イスラエルとキリスト教会❶〜その問題提起
「イスラエル」と「キリスト教会」についてこれからしばらくの間話を進めて見たい。
と言うのも
プロテスタント教会の中の多くの部分、
特にカルビン派の学者達は
両者が同一であり、
新約聖書時代以降は
「イスラエル」が「教会」に取って代わり
これらは相互変換できるものであると論じているからです。
これを「置換神学」と言います。
明治後に西洋のキリスト教会を通じて日本にキリスト教が浸透して来た経緯から、
日本のキリスト教会は、この神学の影響を強く引きずって来ました
果たして聖書はそのように教えているでしょうか?
契約神学の立場の3大神学校では
「教会が新しいイスラエルになった」と教えており
その聖書的根拠として、どの神学校でも
ガラテヤ6:16、ローマ9:6-8を取り上げている。
「どうか、この基準に従って進む人々、
すなわち神のイスラエルの上に、
平安とあわれみがありますように。」
(ガラテヤ 6:16)
「6 しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。
なぜなら、イスラエルから出る者がみな、
イスラエルなのではなく、
7 アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、
「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」のだからです。
8 すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、
約束の子どもが子孫とみなされるのです。」
(ローマ 9:6-8)
そこから
「教会が霊的なイスラエルになった」
「異邦人信者は霊的なイスラエル人である」
という結論に至ろうとしている。
しかし聖書を比喩的に解釈せず
書かれた通りに、字義通りに解釈するなら
両者は明確に区別されていることが分かる。
そこでイスラエルと教会が
明確に区別されて存在するそれぞれの統一体であることを
今後6つの聖書箇所から論証して行きたい。
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