「すべての少女にチャンスは一度巡ってくる」
5月
19日
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。
私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。
卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大台町にある錦キリスト教会でした。
そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。
教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。
本の題名は「人生は80歳から始まる」。
確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。
私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。
今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。
まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。
皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを今後紹介して行きます。
その第12回目はドロシー先生の甘い青春時代、男性との出会いについてです。
黒人の赤ちゃん、そして満足できない心
実入りの良い仕事でしたし楽しい仕事場ではあったのですが、私の心は真の満足からは離れていました。宣教プロジェクトのためにどれだけ捧げたとしても、私の内なる声を静めることはできませんでした。
私はエリトリアからの赤子を養子に迎えました。
孤児院から私に何枚かの写真が送られて来ましたが、私の黒人の小さな赤ちゃんは短い縮れ毛をしていてまるで本当の天使のように可愛かったのです。
彼女が成長した暁には私の代わりに宣教師として活躍してくれるのではないだろうか、なんていう期待もしました。ですが、そうは実現しなかったのです。
彼女は生まれた時から栄養失調気味でした。やがて結核に犯されるようになると州立病院に入院を余儀なくされ、そこで亡くなったのでした。
まるで私がこれまでにしようとして来たことの全てが失敗に終わったかのように思えたのです。
働きすぎて教育を最後まで終えることができなかったこと、黒人の赤ちゃんを亡くしたこと、そんなことで将来に対する希望は消え去ったかの様でした。
召しに応えようとする全ての努力や願いは災難に終わりました。
その時私は失望に打ちのめされていたのです。
失われたチャンス
「すべての少女には少なくても一度のチャンスは巡って来る」
これは私どもの聖書学校の一人の教師が、なぜ自分たちは結婚できないのだろうかと悩む女子生徒らに与えていた答えです。
私のにとって一つのチャンスとなったのは、聖書学校の校長でした。
彼は脳みそはあったものの、機転と勇気とに欠けていたようです。
彼の最初の私へのアプローチは手紙となったのですが、なんとそれを彼のいとこに託したのです。私にして見れば、大切な出会いを親戚に任せるだなんて事は考えられません。
もう一つのチャンスが滑ってしまったのは、応えを単に遅らせてしまったことに寄ります。
彼は物静かで誠実な若い男性でした。将来、宣教師となるための準備をしながらも自らの学費を稼ぎ、さらにやもめとなった実の母をサポートするためにパートタイムで働いていた人でした。
私の家族は皆彼のことが好きで、親戚の人たちも彼こそ立派な人だと考えていました。
でも私がお応えすることが遅くなったため、彼は私よりもきれいな女性を見つけたのです。
彼らは結婚して家庭を作りました。
彼は成功した農夫となりましたが、決して宣教師にはなりませんでした。
もし男性側に宣教師としての突然の召しの声がかけられ時、その働きを共有せねばならない夫人としては問題の全てもまた同様に抱え込む事になるでしょう。
ある時、コンウエイご夫妻を通して私の住所さえ知らないはずのある方から手紙をいただきました。私よりもその方の方がこの件についてのエピソードを楽しく話すことができるでしょう。
さらに、教職を引退されたある方は私に山ほどの手紙を送って来ましたが、私はそれに何も答えませんでした。
どうも巡ってきたチャンスの全てを私は取り逃してしまったようです。