第47話 「 仮想水/バーチャルウォーター 」
今年のアメリカの夏は暑かった。暑いだけじゃない、雨が降らなかった。お陰で中西部の穀倉地帯は56年ぶりの大干ばつに見舞われ、ブラジルでもこれまた50年ぶりという干ばつが進行中だ。すでにシカゴ商品取引所でトウモロ͡͡コシ価格が最高値を更新する中、国連食糧農業機関でも食糧危機の警告を開始した。
日本はというと、西日本では台風による豪雨が集中する一方で、関東地方ではサッパリ雨が降らず、利根川流域の1都5県は11年ぶりの取水制限 だ。日本は自他共に認める水の豊かな国ではあるが、実のところ1人あたりの水の利用可能量は、国際的に見れば平均より下に位置する。なぜなら、仮想水/バーチャルウォーターが莫大だからだ。
仮想水とは、日本が大量の食糧を輸入している中で、それらを日本で生産したと仮定した場合に要する水の量を指す。東大の沖大幹教授の試算によれば、日本の水使用量835億トンに対し、仮想水は640億トンというから驚く。要するに仮想水がなければ日本は“枯渇“するのだ。周知の通り、雨が降らず水がなければ我々の生活は成り立たない。キリストは言う。
「わたしが与える水を飲む者はだれでも、
決して渇くことがありません。わたしが与える水は、
その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
ヨハネの福音書4章14節
と。これは全宇宙の創造者である神が雨を降らせて下さるのは元より、さらにキリスト自身が“バーチャル”ではない水そのものであることを説明している。今日の世界に生きる我々は、まるで干からびたアメリカのトウモロコシ畑のようにカラカラに乾いてはいないだろうか。おいしい水を豊かに飲みたいのではなかろうか。干ばつの脅威を間近で見る今こそ、「命の水」であるキリストを信じ、渇きを癒そう。 2012-9‐25
第10話「本来の教会」 シゲコさんシリーズ part 5
教会が発足し、自宅(当時はアパート)を使って妻と2人で日曜礼拝を細々と始めたが、シゲコさんは日曜礼拝に来れないので私は出張礼拝という形で週一度の割合で施設まで通っていた。いっぽうで、何とか彼女が教会に来ることは出来ないものかと思案する日々。息子のトムさんはOCからLAまで2往復する覚悟でいたが、往復200キロプラス彼と私の家の往復50キロが加わり合計250キロ以上もの運転を強いる分けにはいかない。
そんなある日、「教会の日本語看板を造ろう」と思い立ち、かつて在籍した教会の友人で達筆で知られる台湾人の林(リム)愛子さんを訪ねた。80歳と思えないほど若々しく、柔和で思いやりに富み、身を挺して教会を支える善きキリスト者の見本のようなご婦人なのだが、「あのー、フルバヤシ先生、もし出来たらここで月一度くらい礼拝できませんか?」といきなり聞かれた! ここならLAまで2往復140キロ程度、月一度ならトムさんも運転できるかも知れない。「ありがとうございます!」と2つ返事で決まった。月一度の夕礼拝ということで、礼拝後に皆さんに食事もしていただこうと言うことになり彼女は料理も振舞うことになった。すごいバイタリティである。しかもこの家にはプールがあるので洗礼式ができ、さらにグランドピアノまであり礼拝にうってつけなのだ。結局ここで半年ほど世話になり一人の青年が受洗できた。
ところで、リムさんは幼き頃より台湾教会へ数十年通っている。息子さんは台湾で数千人規模のメガチャーチを牧会してるほどのクリスチャンファミリーだが、彼女の世代は日帝教育の影響で日本語が流暢、大の親日家なので自身の教会へ行った後に近所の日本語教会へも通い続け奉仕されてきた。
実はアメリカにはこういうケースが多い。今回の”シゲコ・ミッション“の口火を切ったドーソンもウチの教会員ではないが、あれ以来10年にわたって月々の1/10献金の中から幾らかを捧げてくださり、折にかなった様々なヘルプをしてくれている。同時に彼は他の教会に在籍する友人と祈祷会も行う。また、シゲコさんの息子さんのトムも自身が通う母教会に加え、他教会へ通うクリスチャン男性の交わりを毎週月曜の夜に何十年も続けている。共通しているのは彼らが決して教会から教会へ渡り歩く”チャーチ・ショッパー“ではなく、母教会にしっかりつながり1/10献金や奉仕を続けつつ、他のミッションを手伝うミニスターであることだ。
日本では農耕文化のせいか終身雇用のごとく同じ教会へ通いそこの人々とだけ交わることが殆どで、せいぜいクルセードや音楽イベントなどでたまに”よその人”と会うだけの人が多い。また、近くに教会がないなどの理由でキリスト者と交われない”教会難民”も少なくない。だが、彼らのように「超教会型教会」なら何でも可能だ。ずばり“彼ら自身が教会”だからだ。我が南加聖書教会も日曜礼拝に来れない人のために出張礼拝や聖餐式、補填クラスなどを続けている。これがイエスさまが言う本来の教会の姿なのだ。
「二人でも三人でも、わたしの名において集まる所には、
わたしもその中にいる。」 マタイの福音書18章20節
8-8-2019
「 ほんとにあった怖い話 」
フジテレビで1999年から毎年夏に放送されている、通称「ほん怖」が今年 も8月18日に放送され、見事に視聴率16%を稼ぎだし絶好調だ。しかも今年も昨年に続いて“土曜プレミアム”枠での放送となった。
過去の同番組枠には、大ヒットドラマ「電車男、最後の聖戦」や、超人気映画「踊る大捜査線 THE MOVIE」をはじめ、格闘技の「K-1グランプリ決勝戦」や、バラエティの「松本人志のすべらない話 ザ ゴールデンSP」などの超人気番組が並ぶことからも、改めて「ほん怖」の人気ぶりが伺えよう。
一体なぜ日本人はこれほどまでに怪談が好きなのか。おそらくそれは、科学では良く理解出来ない“神秘的“なことだからなのかも知れない。しかし実のところ、人が幽霊を理解出来ないのは当たり前の話なのだ。なぜなら、幽霊は “霊” だからである。ちょうど3次元の物体を2次元の手段で表現するのに限界があるように、我々物質的世界で”霊的世界”を説明するのは難しい。 が、実は世界最古の本である聖書は
「 神は霊である」ヨハネの福音書4章24節 と明言する。そして
「神の霊以外に神のことを知る者はいません。私たちがこれについて語るのも、人の知恵に
教えられた言葉によるのではなく、霊に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なも
のによって霊的なことを説明するのです。自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れませ
ん。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判
断できるからです。」 1コリント2章11‐14節:共同訳
とある。実は聖書には幽霊や霊媒、さらにはUFOもどきの話まで出て来る。おまけにキリスト自体が幽霊に間違われたりもしている。まず神を信じ、神の霊を頂き、良い霊と悪い霊を見分けよう。 2012-9‐9
「洗礼第一号」 シゲコさんシリーズ part 4
これまで1年にわたり交わりやBS(バイブルスタディ)などミッションをして来たが、ついに正式に独立し礼拝を中心とした教会が発足。通常アメリカでは地名などコミュニティの名が教会につくが、私たちはすでにかなり広範囲の人たちと関わっていたので思い切ってLAからSD(サンディエゴ)までを表す「南カリフォルニア(略して南加:在米日本人が使う当て字)聖書教会」と名付けた。なお英語表記では”Southern California“ の愛称で これまた略語でもある“SoCal”となり「So Cal Bible Church」、「ソーカル・バイブル・チャーチ」と発音する。
シゲコさんが夏に救われてから何も出来ぬまま12月になってしまった。久しぶりにトムに電話するとかなり怯えた様子。結局 彼女が出席できる教会は見つからず、そうこうしてるうちに体調がさらに悪化しベッドにふせったままと言う。何かあるとは聖霊に示されていたがここまでとは。急いで訪問したら彼女は又してもボケーっとこっちを見てる。祈りつつ話してると急に「あ!フルバヤシさん!」と思い出し笑みがこぼれた。これで夏の頃の状態にリセットしたことを確認、神に感謝した。
とりあえずトムに私たち夫婦が自給伝道を志し独立して教会を始めることを告げ、来月から正規礼拝を開始、シゲコさんの所へは「俺が通う」と伝えた。また、病床洗礼に向けてBSも兼ねて受洗クラスも始まり、往復100キロを行き来し地道な交わりを続けた。いっぽうで、私とトムには一抹の不安があった。それは「彼女が自分のしていること、学んでいることを理解しているかどうか」だった。そんなある日、詩篇23篇を朗読した際、彼女は一節の”主“を見て「Is this Jesus?(これイエスさま?」と聞いてきたのでビックリ!「あれっ、シゲコさん、イエスさまをちゃんと分ってるじゃない!大したもんだ。と言うか、今シゲコさん 英語で喋ったよね?英語も思い出したんだよね!」。彼女と2人きりの病室で、神の恵みにただひれ伏した。
それからしばらくして彼女がいる施設「敬老ホーム」の一室を借り病床洗礼を執り行った。図らずもこれが当教会受洗者第一号となった。ミッションを始める前、私はてっきり教会に導かれるのは私のようなガラの悪いオッサンか兄ちゃん、或いはレストラン関係者だと思っていたので本当に驚いた。周辺の日本人教会の牧師たちも「85歳の女性に洗礼を施すとは! しかもこれが初めての洗礼の奉仕だとは!」と驚き、神を賛美していた。その後、彼女はすっかり英語を思い出しトムさんとも会話できるようになり、さらには歩けるようにもなった。まさに奇蹟の街道を進む日々であった。
「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。
こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、
あなたがたが満たされますように。」 エペソ人への手紙3章19節
つづく。。。
第8話「独立伝道開始」
めでたく茂子さんは救われたが予想通り色々問題が出て来た。入居施設へは遠く毎週の礼拝への出席は叶わない。しかも彼女は単独では外出できず常にトムさんが付き添わないといけない。無理して来れたとしても献金や奉仕が出来るわけではないし、洗礼するにも先に学びをしないといけない。当時の私は小さな教会で伝道師をしていたのでとりあえず主任牧師に事の次第を話したところ、彼は茂子さんの救いを喜ぶどころか「その施設にはチャプレンがいるはずだからその人に任せろ」と言う。牧師というのは”自分の教会へ来てくれる人”には優しいがそうでない人には冷淡な場合が多い。
いっぽう、その施設のチャプレンは常駐しておらず、礼拝もなく、仕方なくトムさんは周辺の日系教会の門を叩き始めた。実は施設はリトルトーキョーの近所なので周辺に10件以上の日系教会があるが、どこも日曜の朝以外は空っぽ。50キロ離れたOCで日曜礼拝を守っている彼は誰とも接触できなかった。さらに私自身は鮨屋をクビになったのをきっかけに1日十数時間かけて神学生として猛勉強中で余裕がなく、何も出来ないまま時間が過ぎ焦りは募った。
しかしある日、ひょんなことからモヤモヤを吹き飛ばす奇蹟が起こる。何と私のオヤジが約50年前にテキサス州のダラス神学校で学んでいた時の“日本人クラスメート“がこのLA在住であることが分かった。リトルトーキョー近くのLAバプテスト教会引退牧師の山田和明師である。親父より一回り上の80過ぎの見知らぬ爺さん。会いに行ったら私には初対面だが彼には”再会“で、私がダラスで生まれた時、彼は私を腕に抱いてくれたそうだが私はそのことを全く知らなかった。その時の赤子が今ガラの悪いオッサンになって50年ぶりに突然バイクで現れたわけだが、彼は大声で「神よ。あの時の赤ちゃんが今、目の前に主の僕として現れてくれたことを感謝します!」と主を称え、2人で神の不思議な導きを分かち合えたのだった。
彼に今回のシゲコさんを巡る教会の問題などを打ち明け これからの進路などについて聞いたところ、「君は単立教会の出身だろ?じゃあ“単立の神学”を継ぐべきじゃないのか?!」とはっきり言われた。大きな衝撃を受けた。当時の私は伝道師として小さな教会の”お手伝い“であり、独立して開拓する気など全くなく、その度胸もなく、ましてや日本にいたころ私の両親は自宅を使って開拓教会を始めたために散々な目に会い言わば「単立教会なんかこりごり」だった。それにどうやってアメリカで教会を一から始めるのだろうか?
などと一瞬考えたが、次の瞬間、怒涛のような聖霊の波動を感じ「そうか!」と我に返った。困っている人が目の前にいるのに何もしない牧師、施設の名ばかりで役に立たないシステム、いつも空き家の教会。これらの問題を解決するにはまず自分が動けばよい。なのに私は矢面に立つことを恐れ中途半端な働きしかしていなかった。考えてみれば私は教会から給料を貰わず自分の経費で動いているので端からもっと自由に行動できたのだ。今更ながら自分の器の小ささと不信仰を恥じた。「独立しよう!」 腹は決まった。これからは“教会のボランティア”ではなく教会の矢面に立ち、十字架を担ぎ、持てる全てを使って主にお仕えしよう。
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」
ヨハネ15章16節
つづく。。。
第7話「トム、そして茂子さん」
その後、ドーソンの紹介で彼のクリスチャン友だちである日系3世のトム・オオシタさん(当時65歳)に会った。彼のお母さんであるシゲコ・オオシタ(大下茂子)さんが84歳で痴呆症を患い、おまけに足が悪いので施設に入院中で、まだ救われていないと言う。トムさんが伝道し始めた矢先に茂子さんは病気になり、困ったことに英語をすっかり忘れてしまい日本語しか話せなくなってしまった!実は茂子さんは、私と同じ米国生まれで日本育ち、再び米国へ戻った“帰米二世”なので、若い頃は日本語で生活していた。おかげで英語しか話せないトムさんは伝道どころか自身の母との会話が出来なくなった。
1週間後、トムと2人でLAの老舗の引退者施設「Keiro(敬老) Home」を訪れ彼女と対面。この施設は3つの部門からなり、①介護が不要な人、②割と元気だが要介護・要医療の人、③重篤で入院状態の人 に分かれており、①の人は自由に生活し、②と③の人は厳重な監視下に置かれ、茂子さんは②だった。自殺や事故防止のためか小さな窓が天井近くに一つだけの狭く薄暗い部屋で彼女はポツリと座っていた。変な”闖入者“が来たからか予想通り彼女は怪訝な顔でボーっと私を見てる。トムに紹介されても反応なし。どうしようもない絶望感に襲われた。
かつて神学と一緒にカウンセリングも勉強したものの、当時の私は若く老人伝道や介護など全く未経験。まして20年ぶりにミニストリーに復帰したばかりの私に出来ることなど何もない。重い空気が流れ、トムは横で刺すような目で私を睨んでる。こんな若造に何が出来るかと言わんばかりに。私は心の中で神さまに「タスケテー!」と叫びつつ、「四つの法則」を示しながら恐る恐る福音を語り、最後に「イエスさまは茂子さんを愛してますよ。一緒にに祈りませんか」と尋ねた。すると「その話は以前トムから何となく聞いたことがある。」と意外な答えが。そして「私は教会へは行かない!」とキッパリと言った!「え?!」驚く私たちを尻目に彼女は堰を切ったように語り出した。
実は以前、彼女が二人部屋にいた時、同室の人のネックレスが無くなり、何と茂子さんが犯人にされてしまい、しかもトムさんはそれを真に受けて相手の人に弁償までしてしまったと言う。「何でそんなことしたの!私がそんなことする分けないでしょ!!」とトムさんに対し烈火のごとく怒ったが、周りの人は何もせず、自分をこの個室へ移送しただけで、それ以来、誰にも理解してもらえずいつも一人で泣いていたと言う。
そうかあ!!だから彼女は心を閉ざし、英語を話せなくなったんや!とたんにメラメラと霊の炎が私のうちに燃え出した。そして「茂子さん!良く分かったよ!今まで辛かったね!独りぼっちだったんだよね!?でも もう大丈夫だよ!ボクはあなたが盗みなんてしないことは良く分かってるよ。そしてね、何よりもイエスさまはご存じだよ!彼はね、皆に裏切られて、十字架にかかったんだよ!でもね。神さまだからよみがえったんだよ!そして皆の罪を赦してくれたんだよ!ボクの罪も茂子さんの罪も。だからもう前向いて行こうよ!イエスさまを信じましょう!」
とまあ私は彼女がちゃんと理解したのかどうかも分からないまま調子に乗ってまくしたてちゃったけど、何と「そうなの?」と彼女は聞き返してきた!「そうだよ!!じゃ 一緒にイエスさまに祈ろうね?」「はい。」え、マジで?と彼女の素直さにビックリ。共に祈った。彼女はイエスを受け入れた。喜びに包まれると同時に、私は軽率だったトムを厳しく叱責もした。奇蹟の街道が幕を開けた。
「闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見た。
死の陰の地に住んでいた者たちの上に、光が照った。」
イザヤ書9章2節 つづく。。。
第38話 ロンドン5輪小話 「 ブルーサンダー 」
屋根の上の地対空ミサイル、テムズ川に浮かぶヘリコプター空母。オリンピック前夜のロンドンはまさに厳戒態勢だ。第二次大戦以来と言われるその物々しい防衛体制を見て、1983年のハリウッド映画「ブルーサンダー」を思い出した。
映画のストーリーは、1984年のロス五輪に向けてのテロ対策と警備強化を名目に、カリフォルニア州当局が、陸軍と合同で秘密裏に攻撃ヘリコプター“ブルーサンダー“を開発しLAPD(ロサンゼルス市警察) に配備する、というものであった。
この武装ヘリの特徴は、防弾使用の機体を始め、赤外線暗視装置、室内の人物をカーテン越しに撮影可能なサーモグラフカメラ、飛行時のローター音を消す消音技術など色々あるが、一番の特徴は機首下部のガトリング砲の照準がパイロットの視線に連動して砲塔が追尾する”ディレクターサイト方式”となっていることである。つまり人の目線に合わせて砲が動くわけだが、驚くべきことにこれらの “未来技術” は今日では “SF” ではなく全て実現しており、前述のサイト方式も、同様の技術がゲーム機Xbox360などで見受けられる。
実に人間の持つ創造性や知恵は素晴らしく進歩するが、聖書は意外に“人間の知恵” に関しては冷静だ。
「人は暗黒の果てまでも行き、死の闇の奥底をも究めて鉱石を捜す。猛禽もその道を知らず、はげ鷹の目すら、それを見つけることはできない。(中略)だが人は、硬い岩にまで手を伸ばし、山を基から掘り返す。岩を切り裂いて進み、価値あるものを見落とすことはない。(中略)では、知恵はどこに見いだされるのか、分別はどこにあるのか。その道を知っているのは神。神こそ、その場所を知っておられる。」
ヨブ記28章:共同訳
とある。何のことはない。人間の知恵がすごいのは、知恵の根源である神が授けてくれたのだから当然だと言っているのだ。神 を恐れよう。
2012-7-19
第31話「 これぞスポーツマンシップ! 」
6月5日に行われたオハイオ州の陸上競技大会女子3200m決勝レースにおいて凄いことが起こった。事の起こりはゴール約15m手前で走者の一人であるアーデン・マクマス選手が力尽き倒れてしまった時に始まる。
するとその時、すぐ後ろを走っていたライバルのメーガン・ボーゲル選手が素早く駆け寄り、なんと、倒れた“ライバル”であるアーデンさん抱き起こし、さらに彼女に肩を貸し、一緒にゴールを目指したのだ。
これは決して“草レース“ではなく州の公式戦のしかも決勝である。普通なら少しでも高い順位目指してゴールまで走り続けるに違いない。しかしメーガンさんのとった驚くべき行動に会場の全観衆は感動し、割れんばかりの拍手喝采が巻き起こった。そして彼女たちが一歩一歩ゴールに近づくにつれて拍手の音は大きくなっていく。
しかしこのことはそれだけでは終わらなかった。2人がゴールライン手前まで来た時、なんとメーガンさんはアーデンさんの体を押して先にゴールさせたのだ。通常は選手が他の選手を助けた場合、2人ともレース失格となるところだが、あまりにも感動的な話のため大会関係者らは彼女らのレース参加と順位を認定したほどである。
助けられたアーデンさんは言う。「頭の中が真っ暗になって倒れてしまった時、そこに彼女がいた。そして『あなたが先に行きなさい』と言ってくれた」と。キリスト曰く、
「恵みの時に、わたしはあなたに答え、
救いの日にあなたを助けた。わたしはあなたを見守る。」
イザヤ書49章8節
と。我々の日々の生活において苦しい時、倒れてしまった時、神であるキリストは”そこにいて“助けて下さり、前へと押し出してくださる。 この”救い主“であるキリストを信頼しよう。 2012-6‐14
第6話「鮨屋にて。ドーソン登場」
日系3世ドーソン・イシノ。今から10年前、彼はふらりと鮨屋にやって来た。まさか俺たちが主に在る兄弟になろうとは、そして共にミッションを10年に渡って続けていくことになろうとは、まだ知る由もなかった。当時彼は60歳弱で、私が45歳。一回り上の兄貴みたいな存在だが、今振り返ると、これは教会設立に関して主が下さったギフトだったのだとハッキリ確信できる。
カウンターに座った彼は、「何か健康に良い物が欲しい」と言う。聞けば健康が思わしくなく、医者に日本食を勧められたそうな。50年代から70年代にかけて「ジャップ」と罵られ差別された世代の日系人は、日本語や日本文化を学ぶのを避ける人が多く、その結果、日本食を食べない人も多い。彼は寿司を食べるのもこれが初めてだという。“初心者“でも食べやすいウナギなどを勧めたらペロっと平らげ、色々話が盛り上がった。そして私が日本人伝道師(当時)であることを告げたところ、「何!? 君はクリスチャンでしかも日本語が喋れるのか!?」と身を乗り出して来た。「当り前じゃないか。俺は日本人だよ。」と答えると、実はどうしても頼みたいことがあると言う。
彼の年輩のクリスチャンの親友でトムさんという人に80代の未信者のお母さんがいるのだが、日本語しか話せないので、日本語で福音を説明し伝道して欲しいとのこと。「いいですよ。」と快諾したものの、彼は「実は。。」と言葉を濁し、「彼女はLAの施設にいるんだよ。それでも行ってくれるかな?」と申し訳なさそうに聞いてきた。
ここはディズニーランドや大谷翔平クンが所属するアナハイムエンジェルスで有名なOC(Orange County:オレンジ郡)なので往復100キロ。しかもLAとOCを結ぶフリーウェー5号線は大動脈でいつも渋滞しており下手すれば何時間もかかる“一日仕事“だ。それに宣教は一日で終わるものではなく継続して行うものだ。果たして?などと一瞬、脳裏をかすめたが「やろう!」と即決。「そうか!やってくれるか!」とドーソン。すぐにこの店を再訪することを約束し「さっそくこのことをトムに知らせる」と言って喜び勇んで帰って行った。が、この後とんでもないことが起こる。
待てど暮らせど一カ月たっても彼は戻って来なかった。実は電話番号を貰うのを忘れたので連絡しようがない。そして、「ミッキーさん、この店もう閉めるから。」と店のオーナーから突然の知らせが(当エッセー3話参照)。「え?!いつ?」「2週間後。」 えー!じゃドーソンは?トムさんは?お母さんは? モヤモヤする中ついに閉店日の前日を迎えた。「もう会えないかも知れないが、主に全てを委ねます。」と祈っていたら、「キター!!」 その日の午後ついに彼がやって来た。思わず「アンタ今まで何やってたの?!」と聞くと「いやぁゴメンね。体を壊して療養してたんだ。え?明日に閉店??えー?!スゴイね!神さまが僕を今日ここに送ってくれたんだね!じゃあ明日も来るよ!息子を連れて!」と言って“最終日“にもやって来た!大学生の息子さんを連れて。ついに彼とミッションが始まった。
「あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。
主が成し遂げてくださる。」 詩篇37篇5節
第5話「無料葬式」
まだ教会を始めたばかりで宗教法人を取得する前のこと。出来たばかりの教会の宣伝の意味も込めて地元の日系新聞で奏楽者やボランティアを募集したことがあった。で、かかって来た電話が、「あの~、ミッキー先生でいらっしゃいますかぁ?」と頼りない感じの日本人の初老のオッサンの声。「はい。そうですけど。。」と応じると、「あの~、ボクの母さんが94歳で先日 死んだんですけどぉ、先生、すいませんがタダで葬式してもらえませんかね~。ボクぅ、お金ないんです。実はホームレスで仕事もなくて、今は彼女の家に転がり込んでる次第でして。。。」 教会を運営してると こんなのばっか。以前の私ならともかく今はイエスさまにお仕えする身。やらな しゃーない。場所を聞いたところ、何と往復100キロはある。もちろんガソリン代もこっち持ち。
聞いたところ、すでに火葬して骨壺だけあり、LAの とある場所で埋葬される手続きなっているのだが、埋葬の際に葬式を行い、その後すぐにその骨壺を”埋める“とのこと。と言うことは野外であり、夏の猛暑の中、私は真っ黒のガウンを着て炎天下で司式せねばならない。でもブツブツぼやくことは控え、神を信頼した。なぜなら、こんな”アホ“なことは神の御心でなけれ起きないからだ。そして、これが私にとって初めての葬式の奉仕となった。奏楽用のMidiキーボードとその台、聖書やガウンを車に積み込み、祈りつつ現場に向かい初めて“オッサン“と対面。もちろん彼はキリスト者ではなく、彼の母が教会へ通っていた時に”運転手“をしてたので礼拝に出ていただけとのこと。
列席者は”オッサン”と彼の若い彼女と彼女のお姉さん、奉仕を手伝ってくれた私の教会のメンバーの男性と私の5人だけ。墓地は東京ドームが数個入るほどの巨大な場所。雲一つない真夏の青空。水を持ってくるのを忘れ、喉がカラカラになるなかキーボードを設置し「アメージンググレース」を全員で賛美。続いて詩篇23篇の朗読と説教、ほどなく終了した。「先生、ありがとうございました。金を工面したら真っ先に献金します。」などと言っていたが、彼が教会に来ることは一度もなかった。よくある話だ。
何でこんな事が起こったのかとしばらく思い巡らしていたが、数か月後にその理由がはっきりした。教会の法人化である。アメリカで教会を法人化するには、まずビジネスライセンスとNPO(非営利団体)の許可をもらう。それは容易いが問題は献金に関する「非課税認可」だ。認可するのは市や州政府ではなくIRS(国税庁)であり、首都ワシントンDCにある連邦政府だ。最近の日本でもそうだが、NPOの休眠枠がヤクザや詐欺師に使われることが多く、今は認可を得るのが相当難しい。こちらが正当な教会であることを証明させるために様々な質問があったが、何とそのうちの一つが「葬式の経験の有無」であった。まだある。その半年後、ある方から大きな葬式を依頼されたが、”オッサンの母さん”の葬式時の式順などが役立ち大いに感謝された。全てに意味があった。アホではなく収穫となった。
「こういうわけですから、兄弟たち。
主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。
農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、
耐え忍んで待っています。」 ヤコブの手紙5章7節
葬式は無事に行われ、教会の法人化も出来たが、まだ大きな仕事が残っている。”オッサン”の救いだ。忍耐しつつ祈る日々は続く。貴重な実りを期待しつつ。 5-16-2019
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