記事検索

世界初の寝台電車登場 第2話

スレッド
581系 新大阪駅にて 581系 新大阪駅にて 581系側面図 581系側面図
昭和42年10月、世界初の寝台電車が誕生しました。
最初に投入されたのは、大阪~九州間を結ぶ、寝台特急「月光」、昼間は特急「みどり」号として運転されました。

時刻表を参照しますと
昼間は、下り列車は、特急みどり号として、新大阪を9:30に出発大分に19:35着、上り列車は大分を9:30に出発。新大阪に19:47に到着、その後寝台車の準備を行い、23:30に新大阪を出発、博多の翌朝の9:20着、夜には19:45に博多を出発、5:45に新大阪に到着するダイヤでした。

この列車の特徴は、下り特急の「みどり」が新幹線に始発列車を受けて大分に向かうと共に、下り寝台特急の「月光」が新幹線最終の列車を受けて博多に向かう点でした。
特に、東京を20:00に出発すれば、翌朝の9:20に博多に到着できるわけで、直通ブルートレインのあさかぜが、1時間ほど早い19:10に出発しても、博多に到着するのは12:00であり午前中は時間を有効に使えないことになります。

同じく、上り列車は、寝台特急「月光」が新大阪始発の新幹線と接続し、9:10には東京駅に到着でき、「みどり」最終列車が、東京行き最終列車に間に合うようにダイヤが組まれていました。

こうして4日間の行程で、関西地方と九州を二往復することになるのですが非常によく考えられたダイヤだと思います。

さて、ここで581系の特徴ですが、改めて説明することも少ないかと思いますが、新幹線連絡を意識し、かつ夜行列車と言うことで側面の青色を多くした上で貫通型の新しいスタイルが作られました。
将来の分割併合を見越して独特の貫通形がデザインされましたが、この方式はその後のJRの車両にも大きな影響を与えたと思っています。
581系は当初、九州地区に投入されたため、変圧器は60Hz専用とされましたが、その後50/60Hz共用の変圧器が開発されたことから50Hz専用電車は存在しないこととなりました。
ただ、当時はコンプレッシャーなどを小型化できなくて運転台直後に従来であればボンネットに収めていたであろうコンプレッサーや電動発電機を運転台下に機械室を設けて、そこに収納することになりました。

又、旅客設備に目を向けてみますと、寝台列車として更に特急列車にふさわしい、車両と言うことでさらなる検討が加えられ、最終的には実物大モックアップの試作品を関係者のみならず本社幹部自らが検討した結果、従来の形態にとらわれず、いわゆるBロネ(開放式A寝台)の3段化といわれる方式、つまり中央通路の両側に車両の長手方向に3段の寝台を記し、昼間は4人向い合い座席とするタイプとすることが決定されました。

結果的に、従来の2等(B寝台)寝台と比べると、3段による窮屈さはあるものの、下段は1m、中段、上段も70cmの寝台幅を確保することが出来、従来の52cmの車両と比べると大幅何サービスアップと言えました。
反面、従来の3段寝台は、54人の定員を確保していたのに対して、45名と9名も少なくなることから、寝台料金については電車寝台料金を新たに設けて、上段・中段1100円、下段は1300円となりました。従来の客車列車の運賃が上段800円。中段900円、下段1000円と比べると大幅な引き上げでしたが、1等寝台並みに浴衣が標準で準備されるなど、今までの2等(B寝台)寝台とは異なる大幅なサービス向上が行われました。
その後、寝台電車は変圧器を50/60Hz共用に変更した583系に変更されてさらい増備されるのですがこの辺のお話は、次回にさせていただきます。

*****************************************************************
取材・記事の執筆等はお気軽にお問い合わせください。
下記、入力フォームからお送りいただけると助かります。
http://jnrera3.webcrow.jp/contact.html

日本国有鉄道研究家・国鉄があった時代
http://jnrera3.webcrow.jp/index.html
*****************************************************************
#鉄道 #国鉄 #JNR #歴史 #社会史 #近代史 #581系 #寝台電車 #世界初 #寝台特急電車

ワオ!と言っているユーザー

世界初の寝台電車登場 第1話

スレッド
世界初の寝台電車登場 第1話 世界初の寝台電車登場 第1話
寝台電車誕生の背景
昭和42年10月の改正で、世界初の寝台電車が誕生した。
これは、寝台車が昼間は遊んでしまう状態であった、高速道路も東名・名神以外は高速道路も整備されておらず、陸上輸送の基本は国鉄に委ねられている状況であり、効率的な運用行える夜行列車の存在が検討されていた。
また、国鉄側の問題として、高価な車両が夜もしくは昼間は遊んでしまうことは勿体ないので、鉄道車両という高価な財産を有効かつ、合理的に使用し、車両基地の設備も充分に活用することが出来るように計画されたのでした。

交通技術 42(1967)年5月号から引用

電化がもっとも進んでいる東京~九州問は、まさにこの例のとおりで、山陽線の昼間の特急列車はすべて電車か気動車で、夜行寝台特急列車はすべてブルー・トレイン客車列車である。このことは逆にいえば、481系交直流両用特急電車や181系直流特急電車は夜間は向日町基地か、南福岡基地などにまるまる滞泊し、逆にブルートレイン20系特急は品川基地か、九州、内各基地に昼間滞泊していることになる。
ここにおいて、車両として高価な財産を有効に、合理的に使用し、かつ設備をも充分に活用するための一つの有力な手段として、夜間は寝台、昼間は座席にそれぞれ切換え使用しうる車両の開発と云うテーマが提案されたのである。

典型的な例を示して車両運用を考えてみると、上図でAB両駅間の特急列車の所要時分8時間程度の場合、昼行特急lM2Mは電車による座席特急、3レ、4レは寝台専用客車特急、ブルー・トレインと云うのが従来のやり方であった。この場合、使用編成をみると電車が2本、客車が2本、合計4本となり、このほかに予備車がそれぞれ必要となる。ここで、昼は座席・夜は寝台とした電車を、この線区に投入するとし、B駅側に車両基地があれば、4レは1Mに、2Mは3レにそれぞれ運用がきくので、使用編成は2本となり、予備車も車種が減るので当然、少なくてすむこととなる。もちろん、いずれの場合もこのほかに検査のための編成が必要とはなるが、所要車両数はうんと少なくてすむことは明らかである。
また同時に、基地に滞泊する時間も非常に少なくなり、当然その分だけ他の車両を収容できることとなって、実質的に基地能力を向上したことになる。


そこで、動力分散式車両を利用して昼間は座席車で夜間は寝台列車で走らせるべく列車が検討されることになったそうです、当初は急行列車を想定しており、二等寝台【B寝台】も従来の開放型寝台をそのまま電車にしたものを想定していたそうです、この辺を昭和49年9月号の鉄道ジャーナルで星 晃さんが書かれた記事にその辺が詳しく書かれていました、要約しますと、当初の案では現在の寝台車(ナハネ10など)をそのまま電車にしたようなイメージ、昼間の居住性を強調するため昼間は、座席を移動させて普通の座席車仕様に、夜は再び座席を移動して寝台とする、Bロネ(開放式A寝台)を3段化したもの。
が案が検討されたそうです。
昭和40年12月の常務会では、従来型の寝台車をそのまま電車にするのが良いのでは無いかという結論となりました。
ただ、交直流電車のため交流機器が大きく占めるため一区画ほどは2段にせざるを得なくなり、定員は50名(従来の寝台車は54名が標準)になるのはやむを無いだろうということになったと言われています。
実際、高千穂等は昼間は寝台車を座席にして使っていたわけであるからもんだは無いであろうという結論であったそうです。
その後、寝台電車の運用区間として想定されていた、新大阪~九州間について検討を行った結果、急行列車では折り返し運用に適切で無いとのことで再び検討する必要が生じたと言われています。
そこで、再び特急列車でかんがえることに変更されていったと記録されています。
特急運用となると、こだま形電車がその標準となるため、デザインを含めて一から検討することとなったそうです。(特急電車581系誕生・・・次回に続きます)
#鉄道 #国鉄 #JNR #歴史 #社会史 #近代史 #581系 #寝台電車 #世界初 #寝台特急電車

ワオ!と言っているユーザー

みどりの窓口と、端末機の話

スレッド
昭和40年の時刻表から... 昭和40年の時刻表から V形端末機【初期の端末機】で出... V形端末機【初期の端末機】で出力される切符
みどりの窓口は、昭和40年10月のダイヤ改正で拠点駅152駅及び、交通公社(JTB)拠点83営業所に設置されたそうですが、全ての駅並びに、交通公社に端末機が配置されたそうでは無いそうです。
交通公社は81営業所に、108駅に端末が設置されたものの、48駅は窓口はあっても従来通り電話で近隣の端末がある駅に照会をかける方式のようです。
なお、当初設置された端末は337台と書かれておりますので、全ての駅に複数台が並んでいた訳ではなさそうです。

余談ですが、国鉄の駅に設置する端末機の場合は鉄道電話網を使っているので、問題は無かったそうですが、交通公社に設置した端末に関しては電電公社の回線を使うため、回線の種類が一般電話回線では無く専用線扱になったそうです。

また、このときに開発されたのがマルス102と呼ばれるシステムで、昭和39年から開発が進められ、昭和40年10月からの利用が開始されたとされています。
取扱座席数は1日13万座席であり、それまでのマルス101では4列までしか指定できなかったため新幹線の指定席に関しては従来通り、手作業であったものの、新システム導入で新幹線も電子計算機で指定券を発行できるようになったとして大幅な効率化を図ることが出来ました。

このシステム導入により、指定券の誤発売は全くなくなったというわけは無いが半減したと、当時の部内誌では報告されています。
特に新幹線での発売効果は顕著で、マルス導入前の誤発売が1日平均、8.52件であったのが、0.94件に激減、在来線でもほぼ半減となったとされています。

なお、みどりの窓口設置に合わせて、窓口職員はベテランを充てると共に、出納の過不足金に対する任意弁償の制度を無くすことで、職員の負担を軽減すると言った施策も合わせて実施したとされています。

マルスの一日平均有効コール数は当時で1日平均14万コール、発売枚数は12万枚程度と言われています。
初期の端末は、駅名が書かれたゴム印を端末に挿入するもので、これを切符に印字するようになっていました。

国鉄線、昭和41年4月号を参照しますと、失敗談として、昭和41年1月27日未明の保守作業で、機器の不備と書かれていますが、過電流によりマルス102が完全にストップして夕方6:50まで機能が停止したとのことで、冗長構成などが取られていなかったのかも判りませんが、異常時対策の確立を考える貴重な機会になったとかかれています。

*****************************************************************
取材・記事の執筆等はお気軽にお問い合わせください。
下記、入力フォームからお送りいただけると助かります。
http://jnrera3.webcrow.jp/contact.html

日本国有鉄道研究家・国鉄があった時代
http://jnrera3.webcrow.jp/index.html
*****************************************************************
#鉄道 #国鉄 #JNR #歴史 #社会史 #近代史 #みどりの窓口 #マルス102 #日立 #JTB

ワオ!と言っているユーザー

みどりの窓口の開設 設置編

スレッド
みどりの窓口が昭和40年10月... みどりの窓口が昭和40年10月の改正で設置された、ただし全ての駅にマルスが設置されたわけではなかった。
現在でも駅で指定券を購入する場合「みどりの窓口」というカウンターがあります。(JR東海は、「きっぷうりば」としており、みどりの窓口自体がJR東日本の登録商標であることが関係していると言われています。

それ以外のJR各社及び、JRから第3セクター鉄道に変更された鉄道等で「みどりの窓口」という名称が使われています。

「みどりの窓口」の発祥は、門司鉄道管理局と言われており、全国に先駆けてはじめた国鉄セールスマンによる団体旅行勧誘に始まるとされています。

当時、小倉駅、博多、佐賀、佐世保、後藤寺の各駅に1人ずつ配属されたが、小倉駅の助役が第一号で、現在の「みどりの窓口」の発案者の1人でもあるとwikipediaには書かれていますが、当時の資料等を確認していませんので今後確認する予定です。

当時の資料等を参照しますと、指定券発売業務自体が電話取り次ぎとなっており、実際には下記のような苦情が多かったのでは無いかと書かれています。

具体的には、


  1. 窓口で満員ですと断わられたのに乗ってみたらガラガラだった」

  2. 「発率直前に特急券を買おうとしたが行列でやむを得ず入場券で乗車した」

  3. 「苦労して手に入れた寝台券がダブっていて不愉快だった」


結局、国鉄としても肝心の収入源である指定席を十分販売できないことは問題であるとして、切符の販売が多い、152駅を選び出して、「みどりの窓口」を開設し、端末(マルス)102が設置されたそうです。

みどりの窓口設置駅
当時の国鉄部内誌を参照しますと、みどりの窓口は、下記のような目的で設置されたと書かれています。

少し長いですが、全部引用させていただきます。

窓口が果たすべき役割であるから上記のような旅客の要求にマッチした、新しい指定券の発売体制というものを確立すぺきである。

三、「みどりの窓口」前節でのぺた旅客の要求にマッチした新しい販売体制の第一歩として「みどりの窓口」を設置する。

従来の画一的な販売体制に代え、指定券の発売拠点となっている一五二駅を選定し、ここに指定券を専門に発売するI。みどりの窓口」を設置し、これを抜本的に強化する。

この窓口はどんな指定券でも完全なサービスで提供できる体制を作るとともに、このことを広く一般に周知させる。したがって「ここだけは絶対に信頼できる窓口」である必要がある。

このため、有能で経験豊かな職員をこの窓口に集中配置し、座席予約自動システムの端局装置を中心に発売体制を再編成することと

する。

 (注)現在国鉄では全国約五〇〇〇の駅で、どの駅でも全ての指定券を同じ条件で購入できる制度をとっている。だが現実には、主要一〇〇駅で全発売枚数
の八〇%が発売されている。

このようにして、国鉄では昭和40年の時刻改正で、マルス102を開発すると共に、指定券を国鉄の重要な商品として発売していくこととなりました。
続く
*****************************************************************
取材・記事の執筆等はお気軽にお問い合わせください。
下記、入力フォームからお送りいただけると助かります。
http://jnrera3.webcrow.jp/contact.html

日本国有鉄道研究家・国鉄があった時代
http://jnrera3.webcrow.jp/index.html
*****************************************************************














#鉄道 #国鉄 #JNR #歴史 #社会史 #近代史 #みどりの窓口 #マルス102 #日立

ワオ!と言っているユーザー

東海道新幹線開業 開業1ヶ月後の状況

スレッド
新幹線時間帯別、乗車率 新幹線時間帯別、乗車率
本日は、東海道新幹線開業の様子ということで、部内誌、国鉄線という雑誌の記事の中から参照していこうと思います。
開業1ヶ月の通信簿は下記の通りでした。
ただし、東京オリンピックの開催もあったので、この数字が全てでは無いということで、割り引いて考える必要があるとしています。

1)新幹線の予約は低調だった?
新幹線開業前は予約が比較的低調で、開業後が心配されたそうですが、開業と共に人気が高まり、10月中旬には、「つばめ」「こだま」当時と劣らない乗車効率を示したと記述されています。
2)初月の収入は予想を下回った。
輸送人員は、予測通りであったが平均乗車キロは計画の9.7%減、それにつれて輸送人キロも11.4%の減少となり、収入面では36億1600万円の収入に対して、32億700万円と4億900万円の目標未達となった。
3)超特急(ひかり)は人気、特急(こだま)は不人気
 開業当初は、超特急(ひかり)、特急(こだま)として、運賃も超特急運賃と特急運賃に分けていましたが開業当初1ヶ月の結果は、下記の通りで会ったそうです。
超特急 計画に対して7.7%増、特急 計画に対して 8.3%減【いずれも計画輸送人員】
短距離区間の、東京⇔熱海間、東京⇔静岡は利用が多かったが、東京⇔大阪間は圧倒的に超特急の利用が多かったとされています。
4)誘発需要は低調
 新幹線に限らず、新たな交通手段が誕生することで、誘発需要が喚起されるのですが、開業1ヶ月の成果は、一日2500人ほどであり、30%誘発需要の予測に対して6%と低調だと記録されています。
5)超特急の月間平均乗車率は、下り88% 上り84%、それに比して特急は、上下とも63%と振るわない結果となっており、特に朝夕の特急は空席が目立つとのこと。

今後の方向性
特急と超特急の料金が200円、(現在で1000円程度)の差であり速い列車を望む傾向があることが顕著になったことから、超特急と特急の列車本数の変更、特急への旅客誘致【団体客を中心に)、特急の部分指定席化または、全面自由席化を検討する必要があると結んでいます。

在来線についても言及されております。
東海道新幹線は、東海道線の線増という位置づけでしたので、特急は新幹線に移行したものの、急行列車以下はそのまま在来線に残されました。と言うよりも、国鉄としても全て新幹線に移行させるのは不安があったからだと思われます。
開業に伴い昼行急行列車は3本廃止ししたことにより乗車率が93%→101%に増加したそうですが、その原因として新幹線特急料金と急行料金の差、特急料金【東京⇔大阪 1100円、急行 300円】との差が大きかったと推定されていますが、夜行急行列車については新幹線開通により、1割程度利用客が減少したと言う記述があります。
実際、昭和40年以降のダイヤ改正では、東海道線を走る夜行急行は、銀河と明星のみとなり、いずれも輸送力列車として寝台中心から座席車主体の編成に衣替えされることとなり、新幹線へのシフトが更に進むことになりました。
*****************************************************************
取材・記事の執筆等はお気軽にお問い合わせください。
下記、入力フォームからお送りいただけると助かります。
http://jnrera3.webcrow.jp/contact.html

日本国有鉄道研究家・国鉄があった時代
http://jnrera3.webcrow.jp/index.html
*****************************************************************
#鉄道 #国鉄 #JNR #歴史 #社会史 #近代史 #新幹線 #開業後成績 #夜行急行 #東海道線

ワオ!と言っているユーザー

東海道新幹線開業前、世論はどうだったのか?

スレッド
0系新幹線 0系新幹線
気がつけば2ヶ月も更新しないままになっていました、さて今回も引き続き新幹線開業前後のお話から始めさせていただこうと思います。

少し当時雑誌などから拾った記事と言うことで、新幹線開業前の世論はどのようなものだったのでしょうか。
これによりますと、新幹線開業前に、京都で新幹線を撮影しようとしたのか否かは判りませんが、桂川橋梁で7月17日に高校生が上り電車と接触して死亡したと言う記事が出ていますし、それ以外にも開業前に滋賀県内で、ガスボンベが線路上におかれてこれを跳ね飛ばした事件【年月は不明で今後調査の必要あり】や置き石事件などが報告されており、開業までの線路への立ち入りを禁止するための措置として防護柵を設けるとしています。

当時の朝日新聞朝刊の投書欄には、下記のような記事が書かれていました。
少し長いですが、引用させていただこうと思います。

二日「朝日」(朝刊)投書欄に「新幹線の事故防止に一案」と題して次のように掲載されている。「列車の前方に重量百キロほどの軽い無人探索者車を走らせ、これを列車と無線またはパルス(時間波動)無線で結び、列車から制御するのである。・・・今、考えているレーダー法などはたとえば、カラスがとまっていても危険物として探知されるという難点がある。・・・高速列車の事故は重大な結果を生じるので、その防止のためにはあらゆる可能性を検討してほしい」といっている。


まぁ、探索車はともかく、レーダー方式はそれなり面白いかもと言うか、現在のドクターイエローは前面運転台にテレビカメラが装備されていますが、現在の技術ならそれとAIを組み合わせてなんてことも可能かもしれないですね。あくまでも可能性ですが。

ただ、新幹線は従来の車両と比べて圧倒的に速度も速いことから小さな障害で大きな事故を招きかねませんので、それを避けるために新たに法律が制定されることになりました。
それが、昭和39年6月22日に公布された、「東海道新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法」

(線路上に物件を置く等の罪)

第三条 次の各号の一に該当する者は、一年以下の懲役又は五万円以下の罰金に処する。

 一 列車の運行の妨害となるような方法で、みだりに、物件を東海道新幹線鉄道の線路(軌道及びこれに附属する保線用通路その他の施設であつて、軌道の中心線の両側について幅三メートル以内の場所にあるものをいう。次号において同じ。)上に置き、又はこれに類する行為をした者


となっています、この新幹線に関する法律では、山形・秋田新幹線、並びに在来線扱として届けた、博多南線のみがこの法律の適用外となっています。

http://jnrera3.webcrow.jp/potal_shiryou/Law/Law_other/s39/s39_111.html
東海道新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法(昭和39年法律第111号)

他にも、アンチな意見や突拍子な意見もあったようで、いずれも国鉄線と言う雑誌の10月号で見かけた記事を少しアレンジして引用させていただこうと思います。

最初は、アンチ新幹線の意見
"夢の超特急は空前の愚挙"と題して、八月九日号(八月二十三日号)週刊読売に掲載された記事で、「超特急『ひかり』全線試乗記」に同調したもので、東京~大阪を往復する人間が何人いるのか、料金も高価になるので乗る人は金持ちに限られるだろうし、三時間もかかる超特急より一時間そこそこでゆける飛行機を利用するのは自に見えている。
と手厳しい、新幹線開業は国鉄の自慰行為であると決めつけているのですが・・・これに対しては国鉄も部内誌の中では反論しているようです。
まぁ、一部にはこうした反対論もあったようですが、こうした意見ってよく考えてみると、クルーズトレインに反対する人の意見と同根なんですね。
自分は乗れないから、誰も乗らないだろうって・・・。
まぁ、実際はどうなのかという点は、答えを見るまでも無いんですけどね。

そして、こちらは週刊サンケイ(現在のSPA)の記事からですが

『時速二百キロで走る夢の趨特急の車内で結婚式をあげたい』という許可願が国鉄に届いて、国鉄も苦慮しているというお話。

新郎は大阪市に住む某セールスマンで新婦は静岡市内の病院で働く女子事務員。挙式をこの秋に予定しているので、新幹線の新大阪~東京の全線試運転のときに『一車両ご提供願いたい』というちゃっかりというか図々しいというか、なかなかの強者のお話。
新婚旅行客にはできるだけのサービスにつとめたいとしていますが、走る列車内での結婚式は前代未聞であり、まして試運転中なので大切な門出に万一のことがあってはこの"スピード結婚式"の許可願に頭を悩ませている。」という、まぁ、実際にそうしたことが行われたと記録は無いので、当然却下だと思われますが、面白い記事でしたので、いささか古い記事ですが併せてアップしてみました(五月十八日週刊サンケイ)

*****************************************************************
取材・記事の執筆等はお気軽にお問い合わせください。
下記、入力フォームからお送りいただけると助かります。
http://jnrera3.webcrow.jp/contact.html

日本国有鉄道研究家・国鉄があった時代
http://jnrera3.webcrow.jp/index.html
*****************************************************************
#鉄道 #国鉄 #JNR #歴史 #社会史 #近代史 #新幹線 #世論 #列車妨害 #置き石事故

ワオ!と言っているユーザー

  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ