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現在のキリスト教世界とはどんなものでしょう(2)

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ホサナキリスト教会・聖書広場からの引用です。


「奥義としての王国―その④{2回目}:御国の変遷」
マタイ13章44~51節
~マタイ福音書連続講解説教34~
{メッセージの抜粋}


 13章に記された後半の4つのたとえから、
「奥義としての御国時代」(13:11)の特徴を学びましょう。

それは現在のキリスト教世界を理解する上で役立ちます。
前回に引き続いて、たとえの解説です。


Ⅰ 畑に隠された宝 (44)

「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。
人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、
持ち物を全部売り払ってその畑を買います。 (マタイ 13:44)

「宝」とは、OTでたとえとして使われる場合、
イスラエルを指します(出エジプト19:5、詩篇135:4)。

「畑に隠された宝」とは、信仰のユダヤ人(レムナント=メシアニック・ジュー)

「その宝を発見した人」とは誰か?
たいていの場合、それはキリストのうちに宝を見出した信者で、
それゆえに全てを犠牲にしてまで神の国のためにささげよ、
との適応が教えられているようです。

ところが、「宝」が聖書文脈からイスラエルになるのなら、
その適応は変ります。

「大喜びで、持ち物を全部売り払ってその畑を買う」人とは、
宝のために自発的に全てを犠牲にする人のことで、
それはメシアなるイエスの十字架での犠牲を表します。


Ⅱ 海にある真珠 45~46

「また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。
すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、
行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。
(マタイ13:45-47)

「海」とはここには現れません。
しかし、真珠が採取される場所として検討されねばならない理由があります。

先述のたとえとの並行性です。

「海」とは、聖書の黙示文学にて異邦人世界の象徴として使われています。
ダニエル7:2~3

「真珠」とは何か
これはOTには出現ませんので、直近のたとえの用法から類推するほかありません。

海(異邦人世界)から捕れる価値高いものとは、異邦人クリスチャンです。

「持ち物を全部売り払ってその畑を買う」
~その犠牲を払った商人とは主イエスであるに他なりません。

主が命をささげられた対象は、メシアニックジューばかりでなく異邦人信者でもあります。


Ⅲ 地引網  47~50

「また、天の御国は、
海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。
網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、
良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。
この世の終わりにもそのようになります。
御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、
火の燃える炉に投げ込みます。
彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。 (マタイ 13:47-50)

1. 世の終わりの様子=奥義の御国時代の終焉を教えるものです。

「あらゆる種類の魚」が網にかかるまで終わりは来ないのです。

「 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、
すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」
(マタイ24:14)と教えられています。

毒麦のたとえと酷似してます。

「良いものは器に入れる」=信者は千年王国へ入る
「悪いものは捨てる」=火の燃える炉に投げ込まれる(50)のが不信者です

2. 羊と山羊の選別のたとえと同じ終末の様子を教えるもの(マタイ25:31~46)。

この箇所は、「弱い者に善行をするのは、神への奉仕」であるとする
「靴屋のマルチン」神学を教えているところではありません。

もしそうなら、聖書は良い行いが救いを得ると教えていることになります。

艱難時代に苦難を通過する神の民、ユダヤ人を助けるかどうかは、
信仰のある・なしで決定されることが前提となっています。

「羊」~信仰ゆえに迫害下にあるユダヤ人に良いことをする信者のことです。

「山羊」~迫害下にあるユダヤ人をさらに苦しめる不信者のことです。


Ⅳ 倉から物を取り出す一家の主人  51~52

 「あなたがたは、これらのことがみなわかりましたか。」
彼らは「はい」とイエスに言った。
そこで、イエスは言われた。
「だから、天の御国の弟子となった学者はみな、
自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」
(マタイ13:51-53)

1. 主イエスの問い「これらのことがみな分かりましたか」

奥義の王国時代の特徴を理解したか、と弟子たちに尋ねます。

先の神政政治時代にも、後のメシア的王国にもないものなのです。
「ハイ」と答える弟子たち

2. 奥義の王国時代の学者とは、取り出し自由の倉を持つ一家の主人です。

「新しい物」~その王国時代になってから啓示されたもの。
たとえば、教会とイスラエルの関係、それらが一体となることなどは、
NTになってはじめて啓示された奥義であり、新しい教えです。

「古い物」~御国に入る条件、すなわち神の約束に与る条件はいつの世でも変わりません。

イスラエルと異邦人の区別もありません。
信仰と恵みによる救いを聖書は一貫して啓示していて、それは古い真理です。


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