「それからイエスはモーセ及びすべての預言者から始めて聖書全体の中でご自分について書いてある事柄を彼らに解き明かされた。〜〜
彼らの目が開かれイエスだとわかった。
するとイエスは彼らには見えなくなった」
(使徒働き24章27節、31節)
この聖書箇所を故蔦田二雄先生は以下のように解説されています。
「歩みを共にしていた弟子たちにも目が開かれる時が来た。
キリストの生きておられることがわかった。
生きた人格の発見であった。
内面的にイエス・キリストがわからないと本当の神学は論じられない」(岩から出る蜜)
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