伐採したツリーを一晩、バケツの水を吸わせてから台座を取り付けた。
そして部屋の中へ。
早速子供たちが飾り付けをしてくれる。
私にも手伝うよう誘われたが、
美術で50点以上とったことのない私は自制した。
春日井キリスト教会での名残惜しい愛さん会を後にして一路上京。
両親が待つ横浜の家では、
兄弟姉妹らが既に集まっていて夕食も準備万端であった。
丁度この日(2日)は、母親が83歳になる誕生日という事で
サプライズ誕生パーティー。
貴重な時間はシッカリと流れて行く。
夕食後は、弟が羽田まで車を出してくれるという。
昨年までは、成田まで3時間は覚悟せねばならなかったのに、
羽田には30分もあれば余裕で行けるようになった。
羽田発0:30AMのフライトで順調にシアトルに到着。
同じフライトにホサナ教会のMさんと偶然にも乗り合わせたのには驚く。
搭乗の待合室では、
お互いの日本滞在の様子をシェア出来た幸いな時となった。
飛行8時間半ほど。
同日、というよりも前日の日曜夕刻にシアトルに着陸。
丁度その頃、
長女のミュージカル劇が教会で上演されていて
その日が最後の上演だという。
劇を見るのが出来ずに残念であるものの
ビデオによるバーチャル空間でなく
リアル世界で家族に会えるのは嬉しい限りでした。
義父は段々弱って行く。
アルツハイマーと脳血栓を併発してナーシング・ホームに
入居してからすでに1年以上が過ぎた。
子供達の様子や
昨夜は寒かったのでウサギを室内に入れたことなどを話す。
しばらくすると義母が現れて夕食をサポートする。
自力では食事もできず、話もできない義父。
その義父は私たち家族に大きなレッスンを与えてくれている。
人の価値は、何ができる・できないの評価から決められない事を。
毎日2回の食事サポートを含めた義母の健診的な介護から、
アガペー(愛)とはどういうものであるのかを。
聖書の教える「神の愛」はアガペー。
それは見返りを求めないで、
自らを与え尽くすもの。
錦織先生と末っ子のサラさん。
この日はニュージャージー日本語教会牧師の錦織先生宅にお邪魔となる。
閑静な住宅街に住居を構えておられる先生の家では、
奥様と3人のお子様方からの熱烈な歓迎をいただいてしまった。
末っ子のサラちゃんは私の長女と同じ年。
ジャスティン・ビーバーの大ファンであることから、長女とも話が合うであろう。
今年の初夏にアトランタにある大学を卒業したご長男は、
タイムズスクエア正面にあるオフィスに自宅から通勤しておられる。
ご次女も自宅から徒歩で通える大学に通っておられる。
3人のご子息がそうして両親と同居できるとは羨ましい限り。
今の私にとって、我が子が巣立っていくとは、考えたくもない悪夢に思える。
ところで、
錦織先生とは昨年、ニュージャージーのFort Leeで30年振りの再開を果たした。
始めてお会いしたのが、
伊豆の大島でのホーリネス教団主催の高校生キャンプの時であった。
私が高校2年、先生が高校3年であった。
集会中に豪雨と落雷のために突然停電となり、自分の手すら見えない暗黒世界に置かれながらもメッセージの応答を求められて、私が信仰決心に至ったこと、
ボイラー故障でキャンプ場風呂場が使えずに、ゴルフ場の風呂を使用したことなど、
懐かしい当時の話に花が咲きました。
(当時の集会で語られ、私の信仰決心となった聖書のみ言葉です)
「あなたがたは、以前は暗闇でしたが、今は、主にあって、光となりました。
光の子供らしく歩みなさい。」 エペソ5章8節
99号線からダウンタウンを眺めて。
この季節の晴れ間は貴重な瞬間です。
夏から秋への変化は、自然界で色彩だけではない。
それは雨季に入ったことを意味する。
日本のような豪雨でないが、いわゆる霧雨が数度も一日に降る毎日が、
翌年の春を迎えるまで続く事になる。
夏場の最盛期には夜も10時頃まで残照で明るいのであるが、
これからは暮れて行く時間も、日に日に早まって行く。
おまけに雨雲に閉ざされた空では、
お日さんが顔をなかなか出してくれない。
夏に蓄えた日光浴の貯金で、この雨期を乗り越えられるだろうか。
貯金をはたいてしまうと、鬱にもなりかねない。
ある美容店の入り口に飾られてありました
シアトルでは、この週からすっかりと秋らしくなった。
米国大陸には珍しくも、四季の変化が鮮やかなシアトル。
先週は残暑に「暑い」だなんていう言葉も飛び交う日もあったが、
もうそれは過去のものとなった。
秋になると、街中の装飾がいっせいに黄土色へ変わって行く。
夏の間、生命力溢れる緑の衣をまとっていた街路樹が黄色や橙に衣替えし、
やがてその衣を脱いで行く。
パンプキンのピックアップを宣伝する農場の看板も、
あちこちで目にするようになった。
すでに我が家の玄関には、パンプキンが3つほど置かれている。
そんな色彩豊かな秋は、11月末の感謝祭で絶頂を迎える。
コロンビア川です。対岸はオレゴン州で、手前がワシントン州。
私たちが天国に渡るときは、天使がエスコートしてくれます。
今日も家内は、ケアハウスに入居している義父を見舞ってきた。
彼に夕食を食べさせるサーブをして先ほど帰ってきました。
普段、その義父を介護してくれている人に、Gさんがいます。
彼女は数年前、交通事故で重症を負い骨盤と片足、膝を複雑骨折。
肋骨も多く骨折した上に両肺が潰されて
心配停止で人工呼吸器につながれたそうです。
医師は家族にリスクを冒して人工呼吸器を外してみるか、
それとも、このまま残る生涯を機械につながれたままにするかの判断を迫った。
家族が導きを求めて、皆で祈っていた時です。
意識のないGさんでしたが、ちょうどその家族が祈っている時、ある幻を見ました。
とても背の高い人がベットに横たわるGさんに近づいて来ました。
その人の影が長く伸びています。
そして彼女にこう言ったそうです。
「一歩ずつ、わたしの陰の上を歩いてくればいいんだ」
家族はその後、人工呼吸器を取り外すことを決意。
Gさんは、6ヶ月後に退院します。
そして職場に復帰して、最初にあてがわれた患者さんが義父でした。
その夜に再び幻を見たそうです。
あの背の高い人物が再び現れて、
彼女の後ろから肩を叩いて言うのです。
「このひとだ。この人のためにあなたは退院したんだ」
Gさんは義父のケアを始めますが、
衰えた義父は、やがて24時間介護のあるホスピス病棟に引っ越すことになります。
「誰がドクター(義父)にホスピスケアが必要だと決めたのですか?
彼はまだここで大丈夫です。
もしドクターがそこに引越すのでしたら、
私も配置換えをして彼のケアを続けさせてください。
そうでないなら、私は仕事を辞めます。」
彼女がマネジメントにそのように嘆願した時に、
これらの話を家内にしてくれたのです。
今日も義父は、Gさんの手厚い心あふれる介護に支えられています。
Gさんの幻に現れた背の高い人とは、もちろん主イエスのことです。
「あなたがたのすることは、
ことばによると行いによるとを問わず、
すべて主イエスの名によってなし、
主によって父なる神に感謝しなさい。 」
(コロサイ 3:17 )
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この日は、アメリカの両親の結婚48周年でした。
そこで我が家にお招きして夕食ともにする事に。
と言っても、アルツハイマーを患っている父はケアハウスから外出できません。
母だけが来てくれました。
家内が作った料理の一つは、焼きそば。
野菜と肉、麺を炒めて、さあ最後のソースを、、、
冷蔵庫のドアを開けて取り出したソースを見て、彼女の顔から火が吹き出しました。
取り上げたソース瓶は空っぽ。
一滴とてソースが無いんです!!
「キョ、キョウタ〜 ♪───O(≧∇≦)O────♪」
「な、なぜ、空の容器を冷蔵庫に入れておくんだあ〜!?」
幸い私はその時数百マイル離れたカリフォルニアにいました。
彼女からの「光子力ビーム」@マジンガーz
で焼き殺されずに済みました。
せっかく作った焼きそばを、
家内はあきらめることはできません。
かといっても、ソースのない焼きそばなんて、
クリープを入れないコーヒーのようで、食べれたものでない。
彼女は腹ペコの母親と子供達を残したまま、近所のadverdsonへ走りました。
その店にアジア系の食材はほとんど置かれてないことを承知の上で。
夕方の渋滞時間帯に、
アジア系スーパーまで買い出しに行く暇は間違いなくない。
そこまでしていたら、子供たちは餓死していることでしょう。
そして、、、、、、
案の定、ソースばかりか焼きそばも無いのを確認して手ぶらで帰るしかなかった家内。
どうやって夫の息の根を止めるかを思案しながらハンドルを握って、
自宅の2軒前まで来た時、
その家の白人男性が庭仕事をしているのを目にした。
その人は日本人女性と結婚して、女性と子供は今は里帰り中ゆえの一人暮らし。
家内は車から降りて事情を話すと、男性は焼きそばソースを持ってきてくれた!
ヤッターマン、いい男、救世主!!!
彼のおかげで私の命は、絶対絶命のピンチから救われたのでした。
教訓・ 空の容器は冷蔵庫へ入れざるべからず。
寝坊して起き出してみると、すでに妻によって朝食の用意が。
子供たちはそれぞれカードを書いてくれてました。
この日、49回目の誕生日を迎えてしまいました。
49歳といえば、戦国時代では平均寿命らしいです。
これといったことも達成しないまま、伊達に年だけ取ってきた自分が恥ずかしいです。
ところで、織田信長が本能寺の変で自害したのが49歳でした。
1560年の桶狭間の戦いで今川側を奇襲して破ったのが、26歳のときです。
出陣のとき死を覚悟した信長は、敦盛の一節を舞ったと信長公記にあります。
「 此時、信長敦盛の舞を遊ばし候。
人間五十年 下天の内をくらぶれば、
夢幻のごとくなり。
一度生を得て滅せぬ者のあるべきか、
と候て、螺ふけ、具足よこせと仰せられ、
御物具召され、たちながら御食をまいり、
御甲めし候ひて御出陣なさる。 」
『信長公記』
現在の平均寿命からすると、49歳なんてまだまだ洟垂れ小僧です。
今後も何事もしないまま年だけ食うことになる私ですが、
ひとつ野望があります。
それを子供たちに、この日伝えました。
それは、
百まで生きて、彼らの孫たちとサッカーするというものです。
それを聞くなり笑ってました。
子供らは本気で私が言っているのを知りません。
私の敦盛は以下のようになります。
「人間百年。
永遠のうちをくらぶれば、
夢幻のごとくなり。
一度主イエスにある救いを受け
滅せる者のあるべきか。」
同僚や家族を裏切り、殺すことも茶飯事だった戦国時代に
生きていないことをつくづくうれしく思います。
「下天」は、六欲天の最下位の世で、一昼夜は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳とされるのだそうです。
すると、、、僅かな人間の一生が、投げやりとなり、空しい無常観を抱かざるを得ない。
主イエスが約束された永遠のいのちは、たかだか500年ではありません。
そして長短に関わりなく、今のこの一瞬が、永遠者との交流ゆえに無上に価値ある時となるのです。
「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。
彼らは決して滅びることなく、
また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありあません。」
ヨハネ10章28節
愛らしいお顔が見えないのが残念。
双子の姪っ子が始めて我が家に泊りに来てくれました。
5歳になるペイトンとオバリーです。
毎秒、視覚に入る異なるものを発見しては関心を抱く彼女ら。
10秒一緒にいただけで私は疲れ切ってしまいました。
頼もしいのは長女。
彼女らと遊ぶのも、食事の世話も、ベットでともに寝るのも、すべて彼女が引き受けてくれました。
いつからそんなお姉さまになったん?
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