2月
6日,
2023年
ル・マン24時間レース 回顧録⑭
この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。
その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。
※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする
※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・
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現在2023年、2020年ル・マン24から4年目を迎えようとしている。文章を一気に書いていると燃え尽き症候群のようになってしまい、前回から随分時間を経てしまったが、記憶をしっかり記録として残せるうちに少しづつでも進展させようと思う。
【秒読み-①】
2019年のヨーロピアンル・マンシリーズでY氏の搭乗スケジュールが終了した時点で・・実際には残り2戦あったのだが、日本でのレースでY氏とご一緒しお顔を見る度に参戦土産話を聞き、「ル・マンへの出場は可能なんでしょうか?」という問いかけにY氏の「出ますよ」との返答をいただいていたので、2020年度の世界耐久選手権(WEC)スケジュールが発表され、ル・マン24時間レース開催日時を把握した時点で、まだ8ヶ月近くあるものの私は誰にも何も確認せず航空券の手配をした。記録を振り返ってみると、2019年9月24日のことである。
この時点で公式発表されていたレーススケジュールは添付の画像の通り、ル・マン24時点レースは2019-2020世界耐久選手権(WEC)シリーズの最終戦として位置付けられており、決勝レーススタートが2020年6月13日、チェッカーが翌14日となっていた。(2018年8月17日ACO発表)
今にして考えてみれば、「出ますよ」という返答ひとつで見切り発車の航空券購入というギャンブルに至ったことを少し恐ろしく感じるわけだが・・なにしろ公式に出場できることはその時点で何一つ未確認だったのだから。
「なぜ9月24日の段階で早くも航空券を手配したのか」の動機については、明確な理由がある。
通常ル・マン24時間レースが開催されるのは6月中旬。これはこの年まで開催され続けてきたル・マン24時間レース87回分の歴史上、ほぼ例外なく6月開催と世界中で広く認知されている。
そして何と言っても、世界3大自動車レースのひとつである。世界中から膨大な人数の関係者に加え多くのレースファン達も押し寄せる。もちろん日本からも例外ではない。ツアー会社では「ル・マン24時間レース観戦ツアー」なるものも企画されるほどである。
かつての正常な世界観では、ル・マン24時間レースに合わせて数年前からスケジュール調整しておく、などということは珍しい事ではなかったし、もろもろ考えると・・・とにかく現地へ行けなければ全く話にならないという思いから、飛行機だけは何が何でも先に押さえたかったのだ。それに限られた予算で赴く旅。価格、座席の選択肢に於いても早目の手配が功を奏するのは自明の理だ。
飛行機のスケジュールが決まってしまえば、あとは旅程詳細をパズルのように組んでいけばよいだろうと考えていたし、と同時に、先行販売されるル・マン24時間レースの観戦チケットなども手配するために「どこで」「どのように」観戦するのかについて必死にリサーチを始めていた。
なにせ通常のレーススケジュールなら多くて4日ほどで済むものが、ル・マン24時間レースともなれば丸々1週間がイベント期間として設定されている。しかも決勝は当然のように24時間もあるのだ。観客のために、長大なコースの有名なポイントを結ぶシャトルバスが運行され、夜通しで遊園地が稼働し、屋台やらでお祭り騒ぎの1週間である。かつて少年時代の頃から観ていた映像でしか知らない「ル・マン24時間レース」に、自分が実際に行くのだ!という高揚感は言葉に言い表せないものだった。
しかも、あえて触れるなら。
実は、万が一Y氏が条件や選考から漏れて出場出来ない事態になったとしても、チケットを手配して現地へ行こうとも考えていた。こんな機会でもなければル・マン24時間レースに行くこともないだろう。一般観客として楽しもう、そう思っていた。だから、2020年のル・マン24時間レースに対しては「行く」の一択であり、即断即決であってこの時の自分自身の決断には何一つ一点の曇りも無かった。
今にして思えば「暗中模索」のなかで、ひとつひとつ情報を精査しながら、どのような旅程にするべきかについて真剣に考えていた2019年の9~12月末あたりまでの約3ヶ月間は、いちレースファン、マニアに立ち戻れた貴重な時間だった。
それまで同じレース業界とはいえ、エフワンも含め世界耐久選手権やトップカテゴリーレース等は(全く接点が無いわけではないが)別世界だったし、また特に、耐久レースに関してはGr.Cカテゴリーこそ至高という偏見があったことを白状しなくてはならない。
だから、このY氏の参戦にまつわる動向を機に改めて「一人のレースファン」に戻れたこと、そしてル・マン24時間レースへ行くことが自分にとって「ひとつの目標」になったことに感謝する次第である。
(つづく)