いよいよシェルホン先生との出会いが始まりました
6月
4日
チャーチオブゴッドとシェルホンご夫妻
私の父と母はコロラドにあった彼らの家を売ってカリフォルニアの私の所にやって来ました。
母の体調はかなりの間、おもわしくなかったのです。私たちが共に過ごした最後の数ヶ月間は、大変貴重なものとなりました。
小さな開拓教会にあって私は徐々に青年グループのリーダーとして認められるようになり、さらに日曜学校の教師や教会会計まで任せられるようになったのです。
大工ではもちろんありませんが、可愛らしい教会堂を増改築する上での様々なお手伝いまでするようにもなりました。
この頃、私には安定した仕事がありました。多分「仕事」と言っていいものだと思うのですが。時に私は掃除婦となり、母の手伝いをし、メイドとなり、とにかく様々な家であらゆる仕事をしていました。
日本宣教と新しくされた献身
レイモンド・シェルホン先生とお会いするだいぶ以前から私はイリノイ州クインシーにあるウオマック・ファミリーを通じて日本宣教について知る機会が与えられていました。
クインシーキャンプでシェルホン先生とお会いした事は、私の人生の指針を変えることとなったのです。宣教大会での締めくくりの場面においてシェルホン先生はアピールをなされました。
「若い人も歳を召された方であっても、すべてを置いてキリストに従いたい、それが主の導かれるどこの場所であろうとも従いたいと願われる方は、ぜひとも前に進み出てください。共にお祈りをしましょう」
私は宣教師候補者としてはすでに歳を過ぎてしまったものですが、私の心には否定できないあるものがあったのです。私はそれに応答して私の献身を新たなものとさせてもらいました。
カリフォルニアに帰ってから、私はハイチ宣教で働く友人に手紙を書きました。
彼女に私の心を包み隠さず伝えたのです。たとえ私の年齢であったとしても何かできることがあると考えました。
彼女は詳しいことは私に伝えなかったのですが、ある問題のためハイチ宣教に申請する事は避けた方が良いとアドバイスして来ました。彼女は私にそのハイチでの働きを勧めてもよかったはずなのに、私は大変失望しました。再び訪れた機会にもかかわらず挫折してしまったのです。
その後、シェルホンご夫妻が日本に帰国する直前になって、彼らは小さなレドンドビーチの教会を訪ねられたのです。礼拝後、私は彼らご夫妻を我が家にお招きしました。
私に対してのキリストからの召命について、その努力が実ならなかったことについて、心開いて打ち明けたのはその時のことでした。彼らは私をとても励ましてくださり、たとい私の年であったとしても英語を学びたいと考えている日本人青年にキリストを伝えることができるはずだ、と言ってくれました。
日本での生活に順応するのは優しいことではないので、神の確かな御心を確信するまで求めるようにとアドバイスもいただいたのです。
「親愛なる主よ、私を用いてください。
主よ、どうか私を拒まないでください。
私にも何かできる仕事があるはずなのですから。
それがたといへりくだらねばならないものであったとしても。
主よ、私の意思が粉々になるよう助けてください。
あなたのための働きは、どんなものでも偉大なものなのですから」