第48話 「 空母が来た 」
竹島、尖閣と日本領海内での緊張がにわかに高まる中、中国に売却された旧ソ連海軍空母「ワリャーグ」が9月25日、引渡しセレモニーを経て正式に就航、艦名は「遼寧」と発表された。
一方、グアム島周辺に展開中の米海軍第7艦隊所属の空母「ジョージ・ワシントン」の元へ、太平洋艦隊所属の「ジョン・ステニス」が合流。その後イージス巡洋艦「モービル・ベイ」に先導される2空母が誇らしげに併進する様子が20日、米海軍ホームページに写真掲載された。この一連の動きは、それに先立つ18日にパネッタ米国防長官が、中国の梁光烈国防相 との北京での会談において 「尖閣諸島は日米安保条約 第5条の適用範囲である」と伝えたことに関連する。ステニスの急派が、尖閣周辺で日中衝突が起きる事態を想定したものであることは明白だ。決められない日本の政治に比べ動きが早く、実に頼もしい。
興味深いことに、この度はワシントンとステニスが駆けつけた。言うまでもなくワシントンは”建国の父”だが、ステニスは1989年に亡くなったミシシッピー州選出のジョン・C・ステニス上院議員の名を冠する。実は彼は 60年に渡る政治経歴を持ち、一度たりとも選挙で敗北しなかったという“無敗の男”なのだ。これを見て思わず「父なる神」と呼ばれる“第一人格“の神と、無敵を意味する「王の王」と呼ばれる“第二人格“である救い主キリストを思い出した。
「 私が父におり、父が私におられると私が言うのを信じなさい。
私は父にお願いします。そうすれば、
父はもう1人の助け主をあなた方にお与えになります。」
ヨハネの福音書14章11,16節
と、キリストは有名な「三位一体」の説明をしている。因みに第三人格は「聖霊」と呼ばれ、要するに彼らは“一つ“なのだ。そしていつでも迅速に信じる者を”救いの適用範囲”として助けてくださる。 2012-9‐27
第13話「看板と人々」
エミリオが作ってくれた看板はたいへん重宝する。我が教会はあちこち出かけて行くのでいつも看板を持ち歩く。しかし調子に乗って使ってるうちに表の方に引っかき傷がついてしまい、しかも軽いビニール製なので折れそうになって来た。今さらではあるが表にプロテクト用の透明シートをつけ、裏には補強用のプラスチック板を張ることにした。色々調べてみたら広告バナーを作ったりもする写真屋が透明シートを付けることが出来ることが分かったので、常々世話になっている写真屋を訪れた。
とは言え、デジカメやスマホのせいでアメリカでは10年前の時点で写真屋はほぼ全滅状態で、近所には一軒もなく5キロ離れた場所まで通っていた。その店のオーナーはCSという名の40代の韓国人でひっそりと営んでいたが、韓国人には“初対面の人には愛想が悪い”という文化があり初めの頃はとにかく不愛想だった。バイクの写真などを持ち込み拡大してもらうなど、何度か通ううちにようやく少し打ち解けたのだが、看板の防護シートの話をしてみたところ、CSは「そうか。実は看板に厚みがあるために機械に通してシート付けるのはけっこう難しい技術なんだ。でも、アンタは牧師だから、アンタから金を貰うわけにはいかない。俺はクリスチャンじゃないが、アンタが人のためにミニストリーをしてることは分かってるから。」と言ってシート代だけで工賃なしの格安で作ってくれた。主の憐みと彼の粋な計らいに思わず涙が込み上げた。しかしCSの写真屋もそれからほどなくして姿を消した。時代の流れには抗えなかったのだ。今もこの看板を見るたびに彼のことを思い出す。そして彼の救いを祈る。
裏側に張るプラスチック板は初めから頼む相手は決まっていた。私がバイクのミニカーの収集していた時に収納用のアクリルケースを作ってくれたメキシコ人のプラスチック成型屋に発注した。オーナーは女性で苗字がボレイズ、名はバーニース、だから略して“BB”と呼ばれている。彼女との付き合いは古くもう25年にもなる。出会った頃の彼女はチャーミングな10代の女の子でお父さんと小さな町工場を起業したばかりだったが、今や全米に商品を流通させる巨大ファクトリーの経営者だ。10年前 久しぶりに会った彼女に詳細を伝えると、「アンタは教会を運営してるんだから、アンタから金は貰えない。材料費だけちょうだい。」と言ってこれまた格安でやってくれた。何と不思議な神の導き。CSもBBも同じセリフを言うとは。イエスさまが、
「わたしの弟子だというので、この小さい者たちの一人に、
水一杯でも飲ませるなら、誠に、あなた方に告げます。
その人は決して報いに漏れることはありません。」
マタイの福音書10章42節
と言われたことを思い出した。いっぽうで、神さまは決して“便利屋”なのではない。このような奇蹟はたいてい教会の開拓初期に起こる。しもべが未経験で非力だからこそ神は応援してくださる。少しずつ自分が成長し力を付けたら、それに比例してより困難な問題に直面し、なかなか奇跡は起こらず難儀する。だが、これまでいただいた神の恵みと人々の親切を振り返り、感謝しつつ乗り越えて行きたい。 9-14-2019 つづく。。。
ある女性メンバーが「もう教会へは来ない」と言った。
牧師:理由を教えていただけますか?
女性:私はある人たちが礼拝中スマホをしてるのを見かけます。
何人かは悪口さえ言ってます。
ある人たちはちゃんと正しく生きてません。
彼ら全てはただの偽善者です。
牧師は、少し沈黙した後に口を開き、
牧師:分かりました。それでは最後に一度だけ、
あなたに頼みたいことがあるのですが、聞いていただけますか?
女性:何でしょうか?
牧師:グラスに水を満たし、それで教会内を歩いて2周してください。
ただし水をこぼさないようにしてください。
女性:ええ、出来ますよ。
女性はほどなく戻り「出来ました。これで終わり。」と言った。
そこで牧師は女性に三つの質問をした。
牧師:①あなたはスマホをしてる人を見ましたか?
②あなたは悪口言ってる人を見ましたか?
③あなたは間違った生き方をしてる人を見ましたか?
女性:いえ。見ませんでした。
私は水の入ったグラスに集中してたものですから。
それで水はこぼれなかったのです。
牧師:あなたが教会に来る時、
あなたはただ神にのみ集中すべきなのです。
そうすれば、あなたは”こぼれる”ことがないのです。
だからイエスさまは「私について来なさい。」と言われました。
「クリスチャンについて来なさい。」とは言われなかったのです。
あなたと神との関係を、”他者がどう神と関わるか”によって
決めてはなりません。
自分がいかに神と共に歩むかに集中して、
神との関係を決めましょう。
第54話 「 フェラーリ暴走列伝 」
高級車フェラーリの輸出先は米国が1位だが、最近中国がドイツを蹴落とし2位の座を奪った。中国人の所有者は平均年齢35歳で他国より10歳若いという。彼らは「富二代」と呼ばれる高度成長が生み出した富豪の二世の若者達で、大抵の場合ナンバープレートをつけずに暴走し、警察に捕まってもその場で彼らはドアロックしたまま有力者である自分の親に携帯で連絡、警察に圧力をかけるから何のおとがめもない。言うまでもなく彼らは法の支配を受けない階級に属し、将来の中国を運営する者たちだ。
日本も負けていない。2011年12月4日、山口県下関市の雨に濡れた中国自動車道上り線を高級車20台が時速約160キロで暴走、先頭を走っていたフェラーリを運転する60歳の自営業男性が操作を誤り、スリップしてガードレールに激突、8台のフェラーリと3台のベンツ、1台のランボルギーニが玉突き事故を起こし「世界で最も高額な自動車事故」と騒がれたのは記憶に新しい。
さらにタイで去る9月、レッドブルで有名な有力財閥会長の孫が、泥酔状態でバンコク市内をフェラーリで暴走、何と警官をひき殺した挙句、自宅の豪邸に逃げ込み替え玉を出頭させたのだ。何と愚かな金持ち達であろうか。
「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。
私たちは何一つこの世に持って来なかったし、
また何一つ持って出ることもできません。
衣食があれば、それで満足すべきです。
金持ちになりたがる人たちは、
誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に投げ入れる、
愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。」 Ⅰテモテ6:6-9
という聖書の言葉はまさに至言である。フェラーリや金持ちをどうこう言うのではなく、神に感謝することを忘れ、欲の向くまま貪り暴走する人間の罪こそが問題なのだ。しかもそれはさらにエスカレートしていく。今一度、神に目を向け、真の満足を探そう。 2012-10-26
人生とはキリストについて行くことさ。一人で戦うことじゃない。
第12話「日本語看板製作」
その後、年末に独立して自給で開拓伝道が始まり(第8話参照)、手始めに日本語の手軽な看板を作ろうということになった(第10話参照)。12月に大規模なバイカーの集会がLAの東100キロの所にあるベンチュラ市で開催されるので行くことにしたが、実はそこはエミリオが住んでいる街だ。風光明媚なビーチタウンで山があり、人口が少ない田舎で、バイクやサーフィンにもってこいの典型的なカリフォルニア的な所で、かつての古き良きサンタモニカのような場所なので、彼はゴミゴミしたLAを嫌ってそこに長く住んでいる。
集会のついでに彼にも会おうと思い電話をするとその日は仕事だという。残念だと思いつつ独立して教会を始めることや看板を作る話を何となくしたところ、「何?看板だったら俺が作れるぞ」と言ってきた。彼は家の修理などをする”ハンディマン“なのでが、「え、マジで? でもこれ日本語だよ。どうすんの?」と聞いたところ、「そんなの関係ない。日本語の原本をスキャンしてステッカーを作り それを板に張るだけ。ダチでそれを専門にしてるやつがいる。どんなのを作るのか決めてるのか?」と聞くので、「縦25センチ 横80センチ程度、白文字で背景が焦げ茶色、出来るだけ簡単で軽いのが欲しい。」と答えたら、「任しとけ。楽勝や。集会場前で会おう。届けに行くから」と事もなげに言う。
とある婦人に墨で半紙に書いていただいた原本を彼に送り、「ホンマかいな?」と疑心暗鬼で当日を迎えたが、「はい、コレ」と渡されたのは私のイメージ通りの見事な出来栄えの日本語看板!「で、おいくら?」と尋ねると、「そんなもんいらねえよ!お前はアリッサを助けてくれたじゃないか」と言ってきた。スキャンしてステッカーを作った人もおそらくアリッサの友人なのだろう。しかし私が助けたと言っても微々たるもの。いくら何でもタダというのはなどとゴニョゴニョ言ってるとさっさと帰っちゃった。そうだ。忘れてた。彼は今日は仕事の途中だった。私はただ天を仰いで神に感謝するしかなかった。そして、イエスさまの言葉
「聞いていることによく注意しなさい。
あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、
自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。」
マルコの福音書4章24節
を噛みしめた。しかし太っ腹な主の恵みはこんなことでとどまるものではなかった。奇蹟は続く。。。
9-8-2019
神さまとカミさんと皆様に感謝!今後ともよろしくお願い致します(^^)
第52話 「 戦う中国男児 」
2012年9月11日、日本政府は尖閣諸島の魚釣島、北小島、南小島を埼玉県在住の地権者から20億5千万円で購入、正式に国有化を完了した。これに対し中国の多くのメディアが、異例とも言える大々的な尖閣特番を編成、反日感情を醸成するいっぽう、中華人民共和国外交部報道官による暴力的デモ容認とも受け取れる発言も加わり、それまで比較的小規模だったデモは、週末土曜日を迎えた同月15日一気に拡大、中国の50都市 以上で反日デモが発生するに至った。
その後デモ隊の多数が暴徒化し、日本車や日本料理店、日本企業の工場が次々に破壊、略奪、放火に遭い、中でも湖南省長沙市の日系スーパー「平和堂」は売り場全域が破壊し尽くされ 被害総額10億円、山東省青島市の「イオン黄島店」も徹底的な略奪を受け被害総額25億円に上り、青島イオン社長の折口史明氏は「もうこれはデモじゃなくてテロだ」と憤った。
しかし、その様な“戦争状態“の中、陝西省西安市ではスゴイことが起こった。 何と1人の善意の中国人男性が、広げた段ボールに「前方で車の破壊行為が行われている。日本車はUターンを」と書き、それを持って路上に立ち続け、多くの市民を暴徒から救ったのだ。彼の行動はたちまちネット上を席巻、「暗黒の1日に一筋の光を灯してくれた」などと大絶賛された。これを見て、キリストの十字架での犠牲による人類の救いを思い出した。
「 私たちがまだ罪人であった時、
キリストが私たちのために死んでくださったことにより、
神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」
ローマ人への手紙5章8節
とあるように、愚かで暗闇に住む人間のために 神であるキリストが、先に体を投げ出して救ってくださったのだ。キリストを絶賛しよう! 2012-10-21
第11話「初めて貰った献金」
シゲコさんへの訪問が始まった頃、私は小さな日本人教会で伝道師をしながらひたすら神学生として勉強に没頭していた。いっぽうで生活は苦しく勤めていた鮨屋が閉店し全くの無収入(第6話参照)。教会やミッションでの働きは全くのボランティアなので経費は全てこっち持ち。妻のバイト代と貯金を切り崩して何とかしのいでいた。そんなある日、トムさんが「いつもありがとう。これアンタに」と言って300ドルくれた。
それと前後して私の親友でメキシコ人のエミリオ君が「俺の姪でアリッサという名の15歳の女の子が乳がんの手術を受けることになった。今みんなで金を集めてるのだが教会で仕えるミッキーにもお願いできないだろうか」と尋ねてきた。「おお、それはいい。ここにちょうど300ドルある」と思いつつトムにさっそくそのことを伝えたところ、「君にやった金だ。どう使おうか君の勝手だ」と言いつつ目は笑っていない。やはり私に使って欲しかったのだ。「じゃあ150ドルでは?」と半分いただくことにしてトムをなだめ、残り半分の150ドルに教会メンバーらの寄付を加えた約180ドルをエミリオに送金した。恥ずかしいくらいの僅かな金だが彼はとても喜んでくれた。
いっぽうエミリオたちは驚くべき行動に出た。メキシコ人という大家族と友人同士の結束力を生かし、何とバーを借り切り「アリッサのために」というイベントを開催、酒とおつまみが飲み放題食い放題で一般客から寄付を集い数万ドルを集めた。もちろんバーのオーナーも友人である。イベントは大成功だった。アリッサは無事に手術を終え順調に回復、サンキュー(感謝)カードを送ってくれたがしばらくしてテキサスへと引っ越して行った。初めて貰った献金はその何百倍の恵みに与った。
「受けるよりも与える方が幸いである。」使徒の働き20章35節
しかし神の祝福はこんなことだけでは終わらなかった。これらのことをきっかけに、この一年後、とんでもないことが起こることを私は知る由もなかった。 つづく。。。
8-24-2019
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