「ハンナの祈り」
3月
14日
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「ハンナの祈り」
サムエル記 第一 2章1~10節
"ハンナは祈った。「私の心は主にあって大いに喜び、私の角は主によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。私があなたの救いを喜ぶからです。
主のように聖なる方はいません。まことに、あなたのほかにはだれもいないのです。私たちの神のような岩はありません。
おごり高ぶって、多くのことを語ってはなりません。横柄なことばを口にしてはなりません。まことに主は、すべてを知る神。そのみわざは測り知れません。
勇士が弓を砕かれ、弱い者が力を帯びます。
満ち足りていた者がパンのために雇われ、飢えていた者に、飢えることがなくなります。不妊の女が七人の子を産み、子だくさんの女が、打ちしおれてしまいます。
主は殺し、また生かします。よみに下し、また引き上げます。
主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くします。
主は、弱い者をちりから起こし、貧しい者をあくたから引き上げ、高貴な者とともに座らせ、彼らに栄光の座を継がせます。まことに、地の柱は主のもの。その上に主は世界を据えられました。
主は敬虔な者たちの足を守られます。しかし、悪者どもは、闇の中に滅び失せます。人は、自分の能力によっては勝てないからです。
主は、はむかう者を打ち砕き、その者に天から雷鳴を響かせられます。主は地の果ての果てまでさばかれます。主が、ご自分の王に力を与え、主に油注がれた者の角を高く上げてくださいますように。」"
注ぎ出した祈り(1:15)
心にある事をそのまま持ち出した(16)
1点に集中した祈り(1:13)〜空想、仮説、幻想は追い払わねばならない
(2) 応答後に真実を貫いた祈り
①約束事を実行した(1:26-28)
②恵みを受けて祈りが答えられたときの私どもの姿勢はどうだろうか
⑶祈りの対象を人格的に把握した祈り〜異教は祈りの所作に重点を置く
①主は全てをご存知の方(2:3)
〜ハンナが社会的制裁を受け、いじめられていることもその心の痛みも
②主は全てを支配したもうお方(2:6-8)
〜この世界での生死与奪の権ばかりでなく、永遠の世界の審判者でもある
③主は報いたもうお方(2:10)
〜すべての人それぞれに公正な裁きを与え、信者に報酬を与えられる
油注がれた者=キリスト
角とは権威と力の象徴。キリストによる王国成就の預言であり、またキリストにあるもの共同相続人預言(2:1)でもある。
(結論)
私たちの祈りは、注ぎ出したものか。
応えられたと言ってそこで終わっていないか。感謝の生贄を捧げられているか。
祈りの所作や形式ではなく祈りの対象を人格的に捉えているだろうか。