もの言う牧師のエッセー 傑作選
第60話「 イチメーター・レディ 」
シーズン257安打のメジャーリーガー、ジョージ・シスラーの記録をシアトル・マリナーズのイチローが抜いた2004年以来、マリナーズの本拠地セーフコ・フィールド右翼席 最前列で、彼の安打数を手製のボードでカウントし続けてきた女性がいる。エイミー・フランツさんだ。
“イチ・メーター”とは、イチローとメーター/測定機 を掛け合わせたもので、262安打をカウントしたその年の“初代イチ・メーター”は、今もアメリカ野球殿堂に飾られている。
今年7月、ヤンキースへの移籍会見を終えた直後の試合前練習、そんなエイミーさんのもとにイチローが近寄り、「エイミー、長年に渡って応援してくれてありがとう。」と声をかけ、さらに直後に行われた試合ではイチ・メーターのボードにサインをしたのだった。実はエイミーさんが彼からサインを貰うのも、言葉を交わすのもこれが初めてだった。別れに号泣する エイミー。が、話しはこれで終わらなかった。何とサンクスギビングデー前日に、イチロー からサイン入りのバットやスパイクが彼女への感謝の直筆の手紙と共に届けられたのだ。エイミーさんが躍り上がって喜んだのは言うまでもない。
この2人の関係を見て、クリスマスにイエスを届けてくださった神を思い出した。と同時に、ずっと私たちを応援してくださる神をも想起した。この2人の関係こそが、
「私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるから。
主は、私に耳を傾けられる ので、私は生きる限り主を呼び求めよう。」
詩篇116篇1-2節
という神を心底信頼する者の叫びそのものだ。人は神を “祟り神” のように考えている様だが、実際は直筆サインである“救い主”を下さり、毎日応援してくれるのが神様なのだ。この クリスマス、神に感謝を届けよう。 2012-12-18
第17話「アメリカで教会を法人化する」 Part 1
当教会は家の教会(ハウス・チャーチ)なので、実のところ発足当初は「宗教法人」を取得するなどと夢にも思わなかった。別にこのままでもやって行けるからだ。しかしシゲ子さんの受洗の時、ドーソンが(6話と9話参照)「教会の非課税控除について何か考えてるのか?」とストレートに尋ねられた時、ドキッとした。「ウワッ、やられた。」と思った。厄介で あまりやりたくないことを神さまは信仰者に求められるからだ。こんな小さな教会なれど、神は私たちを通して何か事を起こそうとされてるのかも知れないと考え、祈りつつ法人化へ向けて動き出した。
だが、周りにいる先輩牧師らは一様に「やり方を知らん」と言う。基本的にただ前任者から引き継ぐケースが多いからだ。それに、有給だと牧師とは言え税法上ではただの”サラリーマン“なので、私のように無給で独立したボランティアとなると勝手がまるで違う。また、米人や韓国人の大きな教会で“間借り“してるだけの日本人教会も少なくないので、自分たちだけで一から法人アカウントを開設する必要など全くないのだ。さらに、一から開設した場合には弁護士がからみ約5000ドルも費用がかかったことも聞いた。
悶々と祈る日々が続く中、地元の ある日系紙で、60歳代のボランティア女性が老人ホームのために不要となった音響機器などの寄付を募っている広告に目が留まりピンと来た。ボランティアで非営利活動をしている人ならば優秀なCPA(会計士)などを知ってるかもしれない。ちょうど家に不要となったCDプレーヤーがあったので、寄付も兼ねてさっそく彼女に会って尋ねたところ、「実は私の主人はCPAなんです。会社設立や法人化の専門家です。」と言うではないか! 何と的確な主の導き!
「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、
それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。」
ヨハネの福音書15章7節
というイエスの言葉を思い出した。祈りが聞かれ、目の前にパーッと光が差し込んだ。彼女の名は武曽百合子さん。彼女はこの日、北ロスアンゼルスから往復200キロの道を自ら運転し、お年寄りのために使うCDプレーヤーを引き取りに来てくださった。“似た者同士“という言葉があるが、神さまはご自分のミッションのために、私と似たような人を送ってくださるのだなと感心した。そして、この後さらに驚くべき神の栄光を目の当たりにすることになる。 11-19-2019
第56話 「大滝秀治の役者道 」
60年以上にわたり舞台・テレビ・映画などで幅広く活躍された名優、大滝秀治さん が去る10月、ガンで亡くなった。87歳だった。かつて “壊れたハーモニカの様な声” と 評された独特のかん高いかすれた声と、飄々としつつも時には激昂する芸風により、とにかくアクの強い人で、圧倒的な存在感の持ち主だったと記憶している。俳優を志すも前述の声などから役者に向かないと上司に評され、裏方の効果係をする不遇の 時代には肺結核で左肺を切除する大手術も経験。後40代半ばになってようやくブレイクした。
随分色んな映画に出ているなと思ったら、市川崑や伊丹十三の作品では常連的存在で、日本映画が大作ブームに沸いた1970年代には、何と全国公開された大作の実に八割近くも出演していた。随分おじいさんの役が多いなと思ったら、「俺は声も顔も悪く、若い頃より老け役を演じることが多かった」と本人の弁。最後の作品となった映画「あなたへ」で共演した高倉健は、「あの芝居を間近で見て、あの芝居の相手でいられただけで、この映画に出て良かった」と、彼との共演シーンで落涙したという。
そんな大滝さんの日頃の口癖は、「つかる ひたる ふける」である。役に対する彼の姿勢だ。なるほど言いえて妙だと、聖書の言葉
「 御霊に満たされなさい。」エペソ人への手紙5章18節
を思い出した。実は神を信じたからと言って “いい人間” になれる分けではなく、また、無理矢理努力して模範的なクリスチャンになろうとしても無駄である。キリストを死から甦った 救い主と信じ、彼が下さる聖霊に “満たされる“ ことによって初めて不可能が可能になるのだ。 この状態を「神を信じる」という。キリストの聖霊にどっぷり浸って力を得よう。 2012-11-29
第16話「サドルバック教会訪問」 シゲ子さんシリーズPart6
同じことを繰り返す作業を喜んでするのは信仰がいることだ。全ては神の御手の中にあることを信じ切ることによって、この作業に意味があり、さらに希望があることを信じる。そして不可解なことだらけの信仰生活の中で、その作業の意味が分かった瞬間こそ、「ホンマに神さまっているんやなぁ」と心から神を称え、神の愛を思い知るのである。 当教会の受洗第一号となったシゲ子さんが85歳で洗礼を受けた後も(7‐9話参照)彼女への奉仕は続いた。月一度は林姉の家で夕拝を行い(10話参照)、それ以外の週は自宅と彼女がいる施設を往復100キロかけて通い、聖書を開き賛美をして祈ることの繰り返し。別に不満はないが、「なぜ俺なんかが彼女のような婆さんに遣わされるのだろうか?」と不思議だった。しかし彼女がイエスを信じて丸一年が経ち ついにその理由がハッキリする時が来た。
その年の夏、日本の母教会のメンバーらが研修旅行でカリフォルニアに来ることになり(15話参照)、「サドルバック教会へ案内してほしい」と言ってきた。「サドルバック教会?」 会員数10万~20万。ウォレン牧師は”世界のリーダー100人”にも選ばれ、まるで一つの町のように巨大なその教会は敷地内に信号機まである。私ごときペーペー牧師が相手にされる分けがない。車で15分ほどの近所だが、案の定 メールをしても電話をしても不通でらちが明かない。「トホホ、困った。。。」
てなことをシゲ子さんの息子さんのトムに何げなくこぼしたところ、「サドルバック?僕が通ってる教会だよ」。だとさ。「えー!? 何じゃそりゃ!何で今まで言わんかった?」と尋ねると、「最近 転会したんだ」という。さっそく彼に日本からのビジターを案内して貰えるよう頼んだところ驚くべき展開となった。実は彼自身も新しいので良く分かっていなかったのだが、サドルバック教会には無数のミニストリーがあり、その中には日本人やアジア人のグループもある。彼らが案内役を引き受けてくれたのだ。
5000人の礼拝はいつも席取りでごった返すが、我ら訪問者のために正面真ん中の席を20席ほど確保してくれたのをはじめ、施設内の複数の礼拝堂や娯楽室への案内など一切を世話してくれた。それだけではない。教会内にはレストランやカフェ、調理施設も一般飲食店と同様のレベルで完備されているのだが、「あなたがたを大歓迎します。ぜひ食事を召し上がって下さい。」と勧められ、何を食べたいか聞かれたのでイタリアンを選んだところ、70人程度が入れる別室に通され、プロ同様のピザ、ガーリックパン、サラダ、パスタなどがふんだんに振る舞われ お腹も心もいっぱいになった。もちろん無料である。地道に続けたシゲ子さんへの奉仕の答えはこれだったのだ。神の不思議な導きと備えの前に呆然と立ち尽くし夢を見ているようであった。
「そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。
今日でも、『主の山の上には備えがある。』と言い伝えられている。」
創世記22章14節 11-2-2019
みことばに心を留める者は幸いを見つける。
主に拠り頼む者は幸いである。
箴言16章20節
第29話 「 吉本100周年 」
1912年(明治45年)4月1日創業の吉本興業が創立100周年を迎え、大阪・なんばグランド花月にて4月8日、特別公演が開催され、ベテランから若手まで227人の人気芸人が出演し超満員の客席から大歓声が上がった。
もともと寄席経営からスタートした同社だが、後に大手興行会社へと成長、映画事業のほか、戦前には現:読売ジャイアンツである“大日本東京野球倶楽部“創設に尽力、戦後には力道山をスターにした実績もあり、現在ではTV局や不動産事業などを傘下に抱える業界最大手の複合企業となり「お笑いの総合商社」とまで呼ばれる。
が、大阪のローカル企業を全国区に押し上げた要因は紛れもなく80年代の漫才ブームを契機とした東京であり大阪ではない。同社の大崎洋社長は、それまで大阪でしか消費されなかった「大阪の笑い」を“大消費地“である東京のマーケットで売りさばき、今日の隆盛があることを素直に認める。つまり何事につけ東京をライバル視する大阪だが、実は東京あっての大阪であることが理解出来よう。
これは、聖書に出てくる小さな国だったイスラエルが、神が市場を開拓してくれたお陰で大きな国となったにもかかわらず、その恩を忘れ、神を捨て去った話を想起させる。
「 あなたがたはこのように主に恩を返すのか。
愚かで知恵のない民よ。主はあなたを造った父ではないか。
主はあなたを造り上げ、あなたを堅く建てるのではないか。」
申命記32章6節
と、神は彼らに警告を発しているが、彼らは「自分で全てを成し遂げた」と錯覚し滅んでしまった。我々は、自分達を育て大きくして下さるのは、全地宇宙を造られた神であることを認識し、感謝して歩んでいきたいものである。 2012-5‐27
第15話「お前そこまでやるか?!」エミリオの看板 Part 5
エミリオたちの看板が完成間近の頃、日本の母教会のメンバーらが研修旅行で来米し、カリフォルニアにも立ち寄ることになり、その際に当方の日曜礼拝に参加して”合同礼拝“をすることになった。出来れば看板をその日までに完成させようということにしていたが、困ったことが起こった。
合同礼拝の2日前の金曜日、ついに母教会の人たちが到着してバタバタしてる最中にエミリオから看板完成の電話があり、彼が言うには来週の月曜にビッグベア市の親戚を訪ねるので途中で立ち寄り届けてくれるとのことだが、礼拝は前日の日曜日にあるのでそれでは間に合わない。彼の住むベンチュラ市と私が住むOCとはザッと180キロ離れており、さらにビッグベア市へはOCから東に向かって140キロもあるので、彼が“ついでに“届けようとするのは当然なのだが、今回は時間的な問題ゆえそういう分けにはいかない。とは言え今さら私が彼の住むベンチュラ市まで往復360キロかけて取りに行く時間は全くない。合同礼拝での公式看板のお披露目は「あきらめるしかないのか。。。」
と、その時エミリオは驚くべきことを言った。「じゃあ明日(土曜日)に届ける。」
僕:「え?! じゃあ来週のビッグベアへの訪問は??」
彼:「もちろん行く。」
僕:「お前 正気か!?看板一個のために360キロも余計に走る気か!?」
彼:「大したことはない。お前どうしても看板要るんだろ?」
僕:「いや、そういう問題やないやろ! 今回お前らは無料で看板を作ってくれた。
本来なら俺が引き取りに行くのが筋やろ?
せやのに今度は360キロも余計に走って届けてくれる
言うんか?!心配すな。今回はあきらめるから。
月曜にビッグベアに行く途中に届けてくれたらええ。」
彼:「いや、やるて言うてるやろ!」
(注意:大阪弁ご容赦。こちらのほうが臨場感わくので)
僕:「何でお前そこまでやるんや! お前にそこまで無理させられへん。要らんて言うてるやろ!」
彼:「いや俺がそうしたいからやるんや!気にするな!」
とまあ、「いらん!」「やる!」と押し問答になった。とにかく彼も私も一度言い出したら言うことを聞かない。結局 私が折れ、彼は翌朝の土曜の午後に看板を届けてくれた。もちろん無料である。彼は仕事があるのでさっさと帰っちゃった。日曜まで仕事して、月曜に湖のあるビッグベア市まで行って休暇を取ると言う。ともあれ無事に合同礼拝に間に合った。あの日のことは一生忘れられない。教会設立当時、それまで付き合っていた多くの友を失ったが、同時にそれ以上の素晴らしい多くの友を神は与えてくださった。感謝!
「友はどんなときにも愛するものだ。
兄弟は苦しみを分け合うために生まれる」
箴言17章17節 10-4-2019
もの言う牧師のエッセー 傑作選
第53話 「 じゃまなかさん 」
体細胞へ数種類の遺伝子を導入することにより、 あらゆる細胞に分化する能力が あるiPS細胞(人工多能性幹細胞)を開発した京都大の山中伸弥教授が、日本人では25 年ぶりとなるノーベル医学・生理学賞の栄誉に輝いた。開発からわずか6年というスピード 受賞もさりながら、再生医療や新薬開発に大きな期待のかかる“現在進行形”の技術であること、さらにこの技術が“純国産”であることなど話題満載だ。
しかし周知の通りこれまで山中教授が歩んで来られた道は生半可なものではない。もともと 臨床医志望で、国立大阪病院整形外科で勤務していた頃、通常20分で終了する手術に2時間を要するなど決して手先が器用な方ではなく、指導医らに「じゃまなか」と邪魔者扱いされ、自分でも「向いてない」と退職。その後米国UCサンフランシスコ校へ博士研究員として留学した後帰国し日本の医学界へ戻ったものの、研究環境は劣悪で、日々ネズミの管理に忙殺され、すぐに役立つ薬の研究をしなかったため今度は「やまちゅう」と呼ばれ、周囲の理解を 得られず半分うつ病状態になり、研究をやめることを決意。
そんな彼を救ったのが文科省や奈良先端科学技術大学院大や京大など“オールジャパン”だった。「研究者として一度は死んだ自分に、神様がもう一度場を与えてくれた」と満面の笑みで話す彼を見て、聖書の言葉
「 神は悩んでいる者をその悩みの中で助け出し、
そのしいたげの中で彼らの耳を開かれる。」
ヨブ記36章15節
を思い出した。かつて邪魔者扱いされた彼が、今や日本を救うとまで賞賛される新技術の中心にいる。これは暗闇のどん底から甦った「キリストの復活の神学」そのものだ。そして、神にとって邪魔な人など1人もいない。 2012-10-23
第14話「公式看板も完成」エミリオの看板 Part 4
エミリオをはじめ有志の方々によって日本語看板が仕上がってから数カ月、いよいよ英語の正規看板を作ることになり再びエミリオに電話した。今回はプラスチックにステッカーではなくゴツイ鉄製でカスタムペイントで塗り上げる大掛かりなものだが、彼は二つ返事で「鉄板にペイントして看板作る?おお、任しとけ!」と来た。デザインが決まっていないことを伝えると、「ダチがデザインするから心配するな。すぐにサンプルを送る」と言う。
送って来たデザインを見て驚いた。在米と言うこともあり今回は“日本人臭さ“を伏せてカリフォルニアらしくしてほしいと伝えていたのだが、So Cal と大きく書かれた筆記体に旭日と十字架、思わずイザヤ書41章の「東から起こる英雄」を想起した。英語で洋風でありながら しっかり現代アートの様なライジングサン(Rising Sun)の日の丸と十字架が入っており、「これだ!」と思った。それを見て世を照らすイエスの光、
「起きよ! 光を放て! あなたの光が来て、
主の栄光があなたの上に輝いているからだ。」
イザヤ書60章1節
を思い出した。 デザインを担当したデザイナー、プラ製実物大のモックアップを作った人、鉄板の切断と組み立て、溶接をした連中も、カスタムペイントを施した人たちも一切金を受け取らなかった。私は払おうとして何度もオッファーしたが答えは NO だった。ただ切り出した新品の鋼材費のみ100ドル程度で払っただけ。彼らは皆 アリッサの友人(11話参照)なのだろう。
元はと言えば私が彼女のためにたった150ドルの寄付をしたことから始まった。あの時の“捧げもの“を神は10倍以上にして返してくださった。今はただ、神と神が用意してくださった人々に感謝するのみ。この看板を見るたびに奮い立つ。”東から起こる英雄”のように宣教の道を今日も進んで行きたい。ここまでいつも善くしてくださった神を信じながら。
つづく。。。 9-30-2019
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