5月
23日,
2007年
日本人があまり行かないバリの村その3
彼等に比べアガバリの方々の凛とした態度に、戸惑いを感じるかも知れません、でもそれには理由があるのです。バリの生い立ちは極めて特異です。
インドネシアの中心部分はジャワで、中世にイスラム教が伝道される前は、仏教やヒンズー教が中心でした。
先の地震で半壊したプランバナン遺跡が物語るようにジャワはインドからマレー半島経由で伝道されたヒンズーが中心でした。(写真はプランバナン遺跡:ジョクジャカルタ市)イスラムの浸透を嫌う、王家はジャワの東、バリに集団移住を決意、領民ともども全て移り住んだとの記録があります。このため、イスラム80%のインドネシアでバリのみはバリヒンズーと呼ばれる土俗と習合した宗教が大部分を占めています。この大移動以前にバリに住んでいた方々をアガバリと言い、王家の支配を嫌い、独自の集落を各地に構築したとの記録があります。
しかし歴史の中に大部分のそれは吸収・消滅し、溶け込んでいったのですが、山間部や僻地の集落のみはいまだに孤高を守っているようです。