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ある日のディボーション・ノートから

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ある日のディボーション・ノート...

「神は真実であり、
その方のお召しによって、
あなた方は神の御子、私たちの主イエス・キリスト
との交わりに入れられました。」
(Ⅰコリント1章9節)

キリスト者の交わりとは何か?

「交わり」の原語は「コイノス」であるが、
それは共有、共存、共通などの意味がある。

キリスト者とは
イエスとのコイノスを保っているものであると聖書は告げる。

❶それは生命的なコイノス

先ほど家族とのビデオ通話をした。
カナダにいながらリアルタイムで映像通信ができるとは便利な時代になったものだ。

妻の笑顔や子供らの日常の様子を視聴するだけで元気をもらった。
それは何ら変哲のないモノにすぎないが、

単なる業務連絡や知識の伝達を超えた
豊かさがある。命がある。

私たちが神の家族として受け入れられ、
私たちを活かす命のやり取りを始めるために

主は十字架の死による贖いを成し遂げ
復活による勝利を果たされた。

神との和解と
完全な赦しとがコイノスの土台となっている。

❷それは人格的なコイノス

私たちの主イエスは物言わない偶像や夢世界の虚像・フィクションではなく
現在も生きていたもうお方で、人格を持って交流される方である。

・知的な交流〜イエスの教えを知り、世界や将来、歴史の遺産などを知って主の御心がどこにあるかを知り得る。
・情緒的な交流〜詩篇のことばや賛美の音楽などによって喜怒哀楽を共有するのである。
・意志的な交流〜知的、感情面のコミュニケーションが深まるほど、私たちの主に対する献身は深まって行く。主と同じ願いや希望、憂慮や痛み、動機と目的を抱くようになっていく。

❸それは統治的なコイノス

主との交わりが深まるにつれて
主の栄光に満ちた世界を共有するようになる。

主の所有されている権威や富、
これらを分有する世界の共同相続人としての地位にあることに目が開かれていく。



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