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太平洋戦争の戦地に赴き、21歳で戦死した三原市出身の旧海軍兵、明鎮(みょうちん)憲登(のりと)さんの日章旗の寄せ書きが4日、遺族の元に返された。米NPO「OBON(オボン)ソサエティ」の仲介で、旗を保管していた米兵の遺族が来日。この日、広島市中区であった返還式で手渡した。
縦約70センチ、横約80センチ。明鎮さんの名前と「祈 武運長久」などの言葉が大きく記され、古里の親族、住民たち約110人の寄せ書きがある。明鎮さんは海軍に志願し、1944年に南太平洋パラオのペリリュー島で亡くなった。遺骨は戻っていない。
広島護国神社であった返還式には、約30人が出席。米兵の息子リチャード・ジョンソンさん(79)、クリスさん(54)の父子が、明鎮さんのおいの俊成さん(56)=南区=に旗を手渡した。同席した明鎮さんの妹広田系子さん(84)=東区=は「兄は幼い私と遊んでくれた」と涙を流して喜んだ。
クリスさんが、他の日章旗の返還に関する記事を読み、NPOに協力を求めたという。リチャードさんは「米海兵隊員だった父も、返還を喜んでいるはず」と話していた。https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/245580
米から パラオ出征男性の遺品
太平洋戦争中、パラオ諸島で戦死した旧神田村(現三原市)出身の 明鎮憲登みょうちんのりと さん(当時21歳)が戦地に持参した日章旗が4日、米国側から遺族に返還された。
旗は縦約70センチ、横約80センチ。「祈武運長久 明鎮憲登様」の文字とともに、親族ら110人の名前が寄せ書きされている。明鎮さんは、日本軍の航空基地があった同諸島南部のペリリュー島で死亡したとされるが、遺骨は戻ってこなかった。旗は元米軍海兵のリチャード・ジョンソンさん(1978年に60歳で死去)が米国に持ち帰り、保管していた。遺品を返す活動を行う米オレゴン州のNPO法人「OBONソサエティ」が調べたところ、今年4月に明鎮さんの所持品とわかった。
この日、広島市中区の護国神社で返還式が開かれ、明鎮さんのおいの俊成さん(56)(広島市南区)や妹の広田系子さん(84)(東区)ら親族14人が出席。来日した元米兵の長男、リチャードさん(79)と孫のクリスさん(54)から直接、旗が手渡された。
旗を受け取った系子さんは「兄の日章旗が返ってきて本当にうれしい」と涙を浮かべ、俊成さんは「伯父が肌身離さずお守りのように持ち歩いていた寄せ書き日の丸は遺骨と同じ。実家の仏壇に供えて供養したい」と話した。https://www.yomiuri.co.jp/local/hiroshima/news/20221204-OYTNT50191/?fbclid=IwAR1gXXIcPm00qaosL-PNOFINb_aC4LXkc07cB-BmS1KaQukv7bedJXDVyGA
戦没者が携えた日の丸の旗 77年ぶりに故郷へ
太平洋戦争の激戦地となったパラオのペリリュー島からアメリカ兵が持ち帰った日の丸の旗が三原市出身の男性の遺品とわかり、70年以上の時を経て4日、遺族に返還されました。
返還されたのは、太平洋戦争の激戦地となったパラオのペリリュー島からアメリカ兵の男性が持ち帰った日の丸の旗で、ペリリュー島で22歳で戦死したとされる三原市出身の明鎮憲登さんのものとことし4月に分かりました。
4日、広島市中区の護国神社で返還の式典が開かれ、明鎮さんの妹やおいなど親族14人が出席し、旗を持ち帰ったリチャード・ジョンソンさんの息子と孫から直接、旗を受け取りました。
旧日本兵の遺留品の返還活動に取り組むアメリカの団体を通じて返還が実現したということで、旗には、「武運長久」という文字や、家族や友人などと見られる110人分の名前が寄せ書きされています。
返還式の中で、ジョンソンさんの息子のクリス・ジョンソンさんが「旗をご家族に返還できることを光栄に思います」と述べました。
旗を受け取った明鎮さんのおいの明鎮俊成さんは「アメリカから返還に来てもらい、感謝でいっぱいです。77年の時を経て戻ってきたことは奇跡としか言いようがなく、本人もふるさとに戻って来られて喜んでいると思います」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20221204/4000020490.html?fbclid=IwAR0zqUP0ZtyJ9gj-a4t2-NGre2B7ekH_y45TaMu6a7jTDnwdMnlASSvmwjk
※動画内で旗の返還者で米国人のが「クリス・ジョンソン」さんとテロップされておりますが、正しくは「リチャード・ジョンソン」さんです。クリス氏はリチャードさんのご子息です。
陸前高田市高田町の市立博物館(松坂泰盛館長)に、太平洋戦争で戦死した市民の名前が記された日章旗が遺族から寄贈された。東日本大震災で被災し、再建工事を終えて先月開館したばかりの同館。遺族は「恒久平和の尊さを市内外からの来館者に伝えてほしい」と思いを託した。
出征した旧日本兵が戦地に持参し、寄せ書きがされた日章旗を遺族に返還する活動に取り組む団体がある。米オレゴン州の非営利団体「OBON(オボン)ソサエティ」。その代表レックス・ジークさんと妻の敬子さんが来日し、2日に記者会見を開いた。夫妻は「できるだけ早く、1枚でも多く返還していきたい」と語った。
団体が創設されたのは2009年。ビルマ(現ミャンマー)で戦没した敬子さんの祖父の日章旗がカナダに住む人から返還されたのがきっかけだった。
夫妻によると、米国に持ち帰られた旧日本兵の遺品は、旧米兵の家族がそのまま保管していたり、オークションに出されたりしているという。
誰も見向もしなかった活動 貯蓄切り崩し……
日章旗には持ち主の名前のほか、寄せ書きをした多くの人の名前も記されている。こうした手がかりから遺族を探し出しているという。レックスさんは「遺骨も遺品も戻らない遺族がいる。そうした遺族に発見された日章旗を届けたかった」と話す。
当初は夫妻自らの貯蓄をもとに活動していたが、19年度以降は国の遺留品調査事業を担う日本遺族会からの委託をうけ、日章旗などの返還に取り組む。敬子さんは「最初は誰も見向きもしなかったが、一枚一枚返していくことでようやく活動が広がった」と言う。
これまで遺族のもとに返還できた日章旗は427枚(22年10月末現在)。ただ、遺族らが不明で未返還のものが約2400枚あるという。
戦後77年が過ぎ、遺族の高齢化も進む。「できる限り早く返したい」と話すレックスさんはこうも訴える。「(戦没者を知る)世代で終わるわけではない。孫やひ孫の代になっても続け、次の世代に伝えていくことが大切だ」
4日には、日章旗を所持していた米国人とともに、広島県の遺族に対面して返還する予定だ。(朝日新聞・石川友恵)
米NPO法人「OBONソサエティ」が所持していた日章旗=2日、東京都千代田区
米NPO、旧日本兵の日章旗240枚を遺族会に返還
2022/12/2
米NPO法人「OBONソサエティ」が所持していた日章旗=2日、東京都千代田区
先の大戦で元米兵らが戦場から持ち帰った日本兵の遺留品を遺族に返還する取り組みを行っている米NPO法人「OBONソサエティ」(本部・オレゴン州)は2日、東京都内で日本遺族会とともに記者会見し、同法人が所持する240枚の日章旗を公開した。今後、遺族会が所有者を調査し、遺族への返還を目指す。
記事の続きは下記リンク先をご覧ください。
https://www.sankei.com/article/20221202-IR7CSCNEFVLCDLXHH7PAXUH2LM/?
ニューメキシコ軍事博物館にて:
日章旗返還依頼をされた米国関係者らとOBONソサエティ・スタッフ
10月11日(火)午前11時から、佐藤守男命「寄せ書き日の丸」返還式が出身地である佐賀県脊振町にて行われました。
ご英霊が長い年月を経て、ようやく日章旗と共にご遺族のお手元へ戻れることとなり、本当に感慨深い思いでおります。
この佐藤守男命「寄せ書き日の丸」は、アメリカで初めて軍隊が返還を決意された非常に特別な旗です。関係者と共に訪日をして旗を手渡せるように希望していたのですが、コロナ禍などの事情によりこの度の訪日は叶いませんでしたが、ニューメキシコ州兵軍と全米バターン・コレヒドール防衛兵の会ら関係者と共に動画メッセージを作成しました。日本の皆様にもお届けしたいメッセージです。是非、ご視聴ください!
https://youtu.be/taSLGqV8v0c
終戦からことしで77年となる中、アメリカ兵が持ち帰った日本兵の遺品が、滋賀県の遺族に返還されました。
家族や友人の思いが書き込まれた日章旗。太平洋戦争で戦地に向かう兵士に託されました。
これらはアメリカ兵が自国に持ち帰っていたもので、アメリカのNPO団体が遺族に返還する活動を続けていて、26日は日章旗3枚が遺族に返されました。
フィリピンのレイテ島で20歳で戦死した大継昇さんの旗は、おいの井上準一さんが受けとりました。
【井上準一さん(71)】
「20歳で亡くなるという戦争の怖さ。ウクライナの戦争で本当にわが身にこう迫ってくるというか。もしまた日本で戦争があったら…もうやめて欲しいという気持ちです」
NPO団体は日章旗などを多く集めていて、持ち主の遺族を探しています。
【動画あり】
https://news.yahoo.co.jp/articles/ada659d0f624c75a6441d6c540168ec39cf3b344?fbclid=IwAR1PrXcdIeoP-rxwxIaqCwe8vKfuLLPWDlXNYiLRw7nNJOjjwlU1iA7gfyI
【滋賀】太平洋戦争に出征した人らが戦地などに持って行った日章旗の所有者3人が分かり、2月27日に大津市で遺族への返還式があった。いずれも米国にあったもので、戦後77年を経て太平洋を越えて滋賀に戻ってきた。返還活動を続けるオレゴン州のボランティア団体「OBONソサエティ」と県遺族会の協力で実現した。
3人は長浜市の吉田元弘さん(享年75)、東近江市の布施長左衛門さん(同72)、湖南市の大継昇さん(同21)。
3枚の日章旗はいずれも「武運長久」の文字と、出征者の名前、知人と思われる人たちの名前が記されている。当時、出征する兵士に故郷の人たちが贈るのが習わしだった。何らかの方法で、米兵らが戦地などから米国に持ち帰ったものという。
吉田元弘さんの日章旗は、長男の源市さん(67)が受け取った。元弘さんは中国大陸に出征したが、生前は戦争の話をほとんどしなかったという。「つらい思いをしたんだと思う。まさかこんなものが残っているとは思っていなかった」
今年、27回忌の法要を予定している。子や孫に日章旗を見せることを考えている。源市さんは「平和の大切さを伝えたいと思います」と話した。
布施長左衛門さんの日章旗は、長男の吉蔵さん(66)が受け取った。長左衛門さんは広島県呉市の軍港で勤務していた。「軍艦のメンテナンスなどをしていたと聞いたことがある。なぜ日章旗がアメリカにあったのか不思議だ」と首をかしげる。
軍服姿の写真が残っているが、戦争の話はあまり聞かなかった。戦後は農業や大工の仕事に打ち込んでいたといい、父の在りし日を懐かしんでいた。
大継昇さんの日章旗は、おいの井上準一さん(71)が受け取った。井上さんは大継さんの死後に生まれたので面識はないが、親類から「列車の窓から手を振って泣きながら出征していった」という話を聞かされたことはある。
大継さんはフィリピンのレイテ島で亡くなった。「70年以上たって日本に旗が帰ってくるなんて、感無量です。信じられません」と驚いていた。(奥平真也)
https://www.asahi.com/articles/ASQ317L0CQ2WPTJB001.html?iref=pc_photo_gallery_bottom
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