メディアに個性無し

海老蔵、海老蔵、海老蔵、

社会の出来事を報じるのがメディアの使命であると理解はしているが
内容的にはたかが傷害事件である。
歌舞伎名門の御曹司であるかも知れないが、その報道にはうんざりする。
1.4.5.6.7.全国紙.週刊誌、

メディアは金時飴で個性の喪失である。
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喪中のハガキ

喪中のハガキ
喪中のため新年の挨拶は失礼させていただきます。

11月2日火曜日、岩魚太郎の自宅に届いたハガキである。
もうこのような季節になったのか・・・と、深夜暖をとりながらこのブログを記している。

人生は長い。そして短い。

何時自分自身がこのハガキの主人公になるやも知れぬ恐怖心が脳裏に浮かぶ。

自己の死を確認することは恐怖である。

地震が発生することを知らないで現場に車で向かう人・・・そして地震に遭遇する人・・・
そのことを人々は運命と定義する。
地震が発生すると分かっていればその人は決してそこに近づかない。

癌を告知され余命3ケ月と知らされた人・・・
私だったらどう自分に対処してよいのか対処の仕方が分からない。

自分自身では死を回避出来ない神の定めである。
命ある者は必ず死がある。

人も動物も生を受けて命の終焉に向かって生きている。
いずれ死ぬ。
死ぬ者の生きる価値観っていったいなんだろうと思う。

ライオンは食物連鎖の頂点にたっている。しかし死は訪れる。
ライオンの生きる目的はなんなんだろう?
ただ食って子孫を残すだけが唯一の目的なのか?

人は、命育む哺乳動物の中で最も優れた知的能力を有している。
しかし、必ず死は訪れる。
人の生きている価値観とはいったい何なんだろう?

ただ食って子孫を残すだけが唯一の目的なのか?

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喪中ハガキにふと感じた感情である。。
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岩魚太郎の生物多様性=COP10=名古屋

岩魚太郎の生物多様性=COP1...
生物多様性=COP10=名古屋

生物多様性条約
「生物多様性条約」は、個別の野生生物種や、特定地域の生態系に限らず、地球規模の広がりで生物多様性を考え、その保全を目指す国際条約です。1993年12月29日に発効したこの条約は、生物多様性の保全だけでなく、さまざまな自然資源の「持続可能な利用」を明記した条約でもあります。
http://www.wwf.or.jp/activities/wildlife/cat1016/cat1327/)より引用

この国際会議の主題の一部は、先進国と後進国との金銭的な配分でもめていると言う内容が報道されている。(例:木材を輸入する側先進国と=森林伐採をして輸出する後進国)

 日本の鹿は、個体数が増えて餌不足となり野菜畑での被害が増えているとのことである。、国指定の保護動物と言うこともあるが、その原因は鹿の天敵である日本狼の絶滅にあるとも言われている。狼絶滅の原因は人間である。
 花粉症の原因は、杉の花粉が90%と言われている。その原因は、終戦後木材が不足し無秩序に山林を伐採、その後に杉を植林、杉が生長する50年後の現在、安い輸入材を輸入して、植林された杉は放置されている。

私岩魚太郎と生物多様性の因果関係
 渓流釣りで40年、天然岩魚と山女魚を釣ってきた。私一人の問題ではないが、当初の釣りは、乱獲そのものであった。(写真参照)その後反省して、自分の食する本数だけとしている。しかし渓流人口は推定100万人〜300万人とも言われる。
私を含め、その人々が、天然岩魚と山女魚が絶滅した原因である。
川の生態系は、最上流域が岩魚、山女魚、マス、ハヤ又はウグイとなっている。
又岩魚の南限は岐阜県と言われているが、最上流域(源流)には、天然岩魚が生息するが、本流と言われる中流域には、天然の岩魚と山女魚は壊滅状態である。
幸いにも、林道の併走が無い深山幽谷の源流は、天然岩魚は生息する。しかしその源流も林道工事が施工されれば聖域では無くなる。
皮肉にも、岩魚と山女魚の養殖技術が進歩して、卵からのふ化も可能となり、漁業組合が設立され100%養殖ものの放流となって、一般の釣り人は入漁券を購入して竿を出しているのが現状である。
私が渓流釣りをはじめた40年前は、岩魚と山女魚を釣る職業漁師が東北地方には存在し、その人達が、旅館に魚を卸していたらしいが、現在は皆無である。
現状での渓流魚の保護区は、上高地の大正池上流の梓川、尾瀬国立公園内の渓流、世界遺産の山神山地内、それて一部の県指定の禁漁区となってしまった。

 私岩魚太郎は、「岩魚と山女魚が釣れるHome Page」を公開している。生物多様性問題を意識していれば、その公開は無かったかもしれない。

最後に私岩魚太郎のHome Pageを見た方のメールをご紹介します。

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岩魚太郎様

拝啓 貴殿のホームページを毎度 利用させていただいている者です。
地図を読み取る上で非常に参考なる記述を提供していただきましたこと、お礼申し上げます。お陰で、今年はホームグランドを持たず、あちこち新規に釣り歩きました。
結果は上々で、今までですと年間200本弱の岩魚、山女を釣って来ましたが、
今年はもうすぐ400本になろうとしています。(私はフライですので全てリリースです)
開拓によって釣り技術の向上にも繋がりました。一言、お礼を述べたくてメールをしたしだいです。
有難う御座います。これからもご健康に気をつけて釣りを楽しまれてください。

:山女太郎(笑)
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すべて【リリース】での渓流釣り愛好家が、この私のHome Pageを活用されていることにややほっとしています。
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ある写真

ある写真
若者
ある駅の風景
若者のファションと背景の壁模様が何ななくマッチングしている感じである
デジタル写真も進化している
低価額のニコン一眼レフでの写真であるが切り取ってある。
画像の補整はおこなっていないが、見ている人には、この写真が切り取りであるか原画てあるかも分からない。

コメント欄の写真は原画である。

報道写真も周囲の状況によって写真の目的が180度変わる。

部外者に見せる写真もなんだか複雑な心境である
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10月6日(木)TBSテレビ午後7時 ・・・未来へ歌い継ぎたい名曲・・・ 

10月6日(木)TBSテレビ午...

想い出の歌 想い出の旋律
貴男の心にふれた風がありました
貴男の心にふれた私がありました
もう振り返らないでください
私の愛は夜空の星となりました
涙を流さないでください
後を振り返らないでください

想い出の歌 想い出の旋律
貴男に瞳にふれた想い出がありました
貴男に胸にふれた鼓動がありました
もう振り返らないでください
私の愛は忘却の風となりました
私の心を戻さないでください
私の心は深海に沈んでいます

想い出の歌 想い出の旋律
貴男の私は幻の虚像となりました
貴男の私は木枯らしとなって去りました
もう振り返らないでください
私の心を熱くしないでください
私の心を呼ばないでください
私は涙を流すことも出来ないのですから
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秋の空

秋の空
     真夏

     熱く激しく燃えた私の愛

     ふと空を見上げると

     空の色も 空の風も

     雲の色も 雲の風も

     秋の風に かわっていました

     
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NHKラジオ番組「思い出の昭和歌謡・全国盛り場めぐり」を耳にして

NHKラジオ番組「思い出の昭和歌謡・全国盛り場めぐり」を耳にして

9月20日は敬老の日、その日にちなんだNHKラジオ

私は健康維持と気晴らしを目的に散歩をしています。
何時も携帯ラジオ持参でイヤーホーンにて聞きながら散歩しています。
午後2時〜5時まではTBSが定番ですが、午後5時以降は各局の私の好み合った局を選局して聞いています。
NHK第一放送で演歌が聞こえてきました。
八代亜紀の伊勢佐木町ブルースでした。
http://www.youtube.com/watch?v=rqDm0hkqtK4
そのラジオ番組は「思い出の昭和歌謡・全国盛り場めぐり」と言う番組でした。
9月20日は敬老の日です。
敬老の方を意識した番組でしようが、久しぶりの演歌で、岩魚太郎の遠い昔、中学3年生の頃を思い出しました。
当時の中学3年生は、三重県鈴鹿市平田中学校、クラブ活動は音楽部、ピアノ三重奏で(ピアノ・バヨリン・チェロ)でチェロを弾いていました。
音楽の先生は「野田先生」と言いました。
当時の歌謡界は、「美空ひばり」がデビューして話題になっていた時代で、民法が発足した頃だと思います。
当時の歌謡曲に感化され、岩魚太郎が作詞、作曲が山口尚子(ピアノ・初恋の人でした)、歌がバヨリンの坂本 徹)、ピアノ三重奏で、音楽室で「野田先生」に内緒で歌っていました。

夜の銀座は夜霧に濡れて
ネオン輝く恋の街
愛しい貴男とよりそって
そっと心をふれあいながら
夜の銀座を歩きます
ああ銀座は恋の街
夜霧に濡れる恋の街

走馬燈のように思い出しました。中学3年生の時のこの作詞、ちょっとませていたとは思いませんか?

敬老の日の、岩魚太郎の回顧録でした。
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あなたは幽霊を信じますか?

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世田谷美術館 ザ・コレクション・ヴィンタートゥール

世田谷美術館 ザ・コレクション...
世田谷美術館 ザ・コレクション・ヴィンタートゥール

長文です。

2010年9月9日世田谷美術館に行ってきた。
報道によると、スイスにあるヴィンタートゥール美術館が全面改装のため、その美術品の一部90点あまりを世田谷美術館が借り受けて展示しているとのことであった。
スイスまで出掛けることは出来ないので、絶好のチャンスとばかり出掛けてきた。
ブログの投稿を兼ねて、私の世田谷美術館参観記録である。

世田谷美術館・ザ・コレクション・ヴィンタートゥール紹介のHome Page

ヴィンタートゥールとは、スイス政府観光局のHome Pageによると、以下の文書の記載がある。
豊かな財力を誇る資産家たちがパトロンとなり、芸術の花を咲かせたスイスの文化都市ヴィンタートゥール。20世紀初頭から、とくにフランス人画家の作品を中心として、盛んに蒐集された個人コレクター所蔵の大半の作品が、ここに寄贈されている。

音声ガイドプログラム¥500円也を支払ってでじっくり4時間をかけて鑑賞してきた。

以下第一章〜第八章までの音声での作品の紹介である。

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第一章
⓵グレードハンド犬を伴うアルジェの女:ウジェー・ドラクロワ
⓶上げた船、フェヵンの干潮:クロード・モネ
⓷朝日を浴びるモレ教会:アルフレッド・シスレー
⓸浴の後:ピエール=オーギエストルノワール
 
第二章      
⓹郵便配達人ジョゼフ・ルーラン:フィンセント・フアン・ゴッホ
⓺アルザスまたは読書する修道僧:オディロン・ルドン
⓻グスタフ・マーラー:オーギエスト・ロダン

第三章
⓼コーヒーとコニック: アルベルト・アンカー
⓽自画像:フェルディナントホードラー 
⓾アネッタ:ジョブァンニ・ジャコメッティ

第四章
⓫ェヴァ・ムリエの肖像:モーリス・ドニ
⓬婦人帽子屋:ピエール・ボナール
⓭室内、夜の効果:エドゥアール・ヴュイヤール
⓮野菜農園の道:ジョヴァンニ・ジャコメッティ
⓯22:マックス・ビル

第五章
⓰5人の画家:フェリックス・ヴァロットン
⓱町役場の中、選挙:マリクス・ボルジョー
⓲オランピア礼:ルネ・ゲィクトル・オーベルジョノワ

第六章
⓳ルネサンス風の頭部:アレクセイ・フォン・ヤクレンスキー
⓴はしごの形(しみの上の):ワシリー・カンディンスキー
㉑水脈占い師のいる風景:ワシリー・カンディスキーー
㉒アヴィニョン:オスカー・ココシュカ
㉓林間地(9人の人称こよる構成):アルベルトジャコメッティ

第七章
㉔桃と梨:ジョルジュ・ブラック
㉕ニ人の人物:パブロ・ピカソ
㉖ピエロ:フアン・グリス
㉗ニ人の女と静物:フエルナン・レジェ
㉘ヴァイオリン、骨、サン=シュルビス聖堂の構成:ル・コルビュジェ
 または・バロック様式の聖堂とヴァイオリンの静物:ル・コルビュジェ

第八章
㉙エシュリバッハの冬の風景:アドルフ・ディートリッヒ
㉚赤ん坊のお祝い!:アンリ・ルソー
㉛失われた世界:ルネ・マグリット
㉜静物/静物:ジョルジオ・モランディ

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私は、美術品を見るのは好きで、棟方志功の作品(複製和紙に美術印刷した作品)で、Home Pageを開設しているが、鑑賞すものは趣味ではあるが、美術品の芸術的価値観又は要素などは、全く理解出来ない音痴である。
第二章て゛掲示の ?郵便配達人ジョゼフ・ルーラン:フィンセント・フアン・ゴッホ なぞは全く価値観音痴である。
これがかの有名な「ゴッホ」の絵かと言う程度である。
しかし、鑑賞は大好きである。



前記した音声ガイドの中で、度々耳にした言葉
■アンティミスト ■ナビ派  ■表現主義  ■キュビスム
絵画価値観音痴の私には、「アンティミスト」と解説されても何のことだか全く理解出来ない。  
従ってこの言葉の意味をWebで探して見た。
以下は ■アンティミスト ■ナビ派  ■表現主義  ■キュビスム の解説である。

この解説を文字で読めば何となく理解できるが、たとえば「印象派」とは、写実主義から抽象主義への変化の、初期段階と言う解説があり、・・・・
と、難解である。

この「ゴッホ」 ?郵便配達人ジョゼフ・ルーラン は、アンティミスト・ナビ派・表現主義・キュビスムだか絵画音痴の私には分からないが、絵全体を通して
ああ、これが「ゴッホ」の絵か・・・と言う感動を覚える。  

解説

■アンティミスト
アンティミスト(intimiste) [フランス語]
絵画史では、広義には室内画家をさし、狭義には、その室内画に温かな親密な情感を表現する画家たち、典型的にはボナール、ビュイヤールたちをさしている。室内画の系譜は、中世末、宗教画がしばしば市民の室内空間に設定された時代にまでさかのぼりうるが、17世紀オランダのフェルメールやピエテル・デ・ホーホたちによって確立され、19世紀フランス印象派以降、もっとも主要な画題の一つになる。しかし、ボナール、ビュイヤールは、親しい家族や友人、ごく日常的な食卓や会話や仕事の情景、そしてそれらを包む室内の夜昼の光線を描き、アンティミテ(親密感)を現したため、しばしば彼らをこの名称でよぶ。
[ 執筆者:中山公男 ]

■ナビ派                     
ナビ派(なびは) [ 日本大百科全書(小学館) ] les Nabis
19世紀末、ゴーギャンの美学に共鳴してパリで結成された、反自然主義の画家グループ。1888年の秋、ポール・セリュジエはブルターニュ地方のポンタバンで、ゴーギャンの革新的な教えに従って、大胆な色彩と平面的な描法による一枚の風景画を制作。その体験をパリに戻ってアカデミー・ジュリアンの若い画家たちに伝えたことに端を発して、新しいグループが形成された。セリュジエのほか、ドニ、ポール・ランソン、アンリ・イベルス、ボナール、ケル・グザビエ・ルーセル、ビュイヤールらがそのメンバーとなり、その後さらに、ヤン・フェルカーデ、彫刻家のジョルジュ・ラコンブ、リップル・ロナイ、当時画家であったマイヨール、バロットンらがそれに加わった。「ナビ」とはヘブライ語で「預言者」を意味するが、こうした一般には理解しがたいことばを名称とすることに、このグループの神秘主義的傾向をうかがうことができよう。事実、熱烈なカトリック信者であり、神智(しんち)学や神秘哲学に通じていたドニ、セリュジエ、ランソンらは、ナビ派の運動にとりわけ神秘的・宗教的趣(おもむき)を与えた。しかし、ボナール、ルーセル、ビュイヤールらはそうした傾向からやや距離を置いていた。ナビ派は1891年から99年にかけてル・バルク・ド・ブットビル画廊などでグループ展を開催。その美学は、ゴーギャンをはじめ、ルドンやピュビス・ド・シャバンヌ、さらには浮世絵版画などの影響を受け、反自然主義的・装飾的・象徴主義的なものであり、造形要素の自律性を強調した平面的で大胆な画面構成によって、近代絵画の基本的方向を示した。また彼らは雑誌『ルビュ・ブランシュ』とも関係をもち、絵画のみならず、ポスター、挿絵、舞台装置や衣装のデザインにも手を染めた。ナビ派の運動は世紀末の10年余り続き、その後、各作家はそれぞれ独自の道を歩んで、運動は自然解消した。
[ 執筆者:大森達次 ]

■表現主義
表現主義(ひょうげんしゅぎ)または表現派(ひょうげんは)とは、様々な芸術分野(絵画、文学、映像、建築など)において、一般に、感情を作品中に反映させて表現する傾向のことを指す。狭い意味の表現主義は、20世紀初頭にドイツにおいて生まれた芸術運動であるドイツ表現主義(またはドイツ表現派)および、その影響を受けて様々に発展した20世紀以降の芸術家やその作品について使われる。これには、抽象表現主義などが含まれる。

■キュビスム
キュビスム(仏: Cubisme; 英: Cubism「キュビズム、キュービズム」)は、20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創始され、多くの追随者を生んだ現代美術の大きな動向である。それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていたのに対し、いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収め、ルネサンス以来の一点透視図法を否定した。
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残暑の太陽

残暑の太陽
9月4日・サングラスから見た残暑
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