ル・マン24時間レース 回顧録⑮

新型感染症が世界的に深刻な被害をもたらした2020年。
この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。
その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。
※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする
※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・
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現在2023年、2020年ル・マン24から4年目を迎えようとしている。文章を一気に書いていると燃え尽き症候群のようになってしまい、前回から随分時間を経てしまったが、記憶をしっかり記録として残せるうちに少しづつでも進展させようと思う。

【補足】
1991年のル・マン24時間レースで、日本人初ル・マン24時間レースクラス優勝の偉業を成し遂げたM氏。そのことについは度々取り上げているが、その時M氏に帯同していた当時のメカニックS氏(現在は某レーシングチーム代表であり、関係者なら良く知られる方である)と食事をする機会があり、2020年ル・マン24時間レースに参戦に至る経緯や、私の知らなかった事実などを知識共有できた。

Y氏がアジアンル・マンシリーズ、およびヨーロピアンル・マンシリーズに参戦していたLMP3クラスマシン・リジェ(JS P3)はどうやら3台購入していたらしい。
知らなかった・・・。驚きである。

しかも、さらに驚いたのが・・。
実際にLMP2カテゴリーに昇格してから使用することになったリジェ(JS P217)は2台購入していた(1台は万が一のバックアップのための、いわゆる「T-car」)というのだ。

その話がほんとうなのであれば、プロトタイプマシンを合計5台購入したことになるわけだが、いったいいくらの予算を使っていたのか?もう、想像に絶する額であることだけは間違いない。

ちなみにリジェの公式発表では一台あたりがこのような販売価格となっている。
● LMP3 / JS P3:
 207000 € excl. VAT (ready to run excl. options)
●LMP2 / JS P217:
 490000 € excl. VAT (excl. engine, electronics and options)        

レートの変動を考慮すると正確には日本円表示できないのだが、これだけでもとんでもない金額だ。それに、実際にはこの「つるし価格」に必要な部品(JSP217の場合はエンジン・電装別途と表記されている)やオプション、消耗品類をすべて揃えなくてはレースには出走できないのだから、その額たるや。全く恐ろしい。

以上、知り得た情報を基に補足しておくものとする。
(つづく)
#ルマン24時間レース

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ル・マン24時間レース 回顧録⑭

2018年8月17日付 ACO... 2018年8月17日付
ACOホームページより抜粋

新型感染症が世界的に深刻な被害をもたらした2020年。
この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。
その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。
※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする
※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・
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現在2023年、2020年ル・マン24から4年目を迎えようとしている。文章を一気に書いていると燃え尽き症候群のようになってしまい、前回から随分時間を経てしまったが、記憶をしっかり記録として残せるうちに少しづつでも進展させようと思う。

【秒読み-①】
2019年のヨーロピアンル・マンシリーズでY氏の搭乗スケジュールが終了した時点で・・実際には残り2戦あったのだが、日本でのレースでY氏とご一緒しお顔を見る度に参戦土産話を聞き、「ル・マンへの出場は可能なんでしょうか?」という問いかけにY氏の「出ますよ」との返答をいただいていたので、2020年度の世界耐久選手権(WEC)スケジュールが発表され、ル・マン24時間レース開催日時を把握した時点で、まだ8ヶ月近くあるものの私は誰にも何も確認せず航空券の手配をした。記録を振り返ってみると、2019年9月24日のことである。

この時点で公式発表されていたレーススケジュールは添付の画像の通り、ル・マン24時点レースは2019-2020世界耐久選手権(WEC)シリーズの最終戦として位置付けられており、決勝レーススタートが2020年6月13日、チェッカーが翌14日となっていた。(2018年8月17日ACO発表)

今にして考えてみれば、「出ますよ」という返答ひとつで見切り発車の航空券購入というギャンブルに至ったことを少し恐ろしく感じるわけだが・・なにしろ公式に出場できることはその時点で何一つ未確認だったのだから。

「なぜ9月24日の段階で早くも航空券を手配したのか」の動機については、明確な理由がある。

通常ル・マン24時間レースが開催されるのは6月中旬。これはこの年まで開催され続けてきたル・マン24時間レース87回分の歴史上、ほぼ例外なく6月開催と世界中で広く認知されている。
そして何と言っても、世界3大自動車レースのひとつである。世界中から膨大な人数の関係者に加え多くのレースファン達も押し寄せる。もちろん日本からも例外ではない。ツアー会社では「ル・マン24時間レース観戦ツアー」なるものも企画されるほどである。

かつての正常な世界観では、ル・マン24時間レースに合わせて数年前からスケジュール調整しておく、などということは珍しい事ではなかったし、もろもろ考えると・・・とにかく現地へ行けなければ全く話にならないという思いから、飛行機だけは何が何でも先に押さえたかったのだ。それに限られた予算で赴く旅。価格、座席の選択肢に於いても早目の手配が功を奏するのは自明の理だ。

飛行機のスケジュールが決まってしまえば、あとは旅程詳細をパズルのように組んでいけばよいだろうと考えていたし、と同時に、先行販売されるル・マン24時間レースの観戦チケットなども手配するために「どこで」「どのように」観戦するのかについて必死にリサーチを始めていた。

なにせ通常のレーススケジュールなら多くて4日ほどで済むものが、ル・マン24時間レースともなれば丸々1週間がイベント期間として設定されている。しかも決勝は当然のように24時間もあるのだ。観客のために、長大なコースの有名なポイントを結ぶシャトルバスが運行され、夜通しで遊園地が稼働し、屋台やらでお祭り騒ぎの1週間である。かつて少年時代の頃から観ていた映像でしか知らない「ル・マン24時間レース」に、自分が実際に行くのだ!という高揚感は言葉に言い表せないものだった。

しかも、あえて触れるなら。
実は、万が一Y氏が条件や選考から漏れて出場出来ない事態になったとしても、チケットを手配して現地へ行こうとも考えていた。こんな機会でもなければル・マン24時間レースに行くこともないだろう。一般観客として楽しもう、そう思っていた。だから、2020年のル・マン24時間レースに対しては「行く」の一択であり、即断即決であってこの時の自分自身の決断には何一つ一点の曇りも無かった。

今にして思えば「暗中模索」のなかで、ひとつひとつ情報を精査しながら、どのような旅程にするべきかについて真剣に考えていた2019年の9~12月末あたりまでの約3ヶ月間は、いちレースファン、マニアに立ち戻れた貴重な時間だった。

それまで同じレース業界とはいえ、エフワンも含め世界耐久選手権やトップカテゴリーレース等は(全く接点が無いわけではないが)別世界だったし、また特に、耐久レースに関してはGr.Cカテゴリーこそ至高という偏見があったことを白状しなくてはならない。
だから、このY氏の参戦にまつわる動向を機に改めて「一人のレースファン」に戻れたこと、そしてル・マン24時間レースへ行くことが自分にとって「ひとつの目標」になったことに感謝する次第である。
(つづく)
#ルマン24時間レース

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ル・マン24時間レース 回顧録⑬

ル・マン24時間レース 回顧録...

新型感染症が世界的に深刻な被害をもたらした2020年。
この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。
その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。
※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする
※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
現在2023年、2020年ル・マン24から4年目を迎えようとしている。文章を一気に書いていると燃え尽き症候群のようになってしまい、前回から随分時間を経てしまったが、記憶をしっかり記録として残せるうちに少しづつでも進展させようと思う。

【始動-まとめ②】
2019年度ヨーロピアンル・マンシリーズの参戦記録をまとめてみた。
Y氏自身のスケジュールや、具体的に2020年のLMP2参戦に向けたチーム参戦計画によりドライバーが必ずしも一致しないことが見て取れる。

先の動画でも挙げたが、モンツァでのクラッシュはLMP3クラスとは言え相当な衝撃だったに違いない。また、その影響はドライバーへの負担になるだけでなく、車輛の修復や次戦への段取りなど多岐に及んでしまうから、古今東西レースの世界では車を壊すと掛かる金額以上に大きなしっぺ返しが来ることがままある。

このシーズンのELMSでY氏を含めたチームがどのような総括を語るのかは当人達でないと分からないが、それでもきっちりとシリーズを戦い抜いたことは素晴らしい戦績に値する。

とにかく、目標はLMP3クラスでチャンピオン争いをすることではなく(そうなれば理想的ではあるのだが)あくまでもステップアップの礎としての通過点に過ぎないことは改めて認識しておかなくてはならないだろう。

そして、アジアンル・マンシリーズが2018-2019という年跨ぎの変則的なスケジュールであるため、アジアンル・マンシリーズ終了後に、すぐ2019ヨーロピアンル・マンシリーズへと矢継ぎ早に参戦していることに注目して欲しい。
(つづく)

#ルマン24時間レース

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ル・マン24時間レース 回顧録⑫

ル・マン24時間レース 回顧録...
新型感染症が世界的に深刻な被害をもたらした2020年。
この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。
その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。
※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする
※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・
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現在2023年、2020年ル・マン24から4年目を迎えようとしている。文章を一気に書いていると燃え尽き症候群のようになってしまい、前回から随分時間を経てしまったが、記憶をしっかり記録として残せるうちに少しづつでも進展させようと思う。

【始動-まとめ①】
アジアンル・マンシリーズの参戦記録をまとめてみた。
この当時、チャンスさえあれば現地へ赴いてみたかった。特に上海やマレーシアのレースは。
富士は行きやすいのだが仕事の都合も有ったし、それに日本開催で取り巻きが大変多かっただろうから、そもそも行こうとはしなかっただろうと思う。
(つづく)
#ルマン24時間レース

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ル・マン24時間レース 回顧録⑪

画像は Autosport W... 画像は Autosport WEB から拝借

ヨーロピアンル・マンシリーズの模様
LMP2,LMP3,GTE各クラスが入り乱れる

新型感染症が世界的に深刻な被害をもたらした2020年。
この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。
その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。
※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする
※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・
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現在2023年、2020年ル・マン24から4年目を迎えようとしている。文章を一気に書いていると燃え尽き症候群のようになってしまい、前回から随分時間を経てしまったが、記憶をしっかり記録として残せるうちに少しづつでも進展させようと思う。

【始動-4】
2020年のル・マン24時間レースにLMP2クラスで出場することを目標に、そのためにやらなくてはならないこと。一番大きな問題は、どう考えてもそこに至るまでに必要になるであろう莫大な経費。下世話な話になるので敢えて触れはしないが・・風の噂で聞いたところによれば、アマチュアレーサーの夢を体現するために使うには耳を疑う金額だった。

しかし、カネさえあれば何とかなる問題でもない。用意する予算を、きちんと目標のために使うための人脈は不可欠だ。世界で戦うには、意外とココのところが難しいのではないだろうか・・。なにせ、悪だくみを考える人間は多い。夢の大きさに浮かれて経費勘定がドンブリになるという例は古くからあるし、それを上手く利用して上前をはねる悪人もいる。この点において、本当に幅広く深い信頼たる人脈に恵まれていることはY氏の人徳によるものだろう。

2018年シーズンのアジアンル・マンシリーズは所属チームがアジアベースだったが、2019年のヨーロピアンル・マンシリーズはイギリスベースのチームへと籍を移し、ヨーロッパのサーキットを転戦しながら引き続きLMP3クラスで車輛慣れの特訓となる。出来ればシード権獲得までを狙えれば盤石ではあるが、その「席」は世界中のル・マン24時間レースへ出場したいチームやドライバー達の超激戦区である。

それこそエントリーリストには、レース好きなら誰もが知っているような有名レーサーや名門チームがズラリと顔を並べているのだから。そうそう上手くトントン拍子とはいかないだろう・・と、正直なところ外から見ていて感じていた。

さて、4月の第1戦ポールリカールから5月の第2戦モンツァへと戦いの場を移した。そして、あの重大なインシデントが発生した。サーキットをレーシングスピードで走っていれば、誰にでも遅かれ早かれその時は必ずやってくる。

クラッシュ。
それも、走行即続行不能に至らしめるビッグクラッシュ。

あとからY氏本人の口から「クラッシュしてバラバラです」とは聞いたが、その実際の映像を見て血の気が引く思いだった。

現代では何年も前の映像やその他記録がしっかり保存されアクセスできるので、その場に居なかった者にとっても追体験の場が提供されていることは非常に有難いことだ。

いま、ご本人が元気でいるから良いようなものの・・
最近のレーシングマシンは規則により安全基準の引き上げが行われており、それこそ90年代以前の大クラッシュ規模でも生還率・生存率が格段に向上した。車輛の安全性に加え、ドライバーの装備品も年々進化している・・とは言うものの、ハイスピードクラッシュによる衝撃は大変なものである。

レースだから「クラッシュ!」とかエンターテインメント性を含め絶叫できるが、クラッシュ=事故であることを認識しなければならない。

さて、モンツァで発生した当時のクラッシュ映像が残っている。2019ヨーロピアンル・マンシリーズ・モンツァ4時間耐久レースでの映像である。
そして私が知る限り、レース参戦を続行するためにY氏はLMP3マシンを2台購入する羽目になったということだ。

レースの神は、時折厳しい試練を与える。

一歩ずつ、しかし着実に段取りをこなして2020年ル・マン24時間レースに出場することが目標なのだから。
(つづく)

※映像はImola(イモラサーキット)となっているが、正しくはモンツァサーキットである
#ルマン24時間レース

ワオ!と言っているユーザー

ル・マン24時間レース 回顧録⑩

新型感染症が世界的に深刻な被害をもたらした2020年。
この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。
その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。
※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする
※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
現在2023年、2020年ル・マン24から4年目を迎えようとしている。文章を一気に書いていると燃え尽き症候群のようになってしまい、前回から随分時間を経てしまったが、記憶をしっかり記録として残せるうちに少しづつでも進展させようと思う。

【始動-3】
2018~2019年のY氏の動向は、記憶にも記録にも自分自身にとって少し遠い世界の出来事であったために、こうして時系列で記録として整理することで、今になっても改めて発見や考察があるのだが、この二年間のことはサラッと触れておきたい。いずれY氏自身や関係各位により詳細を確認して補完しようと思う。

あと、言い訳がましいのだが、ル・マンシリーズというレースは少し変則的な開催スケジュールだったり、Y氏の所属するチーム内のドライバー変更など色々と外からでは分かりにくい状況だったと記憶している。2020年を戦うチーム構成すら、具体的に把握できたのは実はその年の3月や4月あたりだったのだから。参戦していたY氏自身や、コーディネイターとしてシリーズに帯同していた元トヨタワークスドライバーF氏などは、具体的にしっかり把握されていただろうけど、あくまでも外野の立場としてはいつもヤキモキしていた覚えがある。

さておき、Y氏は2019年度はアジアンル・マンシリーズから飛び出し、いよいよヨーロピアンル・マンシリーズに参戦することになる。参加するカテゴリーは変わらずLMP3車輛である。

洋の東西を問わずル・マンシリーズはテレビ中継やメディア露出などがある大きなイベントレースである。しかしながらアジアンル・マンシリーズでは、世界基準グレードのサーキットを使用するとはいえマニアでなければ日本人には馴染みのないサーキットを走る(富士スピードウェイや上海国際はよく知られているが)のに対し、ヨーロピアンル・マンシリーズではエフワンマシンが駆け抜ける由緒と歴史の深いサーキットが舞台となる。

世界を走ることの出来るプロレーサーならともかく、アマチュアレーサーが国際格式の、しかもレースが好きなら必ず名前を知っているであろう憧れのサーキットを舞台として戦えるのだから、そういった話を聞くだけでも胸が躍るものだが、きっとY氏自身も緊張や不安と共にウキウキとした高揚感は有ったろうと想像する。
いや。後年、某自動車メーカークラブ会報誌へ参戦奮闘記を寄稿された際に実際そのように表現されている。以下、少しその記述を抜粋させていただく。

「テレビでしか見たことのなかったポールリカール、モンツァ、シルバーストーンなどの有名なヨーロピアンサーキットを駆け巡ることは大変楽しく、また各国を旅して美しい風景と名物の食べ物を味わったりという別の楽しみもありました」

プロだろうがアマチュアだろうが、レーサーとして走る性分なら、一度は海外の国際格式サーキットでレースをしてみたいものである。きっと誰しもが憧れ、夢に見るシチュエーションだろう。

レース屋として過ごす私自身にしたって、例えドライバーでは無いにしても、やはり世界各国を訪れる際には必ずその地のサーキットへ足を延ばす。これはライフワークと呼んでも相違ないかも知れない。テレビでしか見たことのないその場に立つ、しかも見て、聞いて、感じるだけではない。Y氏はレースに関わる者なら羨むその場でレースをするのだから、本当に夢のような世界だ。

とは言っても、それは外野だからそんな呑気なことを言って居られるのであって、実際には多忙な仕事のスケジュールを調整しながら参戦し、いくら憧れのコースであってもピットガレージとアスファルトの景色はどこも似たようなものだし、レースウィークに求められる「やらなければならないこと」も毎度お馴染みのルーティンとなる。これは結局のところ、日本でも世界でも「やることは同じ」ということになるのだが・・・。



ただただ旅行で訪れるだけのご陽気さんとはワケが違うのだし、しかも、メンタル面だけでなくフィジカル面においても相当なストレスをかけるLMP3マシンに乗れば乗るほどクタクタに疲労困憊することは想像に容易い。しかも、普段走りこんでいる鈴鹿サーキットや富士スピードウェイならともかく、レースウィークの舞台は「テレビでしか知らない」コースレイアウトである。その高いレベルのハードルに順応しなくてはならない。

そんな中、あの事故は起こった。
(つづく)

#ルマン24時間レース

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ル・マン24時間レース 回顧録⑨

新型感染症が世界的に深刻な被害をもたらした2020年。
この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。
その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。
※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする
※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
現在2023年、2020年ル・マン24から4年目を迎えようとしている。文章を一気に書いていると燃え尽き症候群のようになってしまい、前回から随分時間を経てしまったが、記憶をしっかり記録として残せるうちに少しづつでも進展させようと思う。

【始動-2】
2018年シーズンのアジアンル・マンシリーズに出場した、この物語の主人公アマチュアレーサーY氏。LMP3車輛で出場し、初戦の上海国際サーキット4時間耐久を3位という好成績で終える。なんと幸先の良いことだろうか!

ちなみに、一応補足するとするならば、もちろんY氏自身の運転スキルは言うに及ばずではあるのだが・・Y氏をサポートするチーム力、そして何よりドライビングコーチとしてY氏を支えながらも共に戦うプロレーサー達の尽力が欠かせない。時間の限られた中で、最短で車輛セット(セッティングと呼ばれる)の方向性を見出さなければならないのだから。

プロなんだから、それぐらい簡単に出来そうなイメージを持たれるかもしれない。
だが「名選手が名コーチたる保証がない」のと同様、自分自身が走るのに適した情報のアウトプットと、コンビを組むアマチュアの事情も踏まえたうえで最大公約数的に導けるのとでは、大きく異なる。

悪く言えば「妥協」とも聞こえるが、そうじゃない。
結果を求めなくてはならないから、針の穴を通すような最適解を探し出さなければならないのだ。これがチーム力となる。誰かひとりが、エゴや欲によって独断を許せば、たちまち不協和音が生じてしまう。そして、そのネガ要素を修正しながら事を進めるには、レースウィークの4~5日程度ではあまりにも時間が足りないのである。

だから「チーム力」とは簡単に表現は出来るものの、ソコに居る全員の人間性、敬意、目的意識、思考、行動が限りなく上手くまとまらなくてはならない。良い時は皆機嫌もよくトントン拍子に上向きになるものだが、悪い時こそ、何かアクシデントや突発的要因が発生した場合にもネガティブの波に吞まれることなく、より良い方向へ光を探すモチベーションが必要になる。

これは、人間社会の縮図だから大変難しい問題だ。しかし、成功への必須条件のようなものでもある。その点に於いて、Y氏の人柄や目的意識、行動力もあり周囲に大変優秀で協力的な体制が出来ていたことは特筆すべきことであると思う。

ところで、こうしてY氏との共に戦ったレースの思い出や、段階を経てスキルアップと2020年ル・マン24時間レース出場権奪取のために奔走されていた2018-2019年度を時系列で整理し始めると、特にこの2年間の記録や記憶が私自身に薄いことに気が付いた。

なぜなら、2018年のアジアンル・マンシリーズや、翌年にいよいよ本格的なル・マン24時間レースへの道筋を辿るために出場する2019年ヨーロピアンル・マンシリーズに私自身が帯同していないからだ。もし許されるならば、それは勿論アジアからヨーロッパまで、Y氏の頑張りを見届けることができれば最高だが、当時私自身レース屋とは言えいち会社員に過ぎず、自分自身に与えられた責務やスケジュールをこなさねばならなかった。

だから、もともとY氏が趣味で参戦していた日本のエントリーカテゴリーレースへ、たまに出場することになりサーキットでメカパートナーとしてご一緒した時に、初めてアジアやヨーロッパでの土産話に触れることが出来たのである。
(つづく)
#ルマン24時間レース

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ル・マン24時間レース 回顧録⑧

新型感染症が世界的に深刻な被害をもたらした2020年。
この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。
その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。
※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする
※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
現在2023年、2020年ル・マン24から4年目を迎えようとしている。文章を一気に書いていると燃え尽き症候群のようになってしまい、前回から随分時間を経てしまったが、記憶をしっかり記録として残せるうちに少しづつでも進展させようと思う。

【始動-1】
2018年シーズンからは、この物語の主人公Y氏は日本国内でのレースと並行してプロトタイプマシンを使ってアジア各国を転戦する、アジアンル・マンシリーズと呼ばれる海外レースにも参戦するようになった。このレースで使用されるプロトタイプマシンはLMP2クラスおよびLMP3クラスであり、シリーズチャンピオンチームにはル・マン24時間レースへ出場するシード権も得られることから直近の登竜門となる。目指す2020年ル・マン24時間レースLMP2クラス出場をターゲットにするためには地道にプロトタイムマシンの運転技術を向上させなければならないから、まずは手始めにLMP3マシンでの年間を通じた参戦計画をもって足掛かりにする段取りである。

LMP3マシンの見た目はLMP2マシンと似通っていて、相当なレースマニアでなければパッと見で違いを理解することはできないだろうと思う。実際、ボディーシルエットだけでなくサイズ感も同じような(実際には差異が出るのだが)感じだから、例えばかつてのF3マシンとF3000マシンのような「明らかに誰でも見てわかる」レベルの違いは見つけられない。両車の大きく違う点は「エンジン出力」「空力性能」だとしばしば指摘されている。
なんでも記載されているウィキから、参考になる数字を拾ってみた。

・LMP2クラス
Chassis規則
全長:4,750 mm以下
全幅:1,800 mm以上 1,900 mm以下
全高:1,050 mm以下
重量 (燃料含まず):930 kg以上

Engine:ギブソンGK428
90度V型8気筒
排気量:4.2 L
公称最高出力:610 PS前後

・LMP3クラス
Chassis規則
全長:4,650 mm以下
全幅:1,800 mm以上 1,900 mm以下
全高 (空気摂取口を除く):985 mm以下
重量 (燃料含まず):950 kg以上

Engine:ニッサンVK56(2018年当時はVK50)
90度V型8気筒
排気量:5.6 L
公称最高出力 (エアリストリクター無し):460 PS以上

このように、LMP2クラスはLMP3クラスに比べハイパワーかつ軽量であることが見て取れる。スピードを競う世界においてこの差はとても大きい。
さらに言えば、LMP2マシンの4輪カーボンディスクブレーキに対しLMP3マシンは鋳鉄ローターディスクブレーキである。これだけでも限界域からのストッピングパワーが違う。実際にはローター重量の差はバネ下荷重にも影響するため、ブレーキングパフォーマンス以外にもコーナリング中のハンドリング等への影響は計り知れないだろうと思う。

しかしながら、その「ほぼ同じ」というパッケージングは、修行の場にはうってつけである。だいたい、いくらLMP3マシンが格下だからといっても、その強力なエンジンフィールや空力を活かしたドライビングは、国内のレースでは(ましてエントリーカテゴリーのレースでは)体験しようにも出来ないのである。

これがすでにプロドライバーであったとすれば、たとえばGT500マシンあたりで似たような経験は出来るかも知れないが・・

Y氏自身のレースキャリアで言えば、鈴鹿をベースにした200馬力程度のプロトタイプ形状の競技車輛と、富士での空力性能をカットした350馬力程度の競技車輛しか経験が無い(ハズ)ので、いきなりハイパワーマシンという苦行!パワーはそのうち慣れもするだろうが、さらに追い打ちをかける空力マシンという・・若手であっても苦戦する車両特性の二重苦である。

如何に目指す山頂が高いかを想像させずにはいられない、しかし、その道に足を踏み入れたが最後・・やるしかない、という不退転の決意がきっとあったに違いない。

(つづく)
#ルマン24時間レース

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ル・マン24時間レース 回顧録⑦

新型感染症が世界的に深刻な被害をもたらした2020年。
この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。
その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。
※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする
※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
現在2023年、2020年ル・マン24から4年目を迎えようとしている。文章を一気に書いていると燃え尽き症候群のようになってしまい、前回から随分時間を経てしまったが、記憶をしっかり記録として残せるうちに少しづつでも進展させようと思う。

【序章-7】
大いなる目標と進むべき道を見つけてからのY氏の行動力は凄まじい。
周囲の仲間にいくらレース業界の重鎮が揃っているとはいえ、計画段階から実行までの算段をおそらくされた筈なのだが、時間と金、技量、体力(偉い方にとってはこの際、すべての要素が同価値である)の規模を考えれば眩暈がするほどハードルが高い。
アマチュアレーサーが現在購入・乗車を許される最高峰の競技車輛クラスLMP-2クラスでの参戦を目指すのだから。こう言っては何だが、GTPクラスでフェラーリやポルシェなどのGTマシンで走るのとは、難易度レベルに雲泥の差がある。

まずは何と言っても、ル・マン24時間レースの特殊性。
ご存じの方も多いとは思うが、ル・マン市にはブガッティ・サーキットというクローズドコースが存在する。これはいわゆる鈴鹿サーキットや、富士スピードウェイのような競技用施設である。二輪のル・マン24時間レースでは、このブガッティサーキットを用いて開催されているのだが、4輪のル・マン24時間レースではサーキット周辺の公道をレース期間中閉鎖して、クローズドサーキットに公道を延長したコースレイアウトとされ開催される。4輪のル・マン24時間レースでのみ出現する「サルトサーキット」がそれである。因みにかつて日本では「サルテサーキット」と呼称されていた時期があるが、今の表記はおおかたサルトサーキットとして統一されている。

特殊なコース自体の説明も必要かと思う。
昔は6キロあり、最高速アタックで400km/h超を誇った名物ユノディエールは、ブガッティサーキットから抜け出した直後の直線レイアウトで、もちろん公道である。また、ル・マン24時間開催中に必ずスピンやコースアウト、接触などが見られる各高速コーナーのほとんどは公道である。

先述のユノディエールなど、現在は性能向上による危険回避のために2か所のシケインを設け、2キロ×3の直線レイアウトとなっているのだが、それでもたった2キロしかない直線でLMP1クラスやLMP2クラスの超高性能マシンは320㎞/h以上、時には340㎞/hという恐ろしいスピードで駆け抜けるのだ。公道という路面条件で。しかも、朝も昼も、当然ながら夜も!

「カマボコ道路」という表現を聞いた諸兄もいると思う。降雨時の排水を容易にするため、道路中央を頂点としたカマボコ断面のような道路を指す。このユノディエールがまた、「ソレ」なのである。

想像してみて欲しい。あなたはヘッドライトはあるものの街灯はアテにならないなか、深夜の国道を時速300km/hを超すスピードで飛ばしている。走っているのは一人じゃない。前には前走車輛、バックミラーにはプレッシャーをかけてくる後続車輛が映る。下手をすれば横にも同じような車輛が居る。一瞬の脇見すら許されない緊迫した状況のはずだ。にもかかわらず、カマボコ道路の高低差のおかげでハンドルがどんどん切れ込んでしまい、ドライバーはまっすぐ走りたいだけでも相当な集中力を要される。一瞬の油断で抜かれ順位が下がるうえに、接触やクラッシュはまさに「そこにある危機」である。

一見まっすぐな道路だけでもやたら難易度が上がってしまうのに、これがカーブとなれば想像の域を簡単に超えてしまうだろう。実際、きっと走った者でなければ公道レースの本当の難しさや怖さは理解し難いかも知れない。くどいようだが、公道とはいえ高速道路ではなく、日本の国道程度の道でレースをするのだ。こんな特殊性は滅多にお目に掛かれない。古くからある公道レースとして有名なモナコGP、マカオGP、マン島TTに加え、電動車両のFEも現在は公道レースとして認可されているが、そこで「24時間レース」をする狂気の沙汰は、ル・マン24時間レースをおいて他には有り得無いだろう。

重ねて書くが、そんな頭のネジが飛んでるような連中(実際にはネジが飛んでるどころか、超精密な連中しか走れない)が集まるのがル・マン24時間レース、しかもメーカーの威信をかけたLMP1マシンとほぼ同格の性能を誇るのがLMP2マシンであり、これが現代では唯一アマチュアが購入できる地上最速のレーシングカー。Y氏はこともあろうに「同じ出場するならLMP2マシン」という目標を立ててしまったのだから、ちょっとレースを知っている者なら、その挑戦が如何に無謀であるか相当驚く筈だ。

(つづく)



#ルマン24時間レース

ワオ!と言っているユーザー

あれ?待て待て??

2020年ル・マン24時間 ホ... 2020年ル・マン24時間
ホームストレートで、予選後の全車写真撮影
はい、ここ。 ユノディエール。... はい、ここ。
ユノディエール。
走行時間外はこのようになってる。
因みに一般車輌は途中で左手の道へ分岐する。

6月じゃんよ?しかも中旬。

そうだよ。世の中がこんなじゃ無ければ、例年世界三大レースの一つ、ル・マン24時間レースは今週って事になるんじゃね?

昨年自分が現地へ行ってるだけに、余りにも9月の印象が強すぎて…
因みに、今年は8月開催予定。
ヨーロッパは、在住者に聞くところでは元の世界に戻りつつある(幻想)らしいから、まず間違いなく有観客で8月開催は大丈夫だと思う。

昨年は現地入りしていながらも、PCR検査のコントロールで関係者とは言えコースに入れるかどうか、結果出るまでヒヤヒヤだった💦

もしアウトだったら、宿から音だけ聞いて過ごさなきゃいかん状況だったから、本当に最後の最後まで異例尽くしのレースウィークだった。

あ、書いてたら今思い出した。
しかも、異常に暑(熱)かったんだ!!
夜でも気温が落ちず、熱帯地域だった。
あんなル・マン24時間レース、本当に最初で最後だよなぁ。

あの熱波の中だから…だと思うけど、予選タイムもコースレコード更新出来なかったし。
LMP1クラス最後としては、小林選手の鬼気迫る予選タイムは、あの熱波さえ無ければ、、と想像させてしまう。

例年なら、あと数時間でチェッカー🏁なんだよな。感慨無量が押し寄せる。
#ルマン24時間レース

ワオ!と言っているユーザー

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