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岩魚太郎の何でも歳時記

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再度訪れた神保町の機縁

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再度訪れた神保町の機縁
平成23年1月25日(火)
「喜びも悲しみも幾歳月」のシナリオに偶然巡り合って再度訪れた。
■1 JR水道橋下車、散歩も目的白山通りを神保町へと向かう。
■2 真っ先に矢口書店に向かう。
当初気がつかなかったが、道路脇軒先に本棚があった。店の側面道路脇にぎっしり売り物の本が並んでいた。通行人が一冊持って行っても店主は分からない。
ここの店主は、古本屋を見にくる人の性善説を信じているのであろう。
■3 びっしり並んでいる道路側面の本。
古書と言っても比較的新しい本が並んでいた。手に取ってみると、値札は500円〜1.000円の物が多数であった。
■4 テレビドラマ東芝日曜劇場の台本が数多く並んでいた。500円。
店内に入った。
「橋本 忍の作品はありませんか?」
店員は無言で狭い店内のとある棚に手を伸ばし私に手渡した。
定価2.500円の本が10.000であった。
本を見ながら私は熟慮した。
「持ち合わせがないから又来ます」
と言って店を出た。
■5 漫画専門店の本屋、通路は人が一人通るのがやっとのスペースである。
■6 45分「焼き肉食べ放題」狭い店内には若者で満席。
■7 久し振りに神保町の映画館へ向かった。

■恋すれど恋すれど物語
■お笑い江戸っ子祭り
■大当たりパチンコ娘
■誰よりも金を愛す
時間区切りで1本ずつ上映、定員制。
時間の都合が合わず入場を見送った。


■8  2010年12月28日(満86歳没)
神保町シアターのロビー
記念にこの本が売られていた。
『喜びも悲しみも幾歳月』で、私の人生を変えた映画の主演女優である。
矢口書店でこのシナリに偶然出合い、この神保町シアターでその主演女優『高峰秀子』に巡り会う。
しかも、神保町シアターのロビーに入ったのは、新春喜劇映画を見るためであったのに・・・・
一回目の神保町・シナリとの出合い
二回目の神保町・主演女優との出合い
三回目の神保町・・・・?
■9 帰路、古い右から読む校名の学校に出会った。
その学校は白山道路沿いにあった。
右読みの校名に写真を撮る人々が多うかった。私もその一人である。
財団法人研数学館は『数理を研き宇宙を開く』の理念で、明治三十年数学の泰斗奥平浪太郎先生創始の私塾で創設されたとのこと。

■10 水道橋駅のそばを流れる神田川。

神田川 鏡となって 冬の空

コメント欄に続きます。
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脳の不思議

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平成23年1月21日(金)脳の不思議

五年前の二月、家内から買い物を頼まれて丁度正午頃に帰宅した。
買う物の忘れたらしく、その忘れ物の指摘を受けた。
そこで自分の異変に気がついた。
声が出なかったのである。
口をぱくぱくするだけで全く声が出なかったのである。
完全に失語症である。
身体を動かすことは異常を感じないが、救急車で病院に運ばれた。
脳梗塞である。
血液の固まりが脳の血管に詰まったのである。
■症状は失語症
■現象
・新聞や雑誌等の判読、テレビ、人の話等は普通に理解可能
・漢字は普通に書ける。
・問題はひらがなとカタカナ
・しゃちょう(社長) じてんしゃ(自転車) ショウジョウ(症状)と言った文字は不可。
小文字を使用する文字は書けるが、しゃちょう と言う仮名遣いが分からないのである。
・薬の投与で一ヶ月の入院で失語症は80%程度回復(早口言葉は不可)
■PC関連の作業
・Home Pageの作成 画像処理 ソフトのインストール等の作業は従来通り完璧。
■キーボード
・キーボードの文字位置は完璧に脳の中で消去された。
・ローマ字入力 日本語入力も全く不可、完璧に脳の中で¬キーボードの文字位置の文字位置もホォーマットされていた。
・特訓悪戦苦闘で二ヶ月。キーボードの文字位置は理解出来たが、ローマ字入力がスムーズにいかない。
・しゃちょ (SI LYA CHI LYO)この小文字の表現が頭に浮かんでこないのである。
・仕方なく日本語でカナ入力に切り替えた。
・しかし問題が発生したのである。
・文字位置の叩きミスである。カナ文字入力では「さ」「そ」の文字が隣接している。隣接している文字を打ち間違えてしまうのである。その文字を漢字変換する場合は、変換するから間違いに気づく。
・例をあげよう。
・そして彼は愛を意識した。さして彼は愛ほ意識して。(そ・さ を・ほ た・て)隣接文字である。間違いが多い。
・Wordでの校正チェックもこの違いを確認出来ない。Just right!2 と言う共同通信社使用のうたい文句でPRをしているソフトを購入したが、それもチェック出来ない。
ちなみにWordの校正だと、この文書全体の指摘は、(を・ほ Just right!2)の二点であった。
『さして彼は愛ほ意識して。(そ・さ を・ほ た・て)』この文字は意味不明である。

脳は不思議である。
小文字を使用した文字と、キーボードの文字位置だけのデータが消去されていた。

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『喜びも悲しみも幾歳月』

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『喜びも悲しみも幾歳月』
1.地下鉄のホーム、都営地下鉄新宿線の文字
   電車がホームに到着する。
   岩魚太郎(73歳)が所在なく座席に足を組んでいる眼を閉じて
   いる。
  車内のアナウンス「神保町−神保町−ホームは右側です」
   太郎がアナウンスの声に思わず眼を開く。
   神保町の駅名。
   太郎が慌てて座席を立って、扉が閉まる直前にホームに降りたつ。
   地下鉄出口案内の表示。
   その前に立って眺めている太郎。
   その横を降りたった反対側のホームに滑り込んでくる電車。
   ホーム中央を、肩を丸めて歩く太郎の後ろ姿。

2.神保町地下鉄の出口。
   太郎が階段を上がって出でくる。
   太郎の顔が左右に視線を走らす。
   その視線の先には、古本屋が軒を並べている。
   その方向に向かって歩き始める太郎。

3.一軒目の古本屋
   太郎が入って行く。
   棚一杯に学術書籍が並んでいる。
   箱の上にも乱雑に置かれている本・本・・・・
   その中に白い値札がついている。5.000円の文字
   その本を無造作に取り上げ、如何にも興味なさそうにめくってポ
   イと置く。
   番台に座った老眼をかけた店主らしい男が、音のした方の太郎を
   眼鏡越しにちらりと見る。
   ひやかしはお断りと言って目線である。
   太郎はそくそくと店から外へと出る。

4.再び古本の通りが並ぶ。
   その前を通り、積んである本を手に取ってパラパラとめくっては
   戻しながら歩く太郎が本を手にとって突然足が止まる。
   その本の表紙がUPされる。
   「昭和39年5月キネマ旬報」と書かれていた雑誌だった。
   太郎は、慌ててその通りの車道側に立って、その書店の屋号を確
   認した。
   矢口書店 映画・演劇・戯曲・シナリオ・の文字があった。
  
5.矢口書店店内
   店内の構成は通路がU型で、奥がカウンターの台が置かれ、尚子
   (35歳)と桂子(40歳)が忙しそうに本の整理をしていた。
   太郎がその前を通りすぎようとする時、一瞬太郎の足が止また。
   太郎の視線の先には、本のタイトルが、『新喜びも悲しみも幾歳
   月』とある
   太郎は迷わず尚子に聞いた。
 太郎「これおいくらですか?」
 尚子「五百円です」とぶっきらぼう。
   太郎が財布から五百円玉を取り出して渡す。
   太郎が尚子に声をかけたい様子で受け取って本を片手に眺めてい
   る。
 尚子「何か?」と言う怪訝な表情
 太郎「この本の前の、佐田啓二と高峰秀子のシナリオはありませんか?」
 尚子「ありません」と素っ気ない。
 尚子「出ましたらご連絡します、ご連絡番号を」
 太郎「ここへ電話をしてください」と名刺を出す。
 尚子「わかりました」と言って名刺の保管箱に無造作に入れる。

6.外に出て、まじまじとそのた本を眺める。
   『新喜びも悲しみも幾歳月』に、佐田啓二と高峰秀子の映画のポスターが(OL)
   そのポスターにさらに(OL)して

7.千葉県犬吠崎灯台、快晴の朝日が昇る
――――――――――――――――――――――
   タイトル「岩魚太郎の青春(仮題)」
――――――――――――――――――――――
当時の私は、映画青年であった。
1958奮起して上京、日本に一校しかない学校「シナリオ研究所」にアルバイトをしながら夜間通学二年、二期生として無事卒業。
卒業以降の映画業界は、テレビドラマに押されて第一次映画斜陽時代、映画にかかわる人材の解雇が相次ぎ、映画関係会社への就職はゼロ。
苦い想い出、だが我が青春に悔い無し!と言った充実した青年期を過ごした。

映画『喜びも悲しみも幾歳月』とは、私の人生をも変える映画であった。

それから幾歳年月・・73歳の私が、何となくの思いつきで神保町に下車、そして偶然、まさに偶然にも『新喜びも悲しみも幾歳月』と言う、シナリオで書かれた本に巡り合ったのである。

その冒頭から、シナリオの文章方式で記述した。
シナリオとは、イメージ文学である。

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四六七

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散歩の途中変わった表札を見つけました。
名字***名前は四六七。

岩魚太郎ではなく
岩魚四六七 です。

四六七 の読み方誰か教えてください。
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岩魚太郎の「秘密」の続き

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岩魚太郎の「秘密」の続き
1月12日(水)日記 「秘密」続き

タイガーマスク「伊達直人」発信からの善意の輪全国に広がっている。
善意は善意として大いに歓迎するが、入居者が喜ぶ表情を、テレビカメラは、意図的隠して報道している局もある。
それは何故だろう?
児童を養護施設に入居出来る年齢は、0歳児〜18までと聞いている。

それは、テレビ局も通学する児童が、児童福祉施設から学校に通っていることを公に公開してはまずい配慮があるからである。
学校でも、友達にも、公にすることでの差別を受ける可能性があるからである。
低学年の子供は、純真でもあるが、きつい言葉も平気で投げかける。
児童福祉施設からの一年生の入学式、ただ単純に言葉をかける。
小学校1年生である。
相手を見て配慮のなぞない。

「そのランドセル、タイガーマスクからもらったランドセルだろう、僕んちは、ママに買ってもらったんだ」

その言葉をかけられた養護施設の子供の気持ちを思うと、何と言って慰めたらよいのか言葉が見つからない。

養護施設の子供達は、一般の大人社会でも、子供達でも、偏見と屈折した同情心がある。
子供が喧嘩をした。
一般家庭の子供が怪我をした。
親は怪我をした自分の子供に対して言う。

「施設の子供と遊ぶのはよしなさい」

そのように決めつけるは訳では無いが、給食の未払いが、支払い能力がありながら未納の問題が話題なっている時代である。
そのような親は、児童施設に出向き抗議するだろう。

考えてほしい。
児童施設に入居している子供は、すべて100%親の責任で入居しているのである。
子供の意志で入居は不可能なのである。

親の虐待、育児放棄、両親の死等々、すべて親御自らの理由である。
生活苦からの入居はほとんど無い、生活保護制度を確立しているからである。

しかし、まだ偏見と差別の視線で社会は見ている。
テレビドラマ、犯人の過去は元児童施設で育ったと言う設定である。

私の場合も、終戦後、母の死、父親は病院の中、父は入院している現実では3人の子供を育てることは不可能である。
数少ない親戚も、松山の大空襲で被災している。
親戚の子供を預かる余裕なぞ無い。

育児放棄であったにしろ何にしろ、施設に入居している子供達のすべては、親の責任である。子供達に全く責任は無い。

しかし、施設に入居している子供達は、偏見で差別される。
「あの人は児童施設で育ったんだって・・・」と言われる。
タイトルで「秘密」と言う理由がそこにある。

社会人になって、「私は児童施設で育った」と言う大人といまたに接していない。

報道によると、児童養護施設は569施設、入所定員は33,994人、在所児(者)数は30,695人にも及んでいる。

ランドセルの善意を機会に、私たち大人の社会が、無意識に偏見の目線で見ていることに是非気づいてほしい。


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123 :1月12日(水)の日記 「秘密」

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1月11日「123」のタイトルで

1月12日(水)の日記
秘密 私は1937年−昭和12年の生まれである
と、UPしてしまいました。コメントを頂いた方にお詫びをもうしあげます。テストのプレビューの予定が本番になってしまいました。

今度は本番です。
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1月12日読売新聞朝刊の社説 「広がるタイガーマスクの善意」


昨今のNEWSで話題になっている。
タイガーマスクが各県の養護施設へのランドセルやおもちゃの寄付である。
善意の輪が広がっていて、肝っ玉母さん の寄付もあると言う1月12日の報道であった。
それはそれで喜ばしいことだが、私にとって、もっとも暗い過去を思い出す。

岩魚太郎の、ブログのお友達の中で、養護施設を体験された方は恐らくいらっしゃらないと想像している。
タイガーマスクは、聞くところによると養護施設で子供の時期を育ったと聞いている。
従って養護施設に寄付となったのであろう。

私は1937年−昭和12年の生まれである。
終戦の和20年8月、小学生1年生であった。
大阪生まれの私は、母と共に父の実家松山市に昭和20年7月26日に疎開した。
松山空襲は、昭和20年7月26日 23:30、松山市は焼夷弾爆撃を受けた。この空襲によって、罹災者 62200名、死者・行方不明者259名との記録がある。市街地の大半は灰燼に帰した。

当時防空壕と言う施設があった。アメリカの空襲を受けた時、市街地に穴を掘って避難する施設であった。
当日その防空壕に母が手を引いて入る予定であったが、満員で、しかも当日疎開してきた見知らぬ親子を入れてもらえる訳は無かった。

5月に田植え、その田んぼのあぜ道を母に手を引かれながら落下する焼夷弾を避けながら逃げまどった記憶が生々しく残る。

翌朝、疎開先の自宅はもちろん全焼、防空壕の入り口には、焼け落ちた家屋が倒れ、避難した防空壕に入った人々は蒸し焼きで窒息死していて、その死体を消防団が運び出していた。

運命と言わずに何と言うのだろうか!防空壕の人々が善意で入れていてくれれば、今の岩魚太郎は存在しないのである。

8月15日終戦を松山市の郊外親戚の家で迎えた。

その後母の親戚を頼って大分県津房村大字六郎丸と言う田舎に引っ越したが、親戚の実家も生活が苦しく、何時までも世話になっている訳にもいかず、別府市内に生活の場を移した。
別府の生活は、父が脊髄カリエスと言う結核性の病気になり、その当時は健康保険も無く、病気の治療費で全財産が消滅した。

父は入院、母は生活のため働き、その疲労重なり急死。
最悪の状態に陥った。

母を亡くして入院している父は、我々兄弟3人を、育てることも出来なかった。

我々兄弟3人は、養護施設に預けられた。
私は小学校5年、長女は1年、次女は6歳であった。

その養護施設の時代、食料も無かった。食事は1日10時と7時の2食。
子供達は、養護施設の職員に連れられて、さつまいも畑に屑のさつまいもを拾い行くのが日課であった。
さつまいも カボチャ 粟 が主食であった。

食べる物で私の嫌いなものがこの三つある。特にさつまいもは今でも大嫌いである。

1年後、病気が回復した父が私達兄弟3人を迎えにきてくれた。
その時ほど、父の顔が逞しく、お釈迦様のように輝いて見えたことはなかった。
と同時に、私達に別れで手を振る友達の瞳が、涙にあふれている光景はいまだに忘れない。
手を振ってくれたそのお友達の今は・・・

その父は大正12年生まれ、平成5年72歳で逝った。

岩魚太郎は、その父の逝った年齢を超え、74歳でまだ生きている。

「2011年1月12日前後、養護施設にランドセルの送り主タイガーマスク報道に、言葉では表現出来ない、嬉しさとそして悲しみを感じる。

この文書を記述する意味は、岩魚太郎が養護施設にお世話になった時期の回想禄である。

タイトル「秘密」は、次回への日記へと続く。
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123

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1月12日(水)の日記
秘密
私は1937年−昭和12年の生まれである。
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利根川に架かる橋の数

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利根川に架かる橋の数
1月10日(月)
利根川に架かる橋の数

この数はINTERNETでの検索でも答えが出ません。その点ユニークですが、馬鹿げてもいます。
「岩魚と山女魚が釣れるHome Page」 次回の地図記載の前作業として、利根川水系と富山湾に河口を持つ渓流を詳細を計画しています。
その過程の中で、遊び心で、国土地理院の地図を頼りに、利根川に架かる橋の数を地図で拾いました。
何の役にも立ちません。
なんと驚いたことに、橋の名称が地図に不記載と言うことを発見しました。何故不記載かメールで問い合わせて見たいと思います。
その馬鹿げた資料をご覧ください。





利根川に架かる橋の数
上流から河口への記載となっています。
↓↓↓↓
利根川源流
(胴元湖) 矢木沢ダム・奥利根湖
(奈良良保ダム) 奈良保源流・楢保川・源流
(須田ダム)
59名称不詳
58奥利根橋
57名称不詳
(藤原湖)
56名称不詳
55名称不詳
54名称不詳
53諏訪大橋
52名称不詳
51名称不詳
50名称不詳
49矢瀬橋
48名称不詳
47名称不詳
46地蔵橋
45沼田大橋
44新鷲石橋
43戸鹿野橋
42久呂保橋
41敷島橋
40宮田橋
39大正橋
38板東橋
37上毛大橋
36大渡橋
35中央大橋
34群馬大橋
33南部大橋
32昭和大橋
31横手大橋
30福島橋
29玉村橋
28玉料橋
27新板東大橋
26上武大橋
25新上武大橋
24刀水橋
23武蔵大橋
22昭和橋
21東北道利根川大橋
20埼玉大橋
19利根川橋
18新利根川橋
17境大橋
16下総利根大橋
15芽吹く大橋
14利根川橋
13新大利根橋
12大利根橋
11栄橋
10若草橋
09長豊橋
08常総大橋
07神崎橋
06利根川橋
05水郷大橋
04小見川大橋
03利根川大橋
02銚子カモメ大橋
01銚子大橋

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1月8日(土)岩魚太郎の密着24時間

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1月8日(土)岩魚太郎の密着24時間
この長文は1月9日の日記である。
現時刻は1月9日午前4時25分である。現時刻にPCのキーボードに向かってこの文書を書いている。

1月8日に時間をフィードバックしてみよう。

1月7日(金)午後9時30頃眠りついた。早い時間のせいか目覚めたのは
1月8日(土)午前2時頃

■午前2時〜6時
■我がHome Page「岩魚と山女魚が釣れるHome Page」の資料富山県黒部川水系と群馬県利根川水系の資料を作成
■午前6時頃
一人で朝食、7時〜10時頃まで睡眠
■午前10時
起床メールのチェックをする。我が著作「天然岩魚と山女魚が釣れる究極の本」販売価額\2.300のHome Pageでの発売であるが、シーズンOffのせいもあってか累計販売数65冊程度でさっぱり注文がこなくなったことを痛感する。
■午前11時
レンタルDVDを視聴するも、つまらないからやめる。
■午前12時
我が賢妻?と昼食後、石油ストーブのタンクに灯油を補充(我が家の主たる暖房は石油ストープ、エアコンが無いわけではないが、石油ストープはいつもお湯が沸いた状態を維持するためであるらしい。賢妻の経営方針である。この方針はトップダウンで絶対である。全く異議が認められない。独裁である。
■午後1時
ザックにカメラとバックを入れ散歩に出かける。散歩はいつもザック持参である。当日は、近くのスーパーでホカロンの20%割引お一人様1個の限定販売で2個購入、ザックに詰めての散歩。
ザックの中身は、自分のポーチ、一眼レフカメラ、購入したホカロン2個、重量のほどは不明であるが、かなり重い。
■午後2時
我が家から約2?先のスーパーに立ち寄り、その中の100円ショップに立ち寄りお買い物。
■午後3時
駅近くの図書館に立ち寄る。
その図書館は2階建て、一階のフロアーには何故か岩魚太郎の同年配と思われる人々が、長椅子に腰掛けて新聞を広げて読んでいる。
その新聞を手にしている人々の中には、若者は皆無である。新聞ぐらい家で読むとかコーヒーショップで読むとかすればよいと思うのだが、その人々は何故か図書館である。図書館で新聞を読むことを批判はしないが、その理由は推察できる。
図書館で借りた本
・北原白秋歌集
・森村誠一の写真俳句のすすめ
・正岡子規の世界
・俳句歳時記
とても完読は無理だが、長年撮りためた渓流写真の短文の参考になればとの思いで借りてみた。
■午後4時
本4冊、ザックは益々重くなる。図書館近くのパチンコ屋に入る。時々岩魚太郎はパチンコをする。1.000冊を入れて我が賢妻と二人並んで座る。
200円ずつ玉を出す。一玉1円のパチンコである。当たりは無い。残金600円を精算機で払い戻す。
■午後4時30
我が家に到着、本をパラパラめくり、メールのチェックをして、午後7時頃になる。
■午後730分
食事、テレビをつけて北陸本線から北海道までの温泉50湯旅の挑戦と言う番組を何となく見る。
■午後10時
布団に入り爆睡。前夜1月8日(土)午前2時起きたのが原因。
■1月9日午前2時
またも前夜と同時刻頃目覚める。トイレに立つも、その後何故か頭が冴え睡眠ができない。布団の中で眼を閉じる。
眼を閉じた岩魚太郎の脳は、何の根拠も無く、岩魚太郎のPCの歴史の回顧禄が瞑想される。
最初にPCに接したのは会社のオフイスコンピュータ
・MS-DOS(エムエスドス) (破棄)
・Windows98 富士通デスクトップ 価額約30万 (破棄)
プリンターエプソンのA3ノビの仕様インクジェット価額約20万(破棄)
その後リコー発売のレザープリンター価額約25万 (破棄)
・富士通ノートWindows98 (現在保管使用可能)
・NECノート・Windows2000 (現在保管使用可能)
・デスクトップ SOTEC ・Windows XP (破棄)
・デスクトップ Gateway ・Windows XP   (現在使用中)
・デスクトップ  EPSON ・Windows VISTA (現在使用中)
以上が私のPC体験回顧禄である。
中でも、Windows98 富士通デスクトップのPCは、当時富士通製の中でもTOPクラスの製品でその購入には理由を思い出す。
■その理由
・「渓流の夢尚子」 写真と小説を組み合わせた推理小説を書き上げた。
A4上部に写真、下部に本文と言う構成での今まで例を見ない写真で構成する推理小説である。(自画自賛)
・文芸社と言う出版社に持ち込んだ。
・1000部製本するのに500万円、出版社の費用が100万円、自己負担が400万円で系列の本屋に配布と言う条件であった。
・400万円の金が無かった。
・それではと自作で本を作ることにした。
インクジェット価額約20万、レザープリンター価額約25万を購入した。当時のプリンターは、両面印刷は不可、両面印刷する紙も無い。片面で印刷、製本屋に裏面のり付けしてもらって製本、部数100冊。
定価2.000円で知人や友人に強制的に売りつけた。
当時福島大学の某教授本に進呈するべき持参した。
サインをしてくれと言われた。うれしかった。
■岩魚太郎の作品を列挙する。
「渓流の夢尚子」渓流写真と推理小説 
「友情は生きていた」
高校球児の友情物語り、日本テレビドラマ応募作品のシナリオ 見事落選
「おてもやん」
誘拐犯と誘拐された子供の心の絆の物語・日本テレビドラマ応募作品のシナリオ 見事落選
「日本版007(仮題)」
核廃絶アクションを実施する日本の秘密組織 テレビドラマ シナリオ未完で見事挫折。しかしまだ復活を目論んでいる。
「ちょっとHな人類学」
何故人類には交尾期が無いのか?言う問題を主題に♂と♀の関わりのエッセイ。
本郷鬼太郎のペンネームで起草した。完成。電子書籍 http://p.booklog.jp/ に登録公開。いまだ売れず。
「天然岩魚と山女魚が釣れる究極の本」
渓流釣りの分析を 特性要因図 を使用して解析をした本 http://p.booklog.jp/ に登録公開。いまだ売れず。Home Pageでは多少売れている。

■1月9日(日)午前2時頃から3時頃
眼を閉じて眠れない脳のPC回顧録と瞑想である。
■午前4時、岩魚太郎の密着24時間と題してPCデスクトップ Gateway Windows XP に向かっている。
■午前6時 この回顧録の記述が終わる。

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私怒っています!!

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私怒っています!!
2011年1月9日(日)

1月8日(土)朝のテレビ番組である。
■放送局の記憶は無い。
■変な眼鏡と衣服をまとったティリー伊藤の司会で、中曽根康弘(元総理)と現東京都知事の石原慎太郎が対談していた。
■内容は政治問題、その中で経済発展の、施策方法論での都知事の発言である。
■日本人は我慢と言うことを忘れてしまっている。日本経済が発展するには、ある程度国民が我慢するしか無い。
 と言うような発言であった。
35歳平均年収300万円台  就業人口3人に一人以上が年収200万円以下と言う、INTERNETでの調査もある。年金月額10万円前後の人々も多数、私も含めそのような人々に。都知事は何を我慢せよと言うのだ。
都知事の発言は、生活の心配の無い者の傲慢な意識である。
都民はこのような都知事を選出した事実を猛省すべきだ。他県民であるが私岩魚太郎は怒っています。
石原都知事よ、年収200万円での4人家族で生活してみろ!
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