人は死んだらどこへ行くのか
4月
13日
ホサナキリスト教会・聖書広場からの引用です。
聖書本文とメッセージノートとはこちらから:
http://www.hosannamin.org/whatsnew/view/31324-68
「子羊の反撃②~偽善のパリサイ人たちへ」
マタイ23章13~24節
~マタイ福音書連続講解説教68~
マタイ23章は子羊によるパリサイ人への反撃の書でした。
今回の箇所から主はパリサイ人たちへ直球の弾劾を始められます。
7回の「忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち」と語られる。
なぜなら、彼らは
① 偽りの教えで人々を天国への救いから遠ざけている(13~15節)
② 本末転倒した宗教の実践をしている(16~24節)
そんな彼らは「人一倍ひどい罰」(14節)を神から受ける運命にあり、
「ゲヘナ」に落とされるのは避けられない(15節)と言われる。
愛と赦しのイエスが、
いわゆる地獄での苦しみや裁きを明言した上に
「お前たちはそこへ行くことになる」と直接人に対して語られただなんて
私たちの理解を超えるものであるかもしれない。
ここで、ゲヘナとは「火の池」とも言わている最終的に罪人が落とされる
いわゆる地獄であるが、
それに関して聖書が何と教えているか整理してみよう。
先ず、そこは「よみ」とは別の世界である。
Ⅰ 「よみ」について
死後に人間の行く世界であり、
信仰者(義人)も不信仰者(罪人)も共に行く場所である
OTの義人:創世記37:35、42:38
OTの罪人:民数16:30,33
原語でそれは、「ハデス」(ギ)、「シェオール」(へ)
と固有名詞として使われている
ハデスとシェオールとは同じ場所である。
それは詩篇16:10が使徒2:27で引用された際のギリシャ語訳から
そのように結論付けられる
イエスも死後にハデス・シェオールに行かれた:使徒2:27、31
ハデス・シェオールには2つの区分された領域があることが分かる
信者と不信者との間には越えられてない断絶された谷が存在していた
ルカ16:19~31の実話からそう結論される(これはたとえ話ではない)
信者の行く場所は「アブラハムのふところ」(比ゆ的な表現)と呼ばれている
そこはまた「パラダイス」とも呼ばれる(ルカ23:43、Ⅱコリント12:4)
不信者の行く場所は狭い意味でのハデス・シェオールである
その場所は地球の地底深部にある:創世記37:35、Ⅰサム2:6、ヨブ7:9
そこにある霊魂には意識がある:イザヤ14:9~10、ヨナ2:2
広義のシェオールとして、OTでは広義に信者も含めた
全ての死者が行く下界であると教える
NTでは、主イエスの十字架・復活・昇天により、
信者住居部分の狭義のハデス・シェオールが第3の天
(=「パラダイス」、「アブラハムの懐」)に引き上げられた:エペソ4:8~9
イエスの昇天以降のNT信者は、
死後すぐに天(=「パラダイス」、「アブラハムの懐」)へ行く:Ⅱコリント12:4
千年王国後の将来、第3の天にあるパラダイスは、
「新しいエルサレム」に存在するようになる:黙示2:7、22:2
Ⅱ 「ゲヘナ」について
ベン・ヒノム(ヘブル語)のことで、エルサレム南端にあったゴミ焼却場
そこでは人身供養が偶像の神々にささげられた:Ⅱ列王23:10、イザヤ30:33
そこは常にウジとくすぶる火が燃え続けていたところ
聖書には12回出現するが、そのうちの11回が主イエスによって使われている
マタイ5:22
マタイ5:29
マタイ5:30
マタイ10:28
マタイ18:9
マタイ23:15
マタイ23:33
マルコ9:45
マルコ9:47
ルカ12:5
イエス以外の使用例はヤコブ3:6のみである
それらの引用例から霊魂と肉体の両方が永遠に苦しむ場所であるのが分かる
ゲヘナとハデス・シェオールとは異なる
ハデスとシェオールは
一時的に死者を閉じ込めておく下界である
それは千年王国まで続く:黙示20:14
霊魂のみが存在して苦しむ場所である
「火の池」(比ゆ表現)とゲヘナとは同じである
黙示19:20、20:10、20:14、21:8
そこは失われた者たちすべて(罪人も悪霊も)の永遠の住まいである
千年王国の後にサタンは解き放たれ、不信者も復活する
「白い御座の裁き」の場が開かれる(黙示録21章)
それは刑罰の段階を判定するもので、救われているかどうかではない
彼らはゲヘナに送り込まれる
肉体と霊魂の双方が裁かれる場所である
「それから死とハデスとは、火の池に投げ込まれた」(黙示20:14)
「死」とは肉体に関すること
「ハデス」とは肉体と霊魂に関すること
そこでは火とウジの苦しみ・不快が永遠に続くところである
肉体と魂を持っていながらの存在であるので、
ゲヘナでの苦しみの度合いはさらに大きい