記事検索

つれづれなるままに

https://jp.bloguru.com/hosanna

フリースペース

ブログスレッド

  • レッテル貼りをして断罪するんです

レッテル貼りをして断罪するんです

スレッド
レッテル貼りをして断罪するんで...


引き続き、神学者たちと交換した終末論に関する意見交換です。



(私への投稿)

高橋様

 僕のお友だちや所属教団の中には、
高橋様と同じような見解を持つ人はたくさんいます。

僕は二十数年前に、より明確なディスペン主義者から、「T先生は、エゼキエルの神殿の完成の預言を文字通り信じていない・・・そんなリベラルな神学を奉じる人とは一緒にやってゆけない」と教会の公の場で批判を受けたことがあります。

 また牧師の友人からも、「T先生は、それでも福音自由の信仰だと言うのですか・・・・」などと批判されたことがあります。
 でも、幸い時代が変わり、最近は、僕のことをそのように言う人はいなくなりました。時代が変わってきたのだと思います。
 僕の方からは、そのようなディスペン信仰に立っている人を退けたことはありませんが・・・

 テサロニケの文脈ですが、1章10節でも、問題の箇所の直前の4章16節でも、大枠の文脈は、主が天から下って来られる・・・ということがテーマになっています。
 ところが携挙なる概念を入れると、この箇所を、「空中再臨」という解釈をせざるをえなくなります。

 王が自分の植民都市に来るように、王であるイエスがこの地に目に見える支配を明確にするために降りて来られる・・・というのはまさにテサロニケの文脈そのものですし、黙示録のエルサレムが地に下るというイメージともあいます。

  僕が残念に思うのは、空中再臨などと言う聖書に明確にはしるされていない概念を作ることによって、明確に繰り返されている「新しい天と新しい地」のゴールがぼかされてしまうことです。

 すべてのクリスチャンは、「新しい天と新しい地」をゴールとするという点では一致出来るはずなのに、それに至るプロセスの理解の違いが前面に出すぎて、互いの相違が大きく見えすぎてしまう。
 僕はそれを何よりも避けたいと思っています。

ここはライトさんの本の読書会なので、ラプチャー批判を堂々としてしまいますが、ふだんはそんなことを話題にはしません。

 ただ、それでも、僕のメッセージを聞いて、ラプチャーを信じていないことにお気づきになり、批判してくる人が過去にいたこと、それをもって、僕をリベラル呼ばわりする人がいた・・・
 そんふうな応酬にはなりたくないと思っています。




(私からの応答)

T様

リベラル呼ばわりされて断罪されたとはご愁傷さま?でございました。
ある神学ラベルを貼り付けて片付けようとする向きが行き着く最終地点は、
中世のカトリックの魔女狩りでしょうか?

アナバプテストの教理ゆえに捉えた信者を溺死させたカトリックの宗教弾圧などは、どちらが魔女の蛮行か今なら明らかでも、当時の情勢下では「神のために熱心」ゆえに正当化されていたようです。

程度の差はあっても、私たちも同様の愚かさや過ちに陥ってしまいやすいものなのでしょう。私も高橋様と似たような経験があり、私の神学的な主張を十分に理解しないまま「極端なディスペンセイション主義者だ」と教団内で断罪されたことがあります。
この読書会ではそのような大人気ない過ちは避けたいと考えます。

私は高橋様がラプチャーを否定しようとも魔女とは考えませんし、改宗させようだなんていう無謀な野望は抱いておりません。
主にある兄弟として尊敬申し上げておりますし、こうしてFBにて議論を戦わせる機会に感謝しております。
お互いに「聖書を誤りのない神の啓示の書である」とみなす聖書信仰が有る限り、議論も意味があることと考えます。

先に挙げられた聖句は間違えなく主の空中再臨を教えていると、私も同意します。
ゆえにラプチャーの教えが抽出できることになります。
その直後に高橋様は、「空中再臨などという聖書に明確には記されていない概念」と断じておられるところが理解できません。

主イエスが天から来られるのは、やがて来る御怒り(艱難期)から私たちを救い出すため(テサ1:10)ーーーラプチャーゆえに信者は艱難期の苦しみを通らずに済むのであると聖書は明言していないでしょうか。
4:16にてご自身が天から下って来られて(この時は地上に立つとは書かれていません)、
その後で信者がラプチャーされて、「空中で主と合う」(4:17)ことに何の疑問があるでしょうか?
主ご自身も、先に信者を迎えにくると言っておられます。ヨハネ14:3

その後天に引き上げられた教会と主は、天にて婚礼を挙げられると黙示録は明解です。
地上には不信者をさばく「主の日」(旧約聖書表現です)が、艱難期7年間として始まります。

なお、イスラエルの7つの祭りを学ぶと見事に終末プログラムと合致していて、
艱難期前に主の空中再臨とラプチャー、艱難期後に主の地上再臨があることが隠されていたことに驚きました。

⑴過越の祭り〜 神の子羊、キリストの十字架による刑死をよ表

⑵種無しパンの祭り〜罪のないキリストの血が捧げられた

⑶初穂の祭り〜キリストの復活をよ表

⑷ペンテコステ〜聖霊の降臨をよ表

(中間の4ヶ月間・教会時代に対応)

⑸ラッパの祭り〜教会のラプチャーをよ表

⑹贖罪の祭り(ヨムキップール)〜艱難期の7年をよ表

⑺仮庵の祭り〜千年王国をよ表

これだけ情報があっても、改宗はあり得ませんよね。
失礼しました(^o^)
#救済

ワオ!と言っているユーザー

  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ
ハッピー
悲しい
びっくり