国鉄誕生と鉄道事故 第1話 国鉄の復興
10月
30日
戦争で交通機関等も破壊された日本において、最低限必要な旅客・貨物輸送を確保するのは喫緊の課題でした、大量輸送という点では内航海運は有利でしたが、戦争中に徴発されたこと、港の破壊などで早急な復興は無理であり、自動車輸送にあっても早急な改善は無理なことから、必然的に鉄道輸送を早急に復旧させる必要がありました。
このため、政府は終戦と同時に鉄道復興5ヵ年計画を立て、国鉄の復旧に全力を注ぐこととなりました。
その内容としては車両の新製(1,259両)、被災車両の復旧、被災軌道の復旧、電化工事の推進などでした。
特に電化工事は戦前は、国防上の理由から中々進展していませんでした。
国鉄(当時は運輸省)でも、戦時中の輸送制限(切符の発行枚数の制限など)を緩和と乗車秩序の確保策をとりますが、中々思うようには復旧は進みませんでした。
といいますのも、肝心の資財を提供できる工場や施設が破壊されているわけですから思うようには進まないわけです。
特に資財では鉄材が不足し老朽化したレールの更改などが中々進みません。
政府は、昭和23年復興計画の見直しを行い、鉄道・石炭・鉄鋼・電力を重点産業部門として位置付けることに成り、その復興が推進されることとなりました。
これにより車両の生産及び修繕能力は戦前の水準にようやく回復することができましたが、実際の車両の生産や電化などはドッジラインの影響で中々思うように進みませんでした。
終戦直後の国鉄の輸送人員は一日平均で約700万人、戦争中に比べ15%の減少でしたが、旅行制限の緩和などで次第に輸送量は増えて戦時中を凌ぐ状況となってきました。
昭和20年12月以降、石炭危機が発生し、列車に一部を削減せざるを得ない状況となりました。
さらにそこに買出し客が増えるうえ、敗戦に伴う人心の荒廃から乗車秩序は乱れ、混乱状態に更に拍車をかけることとなります。
このため、輸送力を確保するため昭和21年度には急行列車廃止と2等車(現在のグリーン車)の連結中止、学生定期の使用禁止、遠距離旅客の抑制といった規制を再び設けざるを得なくなりました。
これは戦時中に、日本に徴用された朝鮮・中国人労働者の就業拒否などが原因と言われていますが詳細は、今後さらに勉強したいと思います。
これに伴う、関連資料はhttps://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00751.php。昭和21年度下期石炭危機突破対策 国立国会図書館の資料を参照 しています。
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