「わたしの顔はいつもあなたとともに」
出エジプト記 33章14~23節
"主は言われた。「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。」
モーセは言った。「もしあなたのご臨在がともに行かないのなら、私たちをここから導き上らないでください。
私とあなたの民がみこころにかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちと一緒に行き、私とあなたの民が地上のすべての民と異なり、特別に扱われることによるのではないでしょうか。」
主はモーセに言われた。「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名指して選び出したのだから。」
モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」
主は言われた。「わたし自身、わたしのあらゆる良きものをあなたの前に通らせ、主の名であなたの前に宣言する。わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」
また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」
また主は言われた。「見よ、わたしの傍らに一つの場所がある。あなたは岩の上に立て。
わたしの栄光が通り過ぎるときには、わたしはあなたを岩の裂け目に入れる。わたしが通り過ぎるまで、この手であなたをおおっておく。
わたしが手をのけると、あなたはわたしのうしろを見るが、わたしの顔は決して見られない。」"
⑴行くべき道はどこに
①誰がイスラエルの民を導くのか分からない不安(12)〜神ご自身ではなく御使いを代わりに立てるとされて(2-3)
②「わたしが道である」(ヨハネ14:6)
その道がわからないとのトマスの疑問(ヨハネ14:5)
知っているはずだ、と仰せらた主。
⑵わたしは神にかなっているのか
①お心にかなっているのだろうかとの不確かさ(13,16,17)
②失敗を預言されたペテロ(ヨハネ13:37-38)
なおも主はその彼を「友」と呼ばれ、選ばれたことを確かな事とされた(ヨハネ15:15-16)
⑶神ご自身を見てみたい
①栄光を見せてくださいとの求め(18)
あらゆる善をあなたの前に通らせるとの約束
「善」とは栄光のことであり、ご自身の名誉と存在をかけての誓い
②「私たちに父を見せてください」とのピリポの要求(ヨハネ14::8)
私を見たものは父を見たのです(完了形)とイエス様
(結論)
「わたし自身が一緒に行ってあなたを休ませよう」
この直訳は、
「わたしの顔がいつもあなたと共にある」となる。
人の持つ究極的な求めであるこれら3つは、このお言葉に解決を見出せる。
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