10月
28日,
2020年
ん?
あ、岡山国際サーキットで開催。
宿が、あれれーっ!?
お城が見えるぞぅ?
あれは姫路城?
わーい!
岡山のレースで姫路城見られるぞーぅ?
10月
27日,
2020年
天一のち、チャリダー
やーぁ。
やっぱりたった少しでも身体を動かすと、なんだか気分が軽いな。
とても天一でG定ライス三杯の後とは思えない胃の軽さ!(笑)
帰宅したらやっぱり腹は減るもんな!
よし、飲むか。
10月
26日,
2020年
MOTO GP 第12戦テルエル・アラゴン決勝
(`艸´;)嗚呼あゝっ!!ですよ、ほんとに。
っていうか、やっぱりな・・・っていう。
黒光師匠が言うように、確かにポールを獲れるトコロまで上がって来たのは事実。
ただし歴戦の、しかも表彰台経験者達が後ろに控えている状況で、仮に転倒が無かったとしても、ポジションを維持しきれる事は、、ねぇ。無かっただろうよ。
相手の方が一枚も二枚も上手だから。
まさに黒光師匠の言う、だからこそオープニングラップから抑え込む必要性を感じたのかもしれないけど、明らかにラインを大きく外してしまうほどのリスクを考えれば、ポジションダウンしても手堅く終盤までチャンスを窺う戦術に切り替えるべきだったし、実力差が拮抗した、混沌とした時期だからこそ、マルクが弟に「1位は狙うな」っていう、なんともレーサーに対して切ない助言をしたんだと思うんすよ。
このアドバイスは、全ての発展途上中レーサーにとって大変奥深い一言っすよ。
アレックスもガミ選手にしても、まだまだチャレンジャーだから。きちんとチェッカーを受けなくてはならない。それが最前提っすからな。本人も痛いほどそれは理解しているだろうけど、今回取りこぼした物は優勝以上に大きい。
トップレベルのライダーとのトップ集団でのレース運び、という経験の引き出しを作れなかったすからな。
みんな優勝したいのは一緒だけど、そこは冷静に自分の立ち位置を分析せざるを得ないこともある。もちろん、当事者にしてみれば「行ける!」と思って行ってるんだろうけど。
外野は好きな事言えるんだけど、兄マルケスが弟アレックスに言い放った今回の助言は、厳しくもプロとしての、とても愛情深さを感じずにはいられないっすよ。
そんなこと誰も言ってくれないし、仮に言われても他人なら喧嘩になって終わるのが関の山。
レーサーはプライド高い生き物っすからな。
しかしまあ、ひとつレースが終われば次のレースに切り替えるしかない。
ガミ選手も既に切り替わっているだろうよ。
本当にガッツを示すのはこれからっすからな!実力示すために、何度でもポールを狙いに行けば良い。
狡猾かもしれないけど、強敵が一人でも二人でも居ないうちに手堅く記録を残すことも、プロのレーサーなら必要な事っすよ!卑怯でも何でもない。
次戦に大いに期待!!それしかない。
10月
24日,
2020年
ロシナンテ、目が!
軽く7カ月以上は乗ってないすよ。しかも、通常メンテもロシナンテ・インテグラーレ號に関しては完全な放置プレイ(笑)
だって。カブだもん。
いや、しかしエンジンは弄ってるから、季節の変わり目とかはキャブが・・・・。
なぁんてね、心配してないっすけど。
前回他の車輛の定期メンテのときに、エンジンに火だけは入れてあるしね。
唯一、急な出撃で気になるのはタイヤのエア。
計測はしてないけど、ちょっと抜けた気はするが・・・。
走行抵抗減らすために、もともと規定値の3倍近く入れてあったからなぁ(爆)
抜けて丁度、メーカー指定の適正値な感じ?
ドルンドルンっ!
あー、こんなにうるさかったけか??
放置プレイでも、ちゃんと動くからスゲーよな!まじで。
・・・・。??
あれ?
嗚呼あゝ!!ライト切れてる!!!
しかもロービームが切れてる!!
日中は、さもライトオフな感じでバレないけど、暗くなってからはなぁ。
いやいや、昼間もライトオンが基本ですよ、知ってますよ。
でも仕方ねえ、交換してる時間も部品も無ぇ。
そん時はハイビームで走ってやる!!
ごめんよ!Mr.スマナイが通りますよ!!
あー、バイクは楽しい。前のヒトちょっと眩しかったかもだけど・・
スマナイ。
10月
23日,
2020年
ル・マン24時間レース 回顧録⑤
この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。
その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。
※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする
※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・
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【序章-5】
この物語の主人公Y氏。今回は少し視点を変えて、Y氏を傍で支え続けてきたF氏と共に、2013年の参戦当初から一人の先輩レーサーとしてアドバイザーを務め、かつ、現役のドライバーとしてY氏と共にタッグを組んで耐久レースに出場したM氏について触れておこうと思う。
M氏もまた、F氏と同じトヨタワークスで日本のレーシング黎明湖から活躍してこられたレーサーである。F氏からすれば後輩にあたるらしいが、我々世代からすればどちらも「伝説」のドライバーと言うことになる。
F氏の場合はイギリス時代のボスなので主従の関係性にあたるが、M氏の場合は自分が担当したドライバーという関係性であるため、同じ時間軸のレースを「共に戦った」という、誠に貴重な経験をさせて頂いた。
お気付きの方も居るかもしれないが、トヨタワークスで走っていた、というトコロからも、2013年から時点でのM氏は既に世に言う高齢ドライバーにあたる。
当時は60代後半という年齢のハズなので、高齢と言う言葉が適当かどうかは判断に欠くのだが、もうすぐ70代に手が届くレーサーであったことは確かだ。
だからと言って、その辺は流石プロレーサーである。
ひとたびレーシングスーツを着てマシンに乗れば、闘争心やドライビングの勘どころは、そんじょそこらのレーサーよりも格が上なのである。
「海千山千」とはよく言ったもので、レーサーとしての運転センスは、間違いなく現役そのものだった。
これは、真横で直接担当してきたからこそ、の率直な感想である。
ただしレーサーとしては、高齢ゆえの面白いエピソードもある。
「歳をとると堪え性が無くなっちゃうんだよ、コーナーで競り合ってても、昔はコノヤローって負けん気だったけど、なんか面倒臭くなってくる時があるのよ」
笑ってそう言い放つM氏に、正直だなぁ・・と、ウケながらも人間としての器の大きさを感じた。
そんなM氏は、ル・マン24時間レースの日本人初クラス優勝ドライバーでもある。
このことからもY氏がル・マン24時間レースへ出場するには最高最適なサポーターの一人であったことが分かる。
日本人として初のル・マン24時間レース出場ドライバーでありながら、数々のル・マン車輌を手掛けてきたF氏に、日本人として初のクラス優勝ドライバーのM氏。
ル・マン24時間レースの厳しさと表裏一体の甘美を知る心強いバックアップ。
こんな布陣、なかなかそう実現するものではない。
ところで先回の記述に、Y氏の出場した耐久レースで、重量のハンディについて露呈したという事を書いたのだが、実はそのコンビドライバーこそM氏に他ならない。
年齢がどうかは別として、体格的に背はそこそこあるが体重が無い・・・。
たしか、その辺でダイエットに勤しむ女性よりも軽い体重だったと記憶している。
これがどういう事か。
せっかく「超」がつくほどの軽量化に成功したものの、規則上、車輛の最低重量は<どのドライバー乗車時であっても>保てなければならない。
つまり、女の子より軽いM氏の体重に合わせて最低重量を合わせなければならず、この時の耐久レースでは約20キロ弱のウエイトを積むハメになった。血眼になって軽量化に成功した車輛にウエイトなんて!!
かと言って、ドライバー交代の度にその邪魔なウエイトを外す訳にはいかないから、Y氏乗車時にはことさら足枷にしかならないのである。
しかしながら、耐久に有りがちなドタバタ劇もそこそこに、この耐久レースでは見事優勝を飾り、今となっては苦しくも楽しい思い出である。
そしてその後の雑誌取材で、この時のレースをM氏自らが「一番楽しかったレース」と称してくれたことが、パートナーとして携わった者としては最高の名誉でもあるのだ。
<つづく>
10月
22日,
2020年
ポーランドのお菓子
それほど関わりは無いよなぁ。
ところがル・マン24時間レースでコースへ行くと、ポーランドのチームとホスピタリティーブースがご一緒(笑)
ケータリングとかもポーランドからのシェフが、レースウィークの間ずっと世話してくれていたっすよ。
それが、実はこのフランス滞在中で一番美味しいシェフだった(笑)
ポーランドの味付けなのか、チームの好みなのか?それは分からないけど、ポーランド料理からアジア風、ヨーロッパ風各国料理を出してくれたけど、どれも最高に舌に合ったすよ!
で、ポーランドチームの入り口に、「良ければどうぞ」的な振る舞い菓子が置いてあったので、食べてみたら、これが美味い!
キャラメルのような見た目と味なんだけど、食感がジャリジャリというか、カリカリというか、そしてトローン…
新食感!!
今日、改めてアレがどういうお菓子だったのかを調べてみたところ、どうやらポーランドの伝統菓子だったらしい。
酪農大国のポーランドが誇る、乳製品を使ったお菓子。
「クルフカ」
これ、なんか郷愁を誘う風味なんすよ。
紙で包まれてる辺りなんかも。
どっかで買えないか?