カミさんがキンカン買ってきました。何と縦4センチ越。ビックリ!
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牧師、バイカー、鮨職人として。。。シェア from LA
第48話 「 LAミッション 」
鮨職人をしながら無給で教会をしてると献金がどんどんたまっちゃうので様々なミニストリーヘ寄付している。米国赤十字や国境なき医師団をはじめ聖書翻訳で有名なウィクリフ、デボーションガイドで知られるODBや老舗の救世軍などなど。しかし何と言っても教会はコミュニティ、すなわち地元に貢献してこそナンボなので近所のホームレスミッションには力が入る。中でもLAのど真ん中に位置しリトルトーキョーから近い「LAミッション」とは多くの思い出があり強烈な刺激を受けて来た。
しっかり聖書信仰を土台とし、アメリカでも最大規模のホームレス援助団体である彼らは、アンモニア臭の漂ういわゆる“テント村“と化している5番街にある。温暖なLAへは全米から続々とホームレスの人々が押し寄せ今や10万人以上が路上で暮らすが、私には6階建ての複合ビルからなる巨大施設であるLAミッションは深刻化する貧困問題を迎撃する砦に見えてしまう。
数年前に初めてそこを訪ねた時の事は今でも鮮烈に覚えている。寄付をするためにセキュリティゲートを通過して物資の搬入エリアに車を停め、事務所はどこかとキョロキョロしていると、「どこか探してるの?」と何やら作業をしているワルそうな兄ちゃんが手を止めて聞いて来た。事務所のことを伝えると、見かけによらず丁寧に彼は事務所まで案内してくれた。ほどなく用事を済ませ車に戻ると彼とまた出くわした。
「君はここへ来てどれくらい経つの?」と聞いてみると「10カ月ほど。ここはサイコーだよ。」と答える彼。「そうか。君もJesusに出会ったんだね?」「そうさ! 彼は俺の人生を変えてくれた。とてもJesusに感謝してる。あと2カ月でプログラムも終わるんだ。」彼の名はアンドレス。LAで鳴らしてた典型的な元チョロ(メキシコ系ギャング)で相当無茶をしてたらしい。
「で、ここを出てから行くアテはあるの?」「ああ。コロラドのデンバーで兄貴が車の修理屋をやってるんだけど、帰ってこないかと言ってくれてるんだ。」「そうか!良かったな!ついに家に帰るんやな。本当に神さまに感謝しなきゃな!」彼は「本当にそうだよ!」と嬉しそうにどこまでも広がる空を見ていた。ああ、何と言う主の憐みであろうか。まるで聖書最大級の愛の物語「放蕩息子」とその父親のような話ではないか!誰でもイエスの力でやり直せる。生まれ変わることが出来る。Hallelujah。
「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。」
ルカによる福音書15章24節
3-13-2021
愛とは行動です。言葉だけだなんて絶対にありえない。
私たちには生まれた時から愛する力が備わっているのです。
けれでも筋肉と同じように、その力は鍛えなければ衰えてしまう。
オードリー・ヘップバーン
もの言う牧師のエッセー 傑作選
第20話「 震災後の人間関係 」
震災発生から約半年後の昨年の9月に、ネット調査会社“マイボイスコム”が20~30代の未婚男女に対して実施した調査の結果が興味深い。回答者の男性の4割、女性の6割が人間関係に対しての考え方に変化があったという。
では人間関係の何に対して考え方が変わったかというと「人との絆」(男性59.6%、女性73.1%)と回答した人が最も多かった。また、電通総研が昨年6月、20~60代の男女1200人を対象に行ったアンケートによると、震災をきっかけに「これまで以上に大切にしようと思った人間関係はあるか」と聞いたところ、女性は80%、男性は68%が「ある」と答えた。
なるほど大災害は人が人間らしさを取り戻す好機なのか。これと似たことは 9/11テロ 後の米国にもあった。日頃は閑古鳥の教会が満員になったり結婚が流行ったりした。それではいかにして「これまで以上に人との絆を濃くするのか?」
前述のマイボイスコムの調査によると「一緒にいる時間を増やす」(男性54.2%、女性53.8%)が堂々の1位となる一方、「メールや電話を増やす」はその約半分の、男性27.1%、女性23.9% しかおらず、「一緒にいる大切さ」が浮き彫りになった。
実はキリストには多くのあだ名があるが、そのうちの一つが
「その名は“インマヌエル”と呼ばれる。」マタイの福音書1章23節
である。これはヘブル語で「神は私たちと共におられる」という意味である。キリストは決して2000年前に死んだ偉人や宗教家でもなければ、どこか遠くにいる仙人でもない。私たちの罪のため身代わりとなって殺された後に復活し、天に昇り、王座に座り、彼を信じた者には神の聖霊”を送り、今も“一緒にいて“導いてくださる優しい友人なのだ。「一緒にいてくださる神」を信じよう。
2012-4‐12
もの言う牧師のエッセー 傑作選
第17話 「 それは想定内だった 」
毎日新聞に掲載されているコラムで、地震学の権威である神戸大の石橋克彦教授が、岩波書店の雑誌「科学」の97年10月号において発表された論文「原発震災~破滅を避けるために」の一部が載っていたのでそのまま抜粋する。今となっては驚愕すべき内容である。
①最大の水位上昇がおこっても敷地の地盤高(海抜6m以上)を越えることはないという
が1605年東海・南海巨大津波地震のような断層運動が併発すれば、それを越える大
津波もありうる。
②外部電源が止まり、ディーゼル発電機が動かず、バッテリーも機能しないというような
事態がおこりかねない。
③炉心溶融が生ずる恐れは強い。そうなると、さらに水蒸気爆発や水素爆発がおこって格
納容器や原子炉建屋が破壊される。
④4基すべてが同時に事故をおこすこともありうるし(中略)、爆発事故が使用済み燃料
貯蔵プールに波及すれば、ジルコニウム火災などを通じて放出放射能がいっそう莫大に
なるという推測もある 。。。
何のことはない、全て “想定内” だったのだ。おまけに2005年には衆院の公聴会でも彼は同様の警告を発していたのだが 皆が “知らん顔” したそうな。 実は聖書は、
「このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子(キリスト)は、思いがけない時に来るのですから。」
マタイの福音書24章43-44節
と、警告している。災害対策は無論のこと、神が滅び行く人類に向かって”救いを先見せよ“と語りかけるメッセージでもある。日本人が神を信じ、未来を洞察できるよう心から祈る。 2012-3-9
カワサキのクラッチを修理しました。
持ち主と同じでもうボロボロ。でも直って良かった。神に感謝!
私たちは忘れない。。。
3.11の犠牲者とご家族に深く哀悼の意を表します。
東北の皆さまに神のご加護が豊かにありますように。
もの言う牧師のエッセー 傑作選
第75話 「 味噌 」
震災から2年が経過した今も、一日2億4000万ベクレルという途方もない放射性物質が噴き出し続ける福島原発の前に、政府、東電、原子力関係者らは呆然と立ち尽くす。廃炉問題、汚染水、最終処分地、多くの避難民や内部被曝などの難問続出に、はっきり言って “お手上げ” なのである。復興とは名ばかりで、実際には全く手付かずと言ってよい。しかし実は日本には放射性物質を防ぎ、さらには体外に排出する素晴らしい食材があった。味噌である。
その事実を証明した秋月辰一郎医師は1916年に長崎で生まれ、京大医学部を卒業後、1944年から長崎浦上第一病院(現聖フランシスコ病院)院長(当時28歳)を務めていたが、翌年8月9日に原爆が炸裂。爆心地から1.4kmの同病院で勤務していた彼も自ら被爆者となったが、多くの負傷者の治療に奔走したのだった。
もともと放射線科の医師である彼は修羅場の中で思い出したことがある。「患者に放射線治療を施した際に自ら放射線を浴びた際に出る副作用と、被曝患者の症状の似ていること」、さらには「放射線技師たちが副作用に対して、濃い食塩水によって症状を緩和していたこと」である。実はその当時この病院は味噌・醤油の倉庫として指定されており、それらが大量に備蓄されていた。「塩辛い味噌汁を毎日飲め!」と、彼は叫び続け、それがそのまま実行された結果多くの人が救われ、彼自身も89歳まで生き、しかも原爆症を最後まで発症することはなかった! 聖書は言う。
「神は仰せられた。
『見よ。私は、全地の上にあって、種を持つ全ての草と、
種を持って実を結ぶ全ての木をあなたがたに与えた。
それがあなたがたの食物となる。また、地の全ての獣、
空の全ての鳥、地をはう全てのもので、命の息のあるもののために、
食物として、全ての緑の草を与える。』すると、その様になった。
その様にして神はお造りになった全てのものをご覧になった。
見よ。それは非常に良かった。」 創世記1章29-31節
と。私は神に感謝する。満身創痍の今の日本に、チェルノブイリ事故の時も欧州諸国が買い求めたという“良いもの” である味噌を賜っていたことを。結局は神が造られた自然こそが、我々人類にとって一番良いということだ。神を信じ敬おう。 2013-4-14
もの言う牧師のエッセー 傑作選
第95話「 ジジイの決死隊 」
「ただ、水を入れればいいと思っていたのかよ。まわりで我々見てるんだぜ!それで 爆発したら、また死んじゃうんだぜ!」。 現場の最高責任者として首相官邸や本社との 対立を恐れずに指揮を執り続けたことで知られる、福島第一原子力発電所の吉田昌郎元所長が7月9日、食道がんのため58歳の若さで亡くなった。と同時に「Yoshida 死す」 の訃報が世界を駆け巡り彼の死を悼んだ。
海外メディアでも注目される理由は事故発生翌日に起きた、「海水注入の中止命令無視」で あろう。事故収拾に奔走する現場のプロの危機意識と、在京の政府と東電幹部の当事者意識の低さが際立った一件である。東電本社が「首相の了解が得られていない」として海水注入の中止を命じたのに対し、吉田氏はこの指示を無視して注水を継続し被害の拡大を防いだのだった。 実際のところ彼が対応していなければ「人の住めない東北・関東に陥っていた」と、 事故当時、原子力安全委員会の委員長だった斑目春樹氏も認める。
さらに注目すべきは、翌13日での東電社内テレビ会議での「 2号機の海水注入ライン確保のために、勇気がいるが『ジジイの決死隊』で行こかと今相談した」ことだ。彼は東電の社員であり、しかもこの1号機の建設に関った事実からも、ことさら彼を英雄視する必要はないのかも知れないが、とかく責任逃ればかりの目立つ日本社会において稀有な存在であることは間違いない。
実は聖書には決死の覚悟で仕事をする“ジジイ“が大勢出てくる。モーセやアブラハム、さらにはヨハネなどがそれだが、聖書はさらに
「白髪は光栄の冠、それは正義の道に見出される」箴言16:31節
と激励している。 歳を取った者こそが見えるもの、果たすべき責任があるゆえに、神は年寄りを叱咤する。とかくこの世はシニアを疎みがちだが、神にとっては全くの現役なのだ。決死の覚悟で十字架に向かったキリストの様に、いくつになっても崇高な危機意識を持って歩みたいものである。 2013-8-14
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