「わたしはあなたの名を呼んだ」
7月
4日
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「わたしはあなたの名を呼んだ」
イザヤ書 43章1~4節
"だが今、主はこう言われる。ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよ、あなたを形造った方が。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。
あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
わたしはあなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしはエジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。"
今も変わらずに語りかけられる主
「恐れるな」〜孤独感や閉塞感に襲われやすい私たち…..こんな時であったとしても。
「あなたの名を呼んだ」〜私の全てを把握した上で呼びかけらてた。
なぜなら主は私たちの創り主であられる。ザアカイの例。
(2)「あなたはわたしのものだ」と言われる主
①「贖った」〜所有者が交代したことを意味している。
「神がいるならなぜ私にこんなことが」と嘆かざるを得ない現実に直面して。
「水の中」「川を渡る時」「火の中」を行くときも。
②「あなたの神、イスラエルの聖者、救い主」
あなたは神の特別な扱い、贔屓の対象である〜他民族との相違(3)
(3) 「このわたしはあなたに充分ではないか」と言われる主
① 「わたしの目には、あなたは高価で尊い」
自分自身の評価や世間の評価で自らを測るなら、劣等か優越意識を抱く。
それは私たちを欺くものでしかない。
② 神ご自身の評価をこの厳しい現実の中で聴こうではないか。
その時に今まで存在してなかった自分が立ち上がる。
全てが変わる。
(結論)
人とはなんとも恐れを抱きやすい存在。
弱さの中で主の御声をを聴くなら主が働き始める。
その弱さの中にこそ希望がある。
主は不思議な方だ。
"しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。" コリント人への手紙 第二 12章9節