主イエスには誰にも知られていないもう一つの名前があるのです
10月
10日
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ヘブル1章4節 「御使いよりも優れた名前」
ヘブル書は大変簡潔に二つに分解できます。
① 前半が御子の優越性について 1章4節~10章18節
② 後半が信者が御子にある生き方の適用 10章19節~13章終わりまで
御子が優越していることをユダヤ信者に示すにあたり、ユダヤ人が最も誇りとしているものと比較しています。当時、信者となったユダヤ人は常に以前のユダヤ教に惹かれ、元のユダヤ共同体に属してアイデンティティ危機を回避したい誘惑にありました。そこで異邦人と比べてユダヤ教が優れていると彼らが誇り、認めている3大支柱を持ち出して、そのおのおのがイエスと比較されたとき、イエスはそのそれぞれにおいてもさらに優れているのだと論証するのは的を得たことでした。
そういうわけで本書のほとんどのページは、御子がユダヤ教と比較されるために費やされています。
① 御子は御使いたちに勝る 1章4節~2章18節
② 御子はモーセに勝る 3章1節~4章13節
③ 御子はアロン系祭司制度に勝る 4章14節~10章18節
ユダヤ人にとって御使いは大きな地位を占めていました。
大切な律法も御使いの手を通じてモーセに与えられています。
しかし、御子は御使いたちに勝る方です。
先回この書全体のイントロダクションとして1章1節~3節を考察しました。
4節からいよいよ本論に入ります。
「御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。」 (ヘブル 1:4 )
“having become as much superior to angels as the name he has obtained is more excellent than theirs. “(Heb 1:4 RSV)
ここで「なられました」”having become” とあるところはあるカルト団体により「造られた」”being made”と訳され、教えられています。残念ながら英語のKJV訳もそのように訳してしまっています。ギリシア原語では明らかに”having become”、 “to be”と訳されるべきものです。
御子なる神がナザレのイエスとして人となったとき(”having become”)、つまり受肉されたとき、ある意味において御使いよりも低いものとなりました(ヘブル2:9)。
にもかかわらず、御子が復活され、昇天されて天の御座に帰られたとき再び御使いたちに勝る地位につかれたのです。そのときは人間性を保持されながらも、御使いより優越された位まで挙げられたのです。
そしてその瞬間、「御子は御使いたちよりもさらに優れた御名を相続され」ました。
その名前とはいったいなんでしょうか?
マリヤから肉体を取って誕生されたとき、御子は御使いによって「イエス」と命名されました(マタイ1:21)。御子が十字架で死なれて復活し天に帰られたとき、その従順によって父なる神はさらにもう一つの名を用意されておられました(黙示録19:12)。
「その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。 (黙示録19:12 )」
その名が何であるかは御子以外には誰にも明らかにされていません。私たちが天国に行ったとき、もしかしたら教えられるかもしれませんが、聖書はその点は沈黙しています。
その名はすべてのものに勝る名であるとされています(ピリピ2:9)。
また、預言者ゼカリヤが見た幻に出てくる石(これはメシア)にある言葉が刻まれていますが、これがそのメシアの秘められた名であろうと考えられています(ゼカリヤ3:9)。
天国においてその刻まれた名前を読むことが許されるとしたら、今からワクワクしませんか。
「ヘブル語で書いてあるのでしょ。どうせ私には読めません。」なんてあきらめる必要はありません。そのとき天国では私たちはヘブル語を自由に操ることができるでしょう。もちろん英語もです!!