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OBONスタッフ手記/明鎮憲登命日章旗返還式(OBON staff's Note. Returning the remains of the war dead in Hiroshima)

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捜索班の工藤です。令和4年12月4日、広島県三原市出身の海軍兵士【明鎮憲登】命の日章旗を返還すべく米国から旗の提供者であるジョンソン親子「クリス(元米兵孫)」さんと「リチャード(元米兵息子。自身もベトナム戦争帰還兵)さん」を迎え、広島護国神社で日章旗返還式が執り行われました。

兵士の出身地である広島県三原市(大和町)といのは実は私自身多少の所縁があるところのようで、母方の6代前の祖先は三原市豊田の本郷の出であります。そんな個人的な事を胸に秘めこの返還式に記憶にない懐かしさのようなものを感じながら準備をさせて頂いておりました。

また、旗の提供者でいらっしゃるジョンソン親子はアメリカはユタ州のリーハイ(レヒ)という町からお出でになられました。ユタ州は私が大学時代を過ごした同州のローガンから150kmほどの距離。米国西部での150kmというのはまぁご近所さんなわけです。なのでジョンソン親子がどのような背景から来られた家族であるか、割と親近感を持って知る事ができました。

そんな2つの家族の橋渡しをすることが出来て本当に嬉しく、名誉に思います。
式は4日の午前9時から広島護国神社にて昇殿参拝から始まりました。ご遺族側からは明鎮家の本家、各分家を代表する方々が14名も集まり、最年少は11歳の明里さん、最年長は御年84歳になられる「憲登」命の実の妹の系子さんでした。4世代の親族が参列される返還式は私自身初の事でした。世代を超えた縁を憲登命が結んでおられると実感します。

ジョンソン親子は前日に靖国神社を訪れ、参拝の作法などご自身で学ばれ、どのように振舞う事が日本の英霊そして日本の文化に最大限敬意を払う事が出来るのか真剣に考えられておられました。彼らの故郷のユタ州は宗教的にキリスト教を信仰する方が多く、彼ら自身も毎週日曜日には教会へ行き礼拝を行い、その身と心を常に清く正しくいられるよう心がける事に重きを置き人を敬い愛する事を知っておられました。

そんな両家は顔を合わせた瞬間からお別れになるまで数えきれないほどの「ありがとう」と「Thank you」を交わされました。

既に式の様子は各メディアが紙面、映像で報道されていますので是非そちらをご覧頂ければと思います。メディアでは伝えられていない式の後に行われた昼食会と兵士「明鎮憲登」命や今回参列された系子さんのご実家と明鎮家のお墓に訪問について少し触れさせて頂きます。

広島護国神社での式が終わり、両家を関係者30名での昼食会が催されました。場所は原爆ドームを望む「広島平和記念公園」の中にある建物。この建物自体も戦争の証人であり今なおその凄惨な出来事を我々に語り掛ける遺物でした。

30名が対面に着席しお弁当を頂きました。参議院議員の有村治子先生の発案で「いただきます」の発声は明鎮家の最年少世代の女の子2名が立ち上がり「合掌・いただきます!」と。こんなに未来を感じる光景はなかなか見る機会がありませんでしたので私も思わず大きな声で呼応してしまいました。

昼食を頂きながら30名がめいめい自己紹介と今回の返還式についての感想を述べました。明鎮家の皆様は旗をはるばるアメリカから持ってきて頂いたお礼を、そしてあらためて思う平和の尊さを口にし、地元遺族会の会長は旗に署名された110名もの懐かしい地元住民の名前に「みんな亡くなってしまった。直接にこの旗を見られたらどんなに喜ばれただろう。。」と言葉を詰まらせました。そしてジョンソンさんからは米国から来た自分たちを快く迎えてくださったお礼を述べられました。

参加者の中から「人種、宗教、世代を超えてこのようにご飯を囲む事が本当の平和の姿」だとお話がありました。本当にその通りだと思い一同大きく頷き、今目の前に広がる光景がそのものであると実感し胸に刻もうと誓いました。

会食を終えジョンソン家からはユタ州の観光地「ブライスキャニオン」のお土産や式を記念し作成された盾など多くのギフトが贈られました。会場には憲登命の海軍時代の写真、元海兵隊だった「リチャード・ジョンソン」さんや米国で暮らすジョンソンファミリーの写真が並べられました。外では「平和の鐘」が鳴り響いていました。

私たちは昼食を終え、明鎮さんのお招きで明鎮家の地元、憲登命や系子さんが育ったお宅と一族の眠るお墓のある大和町上徳良へ向かいました。

広島市内を抜け山陽自動車道を北上し約一時間の運転でしたが、都会から徐々に日本の原風景に様変わりする風景は私たちを八〇年前へタイムスリップさせてくるに十分なものでした。収穫を終えた田んぼに、野焼きの煙。落ち損ねてしわしわになった柿や少し色あせた竹林。かつて憲登命が見た風景の中に私たちは身を置いたのです。この山深い集落からお国の為と下山し海軍へ入隊され、遠く南国のペリリュー島へ向かわれたのだと思うと頭の中で唱歌「ふるさと」が流れてきました。

まず向かったのは明鎮家のお墓です。細い農道の横に一本の細い道が山腹に続いておりました。くるぶしまで積もった枯れ葉を鳴らしながら皆が手を取り合って五分ほど山に入ったところに墓地はありました。眼下に茅葺屋根の古民家を望む見晴らしのよい場所でした。江戸の昔からこの地で暮らされた明鎮一族とその家に仕えた使用人さんたちのお墓だとの事です。古いものはもう名前も分からぬほどに朽ちかけておりました。蝋燭を灯し、お線香を焚き皆で手を合わせ、憲登命の日章旗が故郷に帰還した事をご報告申し上げました。ジョンソン親子は初めての日本のお墓参りに「これは二礼二拍手。。??お線香?神道?」ってなってましたが、八万の神々を敬い、仏様に手を合わせる日本の風習にも理解を示され皆と同じように手を合わせておられました。

日没も迫る時間帯になり、私たちはいよいよ明鎮さんのお宅へ。明治の時代に建てられたこの家は140年近くこの場所で憲登さん含め多くの子供たちを育んできたそうです。系子さんやご親族の方々が代わる代わるにこの家での思い出を語ってくださいました。「ほら見えますでしょう?築山にある大きな木の、ほらそこに。あれは憲登さんの一番下の弟の保(タモツ)が小さいとき悪ガキどもといたずらをして木に彫ったんです。ほらここにも。昔はよくここであそんだわ。。」

お宅へあがると真っ先に目に入ってきたのは高い床。土間からゆうに1mはあがったところに床がありました。なぜこのような高床なのか誰も分かりませんでしたが、昭和の頃にはこの床下で鶏を飼っていたそうで、鶏の世話は子等の仕事だったと仰ってました。ご主人が奥のへと招き入れてくれたので中へ入るとそこにはびっくりするほどに大きく立派なお仏壇があり、職人の手業が光る逸品でした。欄間の透かし彫りは西本願寺の壁のしつらいを模して彫られたもので7人の職人がそれぞれの工程を担当し作り上げたお仏壇だとのお話でした。まずは帰還した日章旗をお仏壇に供え、お線香をあげさせて頂きました。皆が順にお線香をあげるものだから部屋はいつの間にか雲の中に入ったかのような煙にまかれてしまいました。これがリチャードさんには堪えたらしく、せき込み、涙を流しながら紅葉まんじゅうを食べていらっしゃいました。

笑いが絶えないとても貴重な時間をすごさせて頂きました。明鎮家からはジョンソン親子にそして恐縮にも私たちOBONにもお土産を頂きました。私は早速に自身の母親と日頃お世話になっている方へのお土産にと渡してしまい不覚にも写真を撮るのを忘れてしまいましたがそれはそれはとても心のこもった贈り物でした。

お部屋に飾れていた憲登命の父母様のお写真が朗らかにこの団欒を見守っていらっしゃいました。きっと今は憲登命も他の9人の兄妹(憲登命は12人兄妹の長男、内 系子さん含む2名がご存命)も同じようにこの集まりを見守っておられる事だと思いました。

私たちは持ちきれないほどのお土産とたくさんのありがとうを頂き帰路につきました。街灯もない集落は曲がり角さえ分からぬほどの暗闇に包まれていましたが、帰りの車内は皆興奮冷めやらぬ思いを言葉にしながらキラキラの笑顔を湛えて広島市内に戻っていきました。

また思い出す事があれば追記で書きたいと思います。
この度の返還、誠におめでとうございました。

返還式は三原市遺族会とOBONのジョイント共催で行われ、本当に多くの方々にご協力頂きました。この場を借りて三原市遺族会の岡本会長、広島護国神社の藤本宮司はじめ松下、佐伯禰宜、またお忙しい中、広島まで足を運び式でご挨拶を頂きました、有村治子参議院議員、日本遺族会市來副会長に御礼を申し上げます。他にも広島県内支部遺族会の会長さんたちも多く参列して頂き、そしてご寄付を頂き感謝してもしきれないほどです。本当にありがとうございました。

※多くの写真を撮影しませんがブログに載せきれませんでした。
こちらからどうぞ → https://www.facebook.com/OBONSOCIETY/posts/pfbid0bDXCKucVWRZBCbbgKeQ6XABUSmTXznbj9dcVXzuNoaoNXZgUZys6AS1KjyNg6e98l
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