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高度経済成長と輸送力増強 第6話 踏切事故増加と踏切道改良促進法

スレッド
自動車の保有台数 自動車の保有台数 踏切事故件数 昭和38年 国鉄... 踏切事故件数 昭和38年 国鉄監査報告書から引用
増える自動車登録台数と踏切事故

昭和30年代の経済成長は、旅客並びに貨物輸送の増大に伴う輸送力増強や。投資不足に伴う数々の事故を発生させたほか、経済の発展は自家用車の登録を増加させていきました。
踏切事故件数および自動車台数を見ていただくとわかるのですが、昭和31年以降急激に伸びていることがわかります。
弊サイトでは、当時の事件事故を年表にしていますが、昭和30年代は無謀運転のトラックや乗用車の他、バスとの接触事故などが後を絶ちません。
特に踏切事故では自動車の乗員が死亡する等悲惨な事故になる場合が多く、その対策は急務とされましたが、踏切対策以前に輸送力の増強に追われていたため。その整備は後手に回るのでした。

当時の踏切事情

鉄道の踏切には、第1種~第4種まであり、現在は第2種と呼ばれる踏切はなくなったものの、一部に第3種・第4種と呼ばれる踏切が存在します。

第4種は、踏切の警報器も遮断機もない踏切で、ローカル線の一部には現在も存在しています。
第3種は、警報器はありますが、遮断機がない踏切で、こちらも現在でも残されている区間があります。
そして、第1種と呼ばれるものが、皆さんが一般的に認識している遮断機も警報器もある踏切であり、遮断機がおり始めたら決して入らないことが原則となります。
そして、現在は廃止になりましたが第2種という踏切は、昼間は踏切の保安員がいて昇降を行いますものの、夜間には無人となり第4種踏切と同じ状況になるものでした。
これは、第1種が元々踏切保安員が常駐して踏切の上げ下げを行うことを前提としていたためです。

鉄道としても踏切事故対策はないがしろに出来ない問題となり、昭和36年以降は輸送力増強と並行して踏切の整備にも取り組むこととなり、自動車の保有台数は増えつつも事故件数は減少傾向になることになりました。
また昭和36年には、「踏切道改良促進法 法律第百九十五号(昭三六・一一・七)」が制定されました。
一部条文を抜粋しますと

(指定)

第三条 運輸大臣及び建設大臣は、踏切道における交通量、踏切事故の発生状況その他の事情を考慮して運輸省令、建設省令で定める基準に従い、昭和三十六年度以降の五箇年間において立体交差化又は構造の改良(踏切道に接続する鉄道又は道路の構造の改良を含む。)により改良することが必要と認められる踏切道について、その改良の方法を定めて、指定するものとする。

2 運輸大臣は、踏切道における交通量、踏切事故の発生状況その他の事情を考慮して運輸省令で定める基準に従い、昭和三十六年度以降の五箇年間において保安設備の整備により改良することが必要と認められる踏切道について、その改良の方法を定めて、指定するものとする。

3 運輸大臣及び建設大臣又は運輸大臣は、第一項又は前項の規定による指定をしたときは、その旨を、当該鉄道事業者(軌道経営者を含む。以下同じ。)及び道路管理者(前条に規定する道路の管理者をいう。以下同じ。)又は当該鉄道事業者に通知するとともに、告示しなければならない。

中略
 (改良の実施)

第五条 鉄道事業者又は道路管理者は、立体交差化計画若しくは構造改良計画又は保安設備整備計画に従い、当該踏切道の改良を実施しなければならない。

 (費用の負担)

第六条 立体交差化計画又は構造改良計画の実施に要する費用は、鉄道事業者及び道路管理者が協議して負担するものとする。

1 保安設備整備計画の実施に要する費用は、鉄道事業者が負担するものとする。

当初は昭和41年までの時限立法でしたが現在も法令としては効力を持っています。
なお、立体交差化については、「実施に要する費用は、鉄道事業者及び道路管理者が協議して負担するものとする。」となっていましたが、「保安設備整備計画の実施に要する費用は、鉄道事業者が負担するものとする。」とあるように、国鉄にしてみればと必要なこととはいえ、第二次長期計画に加えて、こうした費用を捻出することが必要となってきたため、その財源を探す必要に迫られました。

なお、これにより踏切の整備をすることが法的に定められることとなり、徐々にですが踏切事故は減少することとなりました。
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高度経済成長と輸送力増強 第4話 三河島事故

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https://www.you... https://www.youtube.com/watch?v=_vvI4-zunRs
昭和37年のニュース「三河島事故」④(終)
三河島事故 Wikipedia... 三河島事故 Wikipediaから
昭和36年からの第二次長期計画は、車両の増備を中心に輸送力増強に努めたのであるがそれでも経済の発展に追いつけず、慢性的な輸送力不足を呈しており、複線化が急がれていたのですが、昭和37年5月に、国鉄にとっては悪夢のような事故が起こりました。
死者160人、重軽傷者296人を出す大惨事、三河島事故でした。
当時の概要は、既に多くの記事等でご覧の方も多いかと思いますので、詳細な解説は省略しますが、貨物列車の乗務員が信号を見落として本線に進入、安全側線に突入したが止まりきれずにそのまま本線を支障、そこに上野発、取手行き電車(2117H)が接触 1.2両目が脱線して、今度は対向線を支障、乗客はドアを開けて線路沿いに歩きかけたところ、今度は、事故を知らされていない上野行き電車(2000H)が進入、徒歩で避難していた乗客を刎ねながら、上野行き電車先頭車と衝突、1.2両目を破壊しながら200H電車は4両が脱線、大破 1両目は原形をとどめず、2,3両目も築堤下に転落。
この事故で、2000Hの乗務員が死亡しています。

国鉄では、常磐穂三河島駅列車衝突事故特別監査報告書を6月14日に提出
それによりますと、 事故の原因として、貨物列車乗務員の信号見落とし並びに、駅および車掌などが後方業務の停止措置を怠ったことが原因であったとしています。

以下、本文から抜粋

事故の直接原因については、細部に不明な点もありますが、国鉄の調査に基づいて検討した結果、次のごとく推定される。
(1) 事故の直接の原因は、下り第287貨物列車の機関車乗務員が三河島駅の出発信号機の停止信号を確認せず、そのため列車が安全側線に突入脱線したことによる 。
この事故の結果を悲惨なものとした原因は、第1の衝突により 、下り第2117H 電車が上り本線を支障したが、約6分後進入してきた上り第2000H電車に対して、防護処置をなすべき関係乗務員および関係駅職員の行動に遺憾の点があったためと思われる。

当時の世論などは、どうだったでしょうか。
当時の部内誌の記事を参照しますと、当時の世論では、機関士の信号見落としは、業務に対する士気の低下では無いのかと言う精神論を討論調が大半を占める中、人間はミスをするものであるから、ミスを未然に防ぐための仕組みを作る必要と言う意見もあったと紹介されています。

昭和37年8月号の国鉄線の記事から引用させていただきますと。
 三河島事故直後の世論は「職貝の士気の弛緩と訓練不足」と「保安施設の不備」を指摘するものがもっとも多く、そこから「国鉄に対する不信感」をかもし出したのであるが、東京・社説(六・一六)は「保安設備を改善せよ、といっているのも当然である。いかに安全運転を心がけても、施設が不十分では事故をなくすわけにはいかない。現状をみると、自動停止装置をとりつけているところは、東海道、中央、山手の各線ぐらいのもので、他の殆んどは相も変らず人間の手で行なわれている。人間の眼とカンに頼っていたのでは、いかに注意深い人間でも時として錯誤はまぬかれず、しばしば大きな事故の原因となっている。」と物心両面の安全確保を主張している。

結果的には、国鉄にしてみればATSなどの非常停止装置の措置は喫緊の課題となり、輸送力増強の投資に併せて、安全運行のための措置にも大きく予算を配分する必要に迫られるのでした。
なお、常磐線にあっては、ATS整備の他、常磐線用防護無線が整備されることになったのはご存じの通りです。
余談ですが、「ある機関助士」は三河島事故を受けて安全確保に尽力していることをアピールするための映像として依頼したのですが、国鉄の意向とは異なり一般公開されないままお蔵入りになった映像でした。

その後は、名作としての誉れが高いのは皆様ご存じの通りかと思います。」

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高度経済成長と第2次5カ年計画 第3話 慢性的な輸送力不足

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高崎発上野行き普通列車 724... 高崎発上野行き普通列車 724列車
動画は下記をご覧ください。
https://youtu.be/q46dgvSsUhM
高崎線724列車時刻表 高崎線724列車時刻表
第二次長期計画は、主に車両の増備等がメインであったと昨日は書かせていただきました。
特に電車や気動車の投資効率が高かったため、国鉄は積極的にそうした車両を投入していったわけですが、YouTubeを検索してみますと昭和35年の高崎線の列車通勤風景が写った動画がありました。
調べてみますと、高崎6:05発上野行きで、上野着は8:25で休日運休の客車列車だったようです。
その5分前並びに11分後にも上野行きの列車が走っていますが連日このような混雑だったのでしょうか。
少し興味はあります、併せて当時の時刻表を貼らせていただきましたので併せてご覧ください。
少なくとも、高崎線に限らず、中央線などでもその問題は大きくクローズアップされ、101系電車などが優先的に投入されたことからもその混雑が大きかったことがうかがえるのですが、当時の昭和35年の国鉄監査報告書を参照しますと、昭和36年度も35年度の引き続き毎年旅客で6%の伸張、貨物輸送にあっても昭和35年度8%、昭和36年度7%と毎年増加し続け、貨物輸送も活発化していた時期でもありました。
特に吹田操車場などでは、ヤードに到着する貨車を捌いても捌いても次から次へ貨車が到着して向こうが見えなかったと言われるほど貨車の到着が多かったと言われています。

また、旅客の嗜好にも変化が見られ、より速い列車を選択する傾向が高くなったことから積極的な優等列車の増発がはかられる反面、投資のための費用を自ら生み出すことを目的として運賃値上げが昭和32年と36年6月運賃が改定されていますが、多少の運賃値上げによる旅客収入の伸びに鈍化が見られましたが、概ね右肩上がりの順調さを示していましたが、それでも高崎線の上記列車に見られるような痛勤も有ったようですし、程度の差こそあれ多くの列車が満員で、年末などの繁忙期では、列車に乗るために前日から駅の待合で過ごし、ダフ屋【今で言う転売屋】が跋扈する、そんな時代でした。
年末やお盆の時期には上野駅や大阪駅ではテント村なる待合施設が出現し、季節の風物詩として話題になったものです。
しかし、国鉄の輸送力増強施策は、国の経済成長にはなかなか追いつけず、特に自動車の発達による踏切事故の多発は、鉄道事業者にとっても頭の痛い問題でした。
当時の運輸省の考え方は、鉄道は地域独占の事業であり踏切の整備等はすべて鉄道事業者の責任とされており、そうした対策への費用も振り向けざるを得なかったのですが、さらに昭和37年には、三河島事件という大きな事故を国鉄は起こすことになるのですがこの辺は、明日またお話しさせていただきます。

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高度経済成長と第2次5カ年計画 第1話

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高度経済成長と第2次5カ年計画...
本日から、国有鉄私見として第2次5カ年計画についてお話をさせていただこうともいます。

高度経済成長と輸送力増強 第3話 第2次5か年計画と国鉄 
http://jp.bloguru.com/jnrerablackcat/311526/5 
も併せて参照していただければ幸いです。

昭和32年から始まった5カ年計画は、主に老朽資産の取り替えなどを中心に行われましたが、人件費の高騰などで計画予算が枯渇したこともあって、計画自体を変更せざるを得なくなりました。【これに関しては国鉄だけに帰属する問題では無く、国民経済成長に国鉄の輸送力が追いつかなかったという側面もありました。】

一般に資料などを見ていますと、資金不足で頓挫したと書かれている文献が多いのですが、実際はどうだったのかという点を掘り下げてみたいと思います。

国鉄部内誌、「国鉄線昭和35年4月号 今年の国鉄は、担当課長に聞く」と言う記事の中で、古川審議室調査役が第一五か年計画に関して発言をしています。
要約させていただきますと、下記の通りとなります。

昭和35年度の第1次5カ年計画の進捗率は、【昭和31年度を初年度として4年目ですので】計画値80%となるのですが、実際には67%しか進んでいない状況であり、その原因は下記の通りです。

当初計画には無かった通信の近代化、おそらく(鉄道電話用交換機の交換で、当時の最新式であったクロスバー式交換機の更改)だと思われます。他にも貨物輸送の近代化も積極的に行おうとして、全般的に資金不足のために予定がずれたとしています。

第1次5カ年計画における3本柱であった、老朽施設の取り替えは順調に進んだ反面、輸送力の増強と動力近代化は40%程度しか達成できなかったとも発言しています。

そこで、国鉄では、国の長期経済展望に対応するために昭和36年度を初年度とする新5カ年計画が再び制定されることになりました。
第2次5カ年計画の特徴は、老朽車両の取り替えと線路増設が大きな柱であり、輸送力を増強して、輸送力の増強と輸送方式の近代化を行うことを主眼にしていました。
ちなみに、昭和36年10月のダイヤ改正は、第1次5カ年計画の成果であり、第2次5カ年計画の実績ではありません【誤っていたので訂正】

新5カ年計画の投資内容は上記の図を参照していただければわかりますが、車両費にも2610億円【全体計画の25%弱を占めているのがご理解いただけると思います。

また、この計画では新幹線建設計画も盛り込まれており、新幹線以外では主要幹線1000 kmの線増を行うほか1800 kmの電化、電車かを行うことが計画に盛り込まれています。
【国鉄監査報告書昭和35年から引用】

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高度経済成長と輸送力増強 第3話 第2次5か年計画と国鉄

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高速鉄道として新幹線の建設が第... 高速鉄道として新幹線の建設が第2次5か年計画の目玉となりました。
昨日は、地方納付金の話にお話がずれたのですが、その辺のお話はまた改めてお話をさせていただくことになるかと思います。
 再び第一次5か年計画のお話に話題を戻したいと思います。

 第一次5か年計画は、老朽資産の取替という目的だけは100%達成し、動力近代化(蒸気機関車を1975年までに全廃し、電気もしくは内燃機関による運転に切替)の端緒も開けましたが、肝心の輸送力増強が追い付かず、昭和35年までで20%程度であったと記録されています。
結果的に輸送が行き詰まり運輸収入が伸びないので、現金が不足することとなり、経済成長に伴うインフレで人件費の向上や物件費の高騰もあいまって、当初予算は昭和35年度で枯渇、昭和36年度を初年度とする新たな5ヵ年計画が立てられることとなりました。

 ここで、注目していただきたいのは、輸送力増強計画は、時の政府の意向に沿って計画されているということです、この点は特に注目しておいてください。
 第1次5ヵ年計画の際は、政府の経済自立計画に即応して立てられた施策であり、第2次5ヵ年計画はこれまた、池田政権による所得倍増計画に呼応したものでした。
 これを見ていると、JR東海の葛西氏が仰っていたとおり、計画のための計画をむしろ政府の尻馬に乗って動いており、誰もそれに対して責任を負わない体制が既にこの頃に出来上がっていたのではないかと思える節があります。
 さて、そんな中で、第二次5ヵ年計画では、以下の方針が確認されました。
1. 主要幹線の線路増設と輸送方式の近代化
2. 経営の合理化

 戦前の老朽化資産(木造客車の鋼体化を含む)の更新はほぼ第1次5か年計画で達成したと言われていますが、蒸気機関車による牽引を電化やディーゼル化による動力近代化などで経営の合理化を図ることを意図していました。
 第2次5ヵ年計画の目玉はなんと言っても、新幹線の建設でありこの点は、章を改めてお話したいと思いますが、新幹線建設は、東京オリンピックの開業に合わせるという、非常にハイスピードな建設が求められることとなり、建設費の急騰もあいまって、国鉄財政を急激に圧迫していくこととなりました。

以下に、昭和39年の運輸白書から、第2次5か年計画の概要が 載っておりましたので書かせていただきます。
 (1) 東海道線に広軌鉄道を増設すること。
 (2) 主要幹線区約1100キロを複線化し,150キロの複線化に着手すること。
 (3) 主要幹線区を中心に約1700キロの電化を行ない,これを電車化すること。
 (4) 非電化区間および支線区の輸送改善のために約2600両のディーゼル動車と約500両のディーゼル機関車を投入すること。
 (5) 通勤輸送の改善のために,約1100両の電車を投入するとともに,駅その他の施設を改良すること。
なお、この第2次5か年計画も昭和39年度には頓挫することとなり、昭和40年度から昭和47年度の7カ年の第3次長期計画が計画されることとなりました。
 なお、昭和39年度の運輸白書によりますと、第2次5箇年計画は,38年度でその第3年目を終了し,39年度計画を含めた進ちよく状況は, 全体で69%東海道新幹線を除く一般改良工事では,58%ということでこちらも計画半ばで見直しを図ることとなりました。
こうした事例に対しても、国鉄自らの借り入れ金(財政投融資や鉄道債券による調達)で行われたことがその後の経営を圧迫していくことになるのでした。

参考 昭和39年運輸白書 第3章 重点的に整備増強を図る輸送力 第1節 幹線輸送力の増強 対策一国鉄第2次5ヵ年計画 参照
http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa39/ind040301/002.html
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