新年会
1月
6日
聖書箇所:ヨシュア1章1~9節
説教題:「あなたの神、主が、あなたの行くところどこにでも」
(聖書本文)
1:1 さて、主のしもべモーセが死んで後、
主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。
2 「わたしのしもべモーセは死んだ。
今、あなたとこのすべての民は立って、
このヨルダン川を渡り、
わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。
3 あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、
わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。
4 あなたがたの領土は、
この荒野とあのレバノンから、大河ユーフラテス、
ヘテ人の全土および日の入るほうの大海に至るまでである。
5 あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。
わたしは、モーセとともにいたように、
あなたとともにいよう。
わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
6 強くあれ。雄々しくあれ。
わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、
あなたは、この民に継がせなければならないからだ。
7 ただ強く、雄々しくあって、
わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行え。
これを離れて右にも左にもそれてはならない。
それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。
8 この律法の書を、あなたの口から離さず、
昼も夜もそれを口ずさまなければならない。
そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。
そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。
9 わたしはあなたに命じたではないか。
強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。
おののいてはならない。
あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」
新しい年を迎えた。
本日の聖書箇所は新しい世代に、新しい使命を神が与えたところである。
① 過去の清算(2節)
モーセの死をもって過去の失敗は葬られた。
民数記は、荒野を40年間さ迷った失敗の記録である。
その忌まわしい過去から飛翔するときが来た。
② 進軍の命令(2節)
「立って」、「渡り」、「行け」
と3つの動詞で新しいリーダーの下に、新しい使命が下された。
新年がおめでたいのは、
過去の呪縛からはなれ、新しい出発ができるからである。
③ 契約の裏付け(3~4、6節)
困難な進軍を可能とさせる根拠は何か。
それは、神がアブラハムと交わした契約が土台である。
その領土はすでに戦う前から神から与えられているのである(完了形)。
④ 約束成就の条件(7~8節)
「わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行え」
これが約束の地を領有し、繁栄するための条件であるという。
すると、アブラハム契約は無条件契約であったが、どうやって調和させるのか。
その契約により、その領域の土地はすでにアブラハムの子孫に渡されている。
つまり所有権の譲渡である。
それに対して居住権は異なる。
与えられている土地に実際に住んで、
神からの祝福を味わうためには
律法に忠実に生きねばならないという条件が付随するのである。
これは今日の私たちにどのように適用できるであろうか。
私たちも信仰により永遠の救いを神から与えられた。
「天にあるすべての霊的祝福を持って私たちを祝福してくださった」
(エペソ1:3)
これも完了形である。
よって永遠のいのちは約束されている。
しかし、そのいのちを現在楽しみ、その祝福を実際に経験するには、
同様に「律法」に忠実でなければならない。
では新約時代において「律法」とは何か?
当時のそれは神の啓示全体を意味した。
ゆえに現在においては、新約である。
つまり石の板でなく心の板に刻まれた律法であり
、肉でなく、心に施された割礼である。
それは聖霊の導きにしたがって歩むことに他ならない。
そのために聖書を「昼も夜も口ずさむ」ことは大切であろう。
⑤ 完成の保証(5節、9節)
主がともに私たちといてくださる、
見捨てることも、見放すこともない故に、
私たちの使命や信仰が完成されると保証されている。
主がヨシュアに約束されたみ言葉に注目。
「あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」
このみ言葉は他の4箇所に見出されるものである。
1) 申命記31:6 :モーセが主の言葉として民に伝えた
2) 1列王記8:57 :ソロモンが神殿奉献の際、民を祝福した言葉
3) 1歴代誌28:20:ダビデが神殿建築をソロモンに委任した際に
4) ヘブル書13:5 :全ての信者に対する神の言葉
私たちも新しい年、
主の同行の約束を確信し、
聖霊様の教えに従い、
主が与えてくださる新しい使命の道に進発しよう。