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神様にとって不治の病はない

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1992年、夏季実習伝道として... 1992年、夏季実習伝道として伊東献仁神学生がおいでになられました。松井宅での家庭集会です。 神様にとって不治の病はない



日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。

私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。

卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大台町にある錦キリスト教会でした。

そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。

教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。

本の題名は「人生は80歳から始まる」。

確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。

私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。

今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。

まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。

皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを紹介します。


第25回目は、川崎での多忙な伝道生活がドロシー先生の健康問題を引き起こしたことについてです。米国に帰国中、肺気腫との診断を受けたのです。当時の川崎の空は、酷い公害スモッグで覆われていました。









健康問題に直面して
〜暗い疑いと疑問〜




1963年頃までに私の健康はひどくなって行きました。
高熱と咳が続き、ときには呼吸さえ困難となったのです。

そして遂に働きをそれ以上続けることが困難となったのでした。
医者に診ていただいたのですが、それはただ私をがっかりさせるものとしかならなかったのです。レントゲン写真を撮った後で彼は、「どんな種類のタバコを吸っているのですか」と聞いてきたのです。

横浜の病院へ行った時には、喘息であるとの診断を受けました。そして三週間の安静治療を受けたなら肺は綺麗になると言われましたが、何の効き目もありませんでした。私の症状はさらに悪化していったのでした。

やがて私は、しばらく長期休暇を取るようにとの要請を受け入れざるを得ないところまで来ました。その知らせは米国へも送られたのですが、それが先方に届く前にベイデン教会からファローのために一時帰国するようにとの連絡が届けられました。そこでこれが神様の御旨であると確信したのです。

それでも私の内には多くの疑問が残っていました。

どうして? どうして? どうして?


私は当時三つの高等学校で英語を教えており、そこからの生徒さん達が川崎南部キリスト教会のバイブルクラスに出席してくれていました。ときにはそのクラスが20名以上にもなる時がありました。

そこにはインドやアメリカからもゲストが来られては、ともに楽しんでいたのです。ターバンを頭にかぶったインド人がクラスに来たときには、生徒さんたちは大変喜んでいました。働きが進められ成長しているのを見て、私の心は喜びで溢れていたのです。

どうして私は撤退しなくてはならないのですか?
主は私にその理由を示されませんでしたが、聖書のお言葉をくださいました。

「私のしていることはあなたには今は分からないが、後にはわかるようになる」

お別れとは、大変辛いものです。
しかし三回あったお別れ会の中で、主はそれぞれ異なった三人の人物を通して、この主ご自身のお言葉を私に与えて確信を下さいました。

ヤコブが最も暗黒の中にいた時に、主は彼にお語りになられました。

"「見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」"(創世記 28章15節)

9月4日に出国する予約が取られました。もはや後悔したり心配したりする時間は残されていません。ミッショナリー・チャレンジャーの原稿をもう一本書かねばならないし、ファローのためのペーパーも準備しなくてはなりませんし、不在となる英語クラスのための備えもまた必要でした。

会計や荷造りもせねばなりませんでしたので、残された限られた時間の中でしなくてはならないことが無尽蔵にあるように感じました。

その夏の修養会は、一年間の帰国報告の仕事のためには心を備える特別な時間となりました。
多くの妨げが起こったし、まさに現在は逆風の吹く状態でしたが、神様の御心は誤りなく鮮明です。

五年間不在の後に家族と再会できたことは、言葉にならないほどの真の喜びとなりました。
子供たちの成長のなんと早いことでしょう。

日本へと旅立ったとき、彼らはまだよちよち歩きだったのです。その彼らが一度に私に話しかけて来るのです。私の父のトレーラーハウスに教会や親族たちが集まって盛大な宴会となりました。それはまさに親密な”コミューニオン(聖餐式)”となったのです。


カルチャーショック


突然、私は自国の米国にいながらカルチャーショックに直面しました。

銀行口座の開設方法がわからない。駅改札口での自動販売切符の取り扱いがわからないのです。
運転免許証を得るときには大変な緊張を強いられました。

そんな中で親切にも手助けをしてくれるたくさんの人々に接しました。毎回助けをいただく度に、私が言ったことの定型句はこんなものです。
「五年間も日本にいて最近戻ってきたばかりなんです。アメリカでのあらゆるノーハウについてはすっかり抜け落ちてしまった者ですから」

休んでいる時間はありませんでした。9月19日までのファロー(宣教報告)のスケジュールがきっちりと組まれていて、アメリカ中の西や東へ行ったり来たりすることになっているのです。

家族であるベイデン教会の方々は、セントルイスの駅でまだ眠気まなこだった私を迎えてくれました。そのユニオン・ステイションは今やセントルイスの観光名所となっていて、あらゆるお店やエンターテイメントの集積地となっています。それでも当時電車が通っていた事を忍ばせる面掛けは残されていますが。

ナザレン教団をリタイヤされたコンウエイ牧師とその奥様は、私を彼らの家に迎え入れてくださいました。その家は私の米国滞在期間、第二の実家となりました。
彼はまたキャシューナッツとブラックウオナッツアイスクリームの販売にも長けている才能の持ち主です。彼がどこに行くにしても販売を成功させてしまうのです。

コンウエイ夫人とおしゃべりした地下室に至る階段での時間を決して忘れることはないでしょう。
その対話は何回にも及び、そしてめったなことで邪魔が入らなかったのです。どうして地下室での階段ですかって?

彼女が洗濯の度に階段を降りてくると、私は何か理由を見つけては会いに行き、話に誘い込んだからです。

長い結婚生活の後になってからこの二人は深い相思相愛の仲となったようです。
セントルイス市内を運転するときにも彼らは手をつないでいるのです。言うまでもなくそれは危険な行為のはずですが、主はそれを認めて彼らをお守りくださいました。

チャーチオブゴッド教団はサイズとしては小さくなりつつあり、メンバーも少なくなっているようでしたが、暖かい雰囲気とスイートな交友は私がどこに行っても保たれていました。
激しい嵐に見舞われ去って行かれた方々の中には、私と親しくしていた幾人かもおられます。それにも関わらず残された彼らは忍耐を保持して教会を守り続けています。



神様にとって癒されない病はない



熱心なクリスチャンの友人らは、私が家にいても海外にいてもこの12月までに私が癒されるようにと熱心に祈り続けてくれたのですが、どうも私の体はこれ以上働きを続けられそうにはなかったのです。

セントルイスにあるバーネス病院での専門医との面接では、私がとても深刻な状態にあることが伝えられました。公害の煙や灰、その化学物質を吸い込んだことからくる肺のダメージが深く、おそらくそれが恒久的に残るとのことです。

もし日本に戻るとすると、長生きできたとしても55歳になる頃には車椅子生活を余儀なくされるとまで告げられました。私は当時、不治の病であった肺気腫であると診断されたのです。

当時はまだその病のためのどんな治療方法も薬もありませんでした。
その専門医は私に再び日本へは戻らないようにとアドバイスをしてくれた上で、肺に積もっているゴミを除去するための薬や、ひどい症状を和らげるためにと睡眠剤を処方してくれました。

やがてその全ての薬を完済した後、再びそれが投薬される事はありませんでした。
「なぜそんなものに頼っているのか」と私は考えたのです。

創世記28章15節の神のお約束がなかったならば、私は暗い失意の中に沈み込んでいたことでしょう。翌朝早く私は起き出して、その件について主に祈りを捧げました。

しかし神様にとって、思い出さねばならない事はないと示されたのです。
神様は私を忘れてしまっているわけではありません。

そのお約束のお言葉は私に働いて、今一度、私は自分自身を神に捧げ、たとい人生が短くなったとしても日本で仕える決心に至ったのでした。

"見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」"
(創世記 28章15節)

#ドロシー師

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