がすべて無料で読める詩 そこへ向かって行く詩人 ぜんぜん否定なんてしませんよ 詩は自由なのですから 心ゆくまで表現すればよいと思います どうでもよいのです詩だから 自由に濡れないと涙もでないですね
グータラな毎日 このままじゃ駄目なことは 自分が一番わかっているんだよ 夏休みも終わってしまうし なんせ退屈だから よしゃ 目的のない旅へ出よう だけど 旅先で夢を見つけて将来に向かってGO そんな考えは微塵もないよ とりあえず歩き出した旅は順調 こんなに空を 見たことがあっただろうか 心のように黒ずんだり どこまで爽やかな青だったり 空は僕たちと変わらないような心もようで 寄り添ってくれることを教えてくれた テントを張り 眠る前に夜空を眺めていた 星は誰かが言ったように 宝箱をひっくり返し輝いている そんな夜空を見ていても 風で草が摩る音を聴いていると 人恋しくなってしまって 今日の一日を振り返える すれ違う見知らぬ人に 声なんて掛けることはできなかった ほんとうは誰かと話がしたかったのに 初めて知る孤独という言葉 僕が心を開かないと何も始まらない そんなことを旅は僕に教えてくれた 日は当たり前だが昇って くすぐるように僕を起こした いい天気ですね 田植えをするおじいさんに言ってみた 僕の勇気を振り絞った声は震えていたけれど ああ、お天道様のお陰じゃだなあ おじいさんの言葉は僕にとって この空より遥かに澄んだ青を感じた おばあちゃん 荷物が重たそうだね 持ってあげるよ 僕は悪い人間じゃないから大丈夫 ああ、そうかい ありがとうな じゃあ、神社の前までお願いするわ おばあちゃんは お礼にキュウリを三本もくれた 何よりも忘れられないのは その時に触れた皺くちゃな手に 癒されていたこと ひとの温かみから大切さを教わった まだ僕の旅は始まったばかり 旅が僕にいろいろなことを教えてくれる 日常の日々も旅も もしかするとたいして変わらないのかも そう思えてきた でも もう少しこの旅を続けてみよう もう退屈なんて言葉は他人のごとのように
術後、リハビリを兼ねて東京ポエケットへ。 出展された詩集を手にすると、 その詩集の著作された詩人さんがいたりする。 ちょっと恥ずかしい感じはするが、 こんな素敵な出会いがある詩集の購入は、 やはりこのような場でしかないだろう。 帰宅時、ツイッターをみて ああ、あの方の詩集をスルーしてしまった、 やってしまったな、 そんなこともあったが、また機会があるだろう、と。 そうそう、詩の世界を広げるためにどんどん外へ出かけよう。 そう思った東京ポエケットだった。 それと、一番の収穫は私と同じようにネット詩の掲示板、 ツイッター連携を担当されている方とお話が出来たこと。 お互いの掲示板の雰囲気、投稿者のコメントや反応、 コラボ出来たら素敵ですね、など短い時間でしたが たいへん励みになるお話ができ、やる気を頂いたという感じです。 いや〜、東京ポエケットに行ってよかった!
アスファルトからは蒸せる笑気 ケラケラとした思考に苛つく汗が落ち 身体と生活と精神と夏とのバランスが 映像の中から崩れていく 身体の穴ㅤ生活の穴ㅤ精神の穴 拡げられた穴はやがて無念の筒になり 魂は囲繞された壁に弾かれ 軒下から チリンㅤチリンㅤと鳴らして 有ったモノを無にして進む 残酷に慈悲はないと雨は降る 知らしめようとする自然 我々はただ チリンㅤチリンㅤと鳴らして チリンㅤチリンㅤと鳴らして (何か出来ることはないか、行動が大事だ)
遮られる空には 狭く収まろうとする毎日があって 僕はそれでも見ていたい可能性に乗り 何処までも想像の青を夢みる 苛立ち細める眼の中には縮んだ世界 誰かに教わったはみ出さない教え 心は隙間を探している 流れる処に流れて行く 納得の溝を進むことは難しいけど いつかは辿り着く流れの果て 海の青を下にㅤ空の青を上に
午前三時の孤独を抑えきれず 街へ飛び出してみれば 閉店後の遊園地のように閑散 コンビニストアの明かりまで怪しい 握ったアルコールは不味いが 流し込むしかない もう行き場所などないのか 捨てれぬこの身のやるせなさ 他人に疲れ自分に疲れ ひとはそれでも生きてゆけ、と言う だがその理由も上手く説明されない 得意げにグルグル回っている世間 ひとりになると暴走する制御たち 追いつけない速さで逃げる 転がる潰れた空き缶 最後の一滴がよだれのように垂れ 孤独に満たされた口は閉じる うつ伏せの痛みもなく アスファルトの温もりに抱かれ 空に光が混ざりだせばやっと見つけた 此処で瞼は重く降ろされて行く