モーセ律法の無効性のまとめ❷
以上モーセ律法の無効性を論じてきたわけだが、
これに対する反論として引用されるのが、
次の聖句である。
「17 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。
廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
18 まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、
律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。
全部が成就されます。 (マタイ 5:17-18) 」
この聖句を引用しモーセ律法は今も効力を持ち続けていると主張している人の中で、
その主張の内容を一貫して自分に適用している人を私は見たことがない。
誰一人として自分が主張していることを実行していないのだ。
いや、現代ではモーセ律法が廃止されていると考えなければ
日常生活を送ることすら出来ない。
祭司やその衣服、いけにえに関する規定がその一例である。
その辺りの矛盾を、次にように苦し紛れに説明しようとの試みがなされてきた。
・その部分は新しい律法が取って代わったんだ
・もっと大きな文脈で実現している
・その真実の意味を汲み出す必要がある
しかし、今日では613の戒めを文字通りに適用することは
不可能だという点だけははっきりしている。
さらに19節には次のように書かれてある。
「だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、
これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、
天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。
しかし、それを守り、また守るように教える者は、
天の御国で、偉大な者と呼ばれます。 (マタイ 5:19) 」
モーセ律法の全てでなくとも、
道徳法だけは有効であると多くの人は言う。
だがここでは、
「戒めのうち最も小さいもの」でも破ってはいけないと言われており、
道徳法のみならず、613の全ての戒めを守ることに強調点がある。
つまり、全てが無効が、全てが有効であるのかの二者択一しかないことになる。
All or Nothing である。
この5:17-19は、主イエスが地上で生きている時に言われた言葉であり、
主は生きている限り、モーセ律法にことごとく従われた。
ただしそれはモーセが教えた通りのことであり、
パリサイ人の解釈通りということではない。
主はモーセ律法を成就するために来られた。
それは主の誕生や地上生涯をもってではなく、
十字架という死をもって成就したのである。
その時、同時に律法は廃棄されたのである。
マタイのこれらのお言葉は、
モーセ律法の永遠の不滅性を教えているものではなく、
主の来臨の目的を教えているのである。
人類史上初めてモーセ律法の100%をことごとく守り、
それを成就した方が、
死をもってそれを無効としたのである。
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ