「結婚関係について」
マタイ19章1~ 12節
~マタイ福音書連続講解説教50~
聖書本文とメッセージ・ノートはこちらから:
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さて、主と弟子一行は、
「ヨルダンの向こうにあるユダヤ地方に行かれた」
とありますが、
そこはヨルダン川の東側の川に沿った南北に長い地域で、
ペレヤと呼ばれていました。
• ヘロデ・アンティパスの領土でした。
• ガリラヤ伝道を終えられ、
エルサレムへのゴールの途上にあっての出来事です。
• 約6ヶ月前後をペレヤで過ごされています。
• マタイ19~20章がペレヤ伝道の記事。
• へロデ・アンティパスの離婚問題を取り上げたバプテスマのヨハネは
ここで捕縛されて、斬首されました。
ここでは先ず、その地域性ゆえにパリサイ人等の質問から始まっています。
パリサイ人たちがみもとにやって来て、
イエスを試みて、こう言った。
「何か理由があれば、妻を離別することは律法にかなっているでしょうか。」
(マタイ 19:3 )
❶今日の離婚問題と聖書
米国でおおよそ50%
日本ではおおよそ25%
これは離婚率の数値である。
それは年々上昇しているのに加えて、
さらに今日的な切実な問題は他にもある。
結婚するカップル自体が減少していること、
晩婚化、
米国で広がる同性婚の合法化などである。
この錯綜し、かつ倒錯した21世紀社会は
紀元1世紀の主イエスの社会とは大きく異なる。
そこでは、
・ 結婚は双方の親同士がアレンジしたものであった
・ 故に独身は稀に見るケースであった
・ 女性で13歳前後、男性で16歳前後が平均の結婚年齢であった
・ 女性の権利はないに等しいものであり、
離婚は男性側の訴えしか許されていない
離縁された女性ややもめとなった女性は社会保障のない当時、
極貧を意味した。
それゆえ他の男性に身を寄せる(再婚)他、
生活の糧を得る手段がなかった。
女性が仕事を得る機会は稀で、ほとんどなしと考えて良い。
これらの社会的背景を考慮した上での、
つまりは文脈に添った釈義をしない限り、
聖書を正しく解釈したことにならない。
「だれでも不貞のためでなくて、
その妻を離別し、
別の女を妻にする者は姦淫を犯すのです」(9節)
との主のお言葉を直接引用して、
不幸にして離婚に至った者を断罪することは短絡すぎる。
今日の離婚に至る経緯はそれぞれ千差万別で、
当時の世界にはあり得なかった状況であり、
主のお言葉は、その複雑さを前提として語られているものではない。
❷1世紀の離婚観
当時のユダヤ教パリサイ派にはの2大派閥があり、
離婚を合法化する「理由」を巡り大論争をしていた。
旧約聖書が示す離婚の条件とは以下に教えられている。
「人が妻をめとり夫となり、
妻に何か恥ずべき事を発見したため、
気に入らなくなり、離婚状を書いてその女の手に渡し、
彼女を家から去らせ…」 (申命記 24:1)
この「恥ずべき事」とは何か?を巡る論争である。
• ヒレル派は、広義に解釈。家事の出来具合も離婚に至る正当理由とした。
• シャマイ派は、狭義に解釈。不貞のみが離婚の正当理由とした。
主イエスのお答え(8~9)から、
主が離婚の正当理由となるのは不貞のみとするシャマイ派と同じ見解を持っておられるのが分かる。
それだけではない。
さらに、夫側の責任も問うている。
当時は夫だけに妻を離別する権利があったが、
その夫も他の女性を娶ったら姦淫罪が問われるというのだ。
これは当時の結婚観からして飛躍しており、
相当革新的に聞こえて、弟子たちを驚かせた。
弟子たちはイエスに言った。
「もし妻に対する夫の立場がそんなものなら、
結婚しないほうがましです。」 (マタイ 19:10)
❸主の教えは革新的でも独創的でもなく創世記からの本来のものである
時代が変わっても、変わらないものがる。
それは人の尊厳性であり、結婚の神聖さである。
これを教えるために、
そもそもどのようにして人が創られたかを主は確認された。
人間創造の際、
神にとって離婚は想定外であった。
「ふたりの者が一心同体」であり、
もはやふたりではなく、ひとりである、
とある。
そして、「人(その都合や勝手な理由で)は、
神が結び合わせたものを引き離してはなりません」とあり、
結婚の神聖さが教えられている。
人の意志だけに依らず、
神の神秘的な導きがあって結婚が成立したのに、
人のわがままな理由からその神意を踏みにじってはならないとするのである。
ヒレル派が離婚理由として挙げている家事の出来具合等で妻を去らせることは、
女性の人権侵害につながるであろう。
最初の女性はアダムの肋骨から造られたゆえに、
アダムをして
「私の骨からの骨、肉からの肉」
と言わさしめ、
二人の一体性、
かつ、それぞれの独自性と尊厳とが描写・保持されている。
結婚・離婚問題は創世記から、
以下のような基本を確認できる。
①創造主なる神を認めること
②男性・女性のそれぞれの神聖な尊厳性、
③そこから派生する権利を尊重すること
言い換えるなら、創世記なくして、
人の尊厳も、結婚の神聖さも守ることはありえない。
偶然の繰り返しで人間が下等動物から進化したと教える妄想には
希望も未来もない。
結婚とは、
キリストと教会の一体化のひな形となっている(エペソ5:32)程に、
神意に基づく神秘であることを知るのである。
「それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。」
この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。
それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。
妻もまた自分の夫を敬いなさい。
(エペソ 5:31-33)
主は斬新的な結婚観を示したのでも、
新しい宗教をキリスト教として創始されたのでもない。
すでに存在している本来の聖書的ユダヤ教の系譜に連なる神&人であられる。
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