世界初の寝台電車登場 第2話
5月
31日
最初に投入されたのは、大阪~九州間を結ぶ、寝台特急「月光」、昼間は特急「みどり」号として運転されました。
時刻表を参照しますと
昼間は、下り列車は、特急みどり号として、新大阪を9:30に出発大分に19:35着、上り列車は大分を9:30に出発。新大阪に19:47に到着、その後寝台車の準備を行い、23:30に新大阪を出発、博多の翌朝の9:20着、夜には19:45に博多を出発、5:45に新大阪に到着するダイヤでした。
この列車の特徴は、下り特急の「みどり」が新幹線に始発列車を受けて大分に向かうと共に、下り寝台特急の「月光」が新幹線最終の列車を受けて博多に向かう点でした。
特に、東京を20:00に出発すれば、翌朝の9:20に博多に到着できるわけで、直通ブルートレインのあさかぜが、1時間ほど早い19:10に出発しても、博多に到着するのは12:00であり午前中は時間を有効に使えないことになります。
同じく、上り列車は、寝台特急「月光」が新大阪始発の新幹線と接続し、9:10には東京駅に到着でき、「みどり」最終列車が、東京行き最終列車に間に合うようにダイヤが組まれていました。
こうして4日間の行程で、関西地方と九州を二往復することになるのですが非常によく考えられたダイヤだと思います。
さて、ここで581系の特徴ですが、改めて説明することも少ないかと思いますが、新幹線連絡を意識し、かつ夜行列車と言うことで側面の青色を多くした上で貫通型の新しいスタイルが作られました。
将来の分割併合を見越して独特の貫通形がデザインされましたが、この方式はその後のJRの車両にも大きな影響を与えたと思っています。
581系は当初、九州地区に投入されたため、変圧器は60Hz専用とされましたが、その後50/60Hz共用の変圧器が開発されたことから50Hz専用電車は存在しないこととなりました。
ただ、当時はコンプレッシャーなどを小型化できなくて運転台直後に従来であればボンネットに収めていたであろうコンプレッサーや電動発電機を運転台下に機械室を設けて、そこに収納することになりました。
又、旅客設備に目を向けてみますと、寝台列車として更に特急列車にふさわしい、車両と言うことでさらなる検討が加えられ、最終的には実物大モックアップの試作品を関係者のみならず本社幹部自らが検討した結果、従来の形態にとらわれず、いわゆるBロネ(開放式A寝台)の3段化といわれる方式、つまり中央通路の両側に車両の長手方向に3段の寝台を記し、昼間は4人向い合い座席とするタイプとすることが決定されました。
結果的に、従来の2等(B寝台)寝台と比べると、3段による窮屈さはあるものの、下段は1m、中段、上段も70cmの寝台幅を確保することが出来、従来の52cmの車両と比べると大幅何サービスアップと言えました。
反面、従来の3段寝台は、54人の定員を確保していたのに対して、45名と9名も少なくなることから、寝台料金については電車寝台料金を新たに設けて、上段・中段1100円、下段は1300円となりました。従来の客車列車の運賃が上段800円。中段900円、下段1000円と比べると大幅な引き上げでしたが、1等寝台並みに浴衣が標準で準備されるなど、今までの2等(B寝台)寝台とは異なる大幅なサービス向上が行われました。
その後、寝台電車は変圧器を50/60Hz共用に変更した583系に変更されてさらい増備されるのですがこの辺のお話は、次回にさせていただきます。
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