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ぼくしのめがね

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福音が行くところに

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今日は、愛するりかさんの送別会... 今日は、愛するりかさんの送別会。日本に帰国されます。 娘さんもいらっしゃいました。い... 娘さんもいらっしゃいました。いい時でした。 最近、若い人たちも増えている日... 最近、若い人たちも増えている日本人教会です。 チーム男子。。。礼拝後の交わり... チーム男子。。。礼拝後の交わり。おいしいデザートとともに。
2018年10月14日日曜日礼拝の音声は、

マルコ14:3-9

イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。4 すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。5 この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。6 すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。7 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。8 この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。
9 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」


★ まさかの人Improbable person

神は、まさかこの人が神を一番喜ばしていないでしょう。という人を用いられる。新約聖書の中で、イエス様に褒められているのは、カナン人の女と百人隊長、そして、この女性。異邦人はとは交わりをしないという時代に、カナンの女の信仰をたいそう主は喜ばれ、ローマの百人隊長、彼も異邦人、また支配国の役人の信仰を、賞賛しました。この女性もそうでした。彼女は、七つの悪霊から解放された元売春婦だったという説もあります。また女性というのは、頭数にも数えられなく、教育もなく、宗教教育も受けられないという立場、しかも、過去のある女性、この女性のしたことを高く評価されたばかりでなく、福音が行くところにはこの女のことも話されるとまで言われました。あなたは、まさかの人ですか。それなら、喜んでください。あなたも、神様についていくことができます。用いられます!
福音が進むためには、まさかの人、あなたが必要なのです。

★ 高価な香油 Costly oil of spikenard

この女性は、大変高価な贈り物をイエス様にしました。給料の一年分もの贈り物をしたのです。贈り物は、関係性を表します。あなたの本気度が現れます。エリックがくれたプレゼントを見て、キャリーが、あの人、本気だよ。って言ったことを思い出します。彼女が、どれだけイエス様を重要だと思っていたかが分かります。
あなたは、イエス様を愛していますか。あなたの捧げものにその心が現れます。

注意) 心です。他の聖書の箇所で、イエス様は、二円くらいの価値のものを捧げた女性を誰よりも多く捧げたと賞賛されました。
彼女は、多くイエス様に愛されたから、多く愛した。多く赦されたから多く愛するようになった。
福音の前進にはこれがつきものです。自分がされたように私たちはするのです。自分が受けた経験がないならば、人にすることが難しいのです。

★ つぼを割ったbroke the flask

彼女の心は、定まっていた。はじめから、全てを捧げるつもりだった。自分の持てるものの一部だけとか、半分だけ、ではなく、全てを捧げたのです。これが大切。
高価な贈り物の話しをしましたが、額が大きければいいというものではない。心を尽くして、力を尽くして、知性を尽くしてとあるように、尽くすのです。
福音のためには、心を定めて、全てを捧げるのです。全てです。

★ この世と天国の価値観 Value of Heaven

弟子たちは、なんともったいないことをするのだ。と怒りました。人のすること贈り物にケチをつけるなんて。。。彼らは、この世のマインドセットに凝り固まっていたのです。
この世の中は、物を買ったり売ったりすることで成り立っています。神の国はどうかと言うと、与えることと、受け取ることでなりたっています。Buying & Selling vs Giving & Receiving

福音が進むためには、売り買いの概念から解放されて、受けたり与えたりすることでものごとが成り立つことを知らなければならないのです。


#礼拝 #福音

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逆説の中に神の恵みGod’s grace in paradox

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シアトル。曇りも雨も晴れも美し... シアトル。曇りも雨も晴れも美しい町です。
2018年10月7日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


2コリント2 Corinthians 12:6-10
6たとい私が誇りたいと思ったとしても、愚か者にはなりません。真実のことを話すのだからです。しかし、誇ることは控えましょう。私について見ること、私から聞くこと以上に、人が私を過大に評価するといけないからです。7また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。8 このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

★ 神は苦しみの神 Suffering God

今週のバイブルスタディはマルコ12章のブドウ園で主人のしもべたちが農夫に殺され、ついに息子まで殺されましたという箇所を読みました。どうして、ここまで神様は苦しみながら待ったのか。という疑問が出ました。ブドウ園はイスラエルをさし、またブドウ園はぶどう酒を作るためにあります。ぶどう酒は喜び、を表します。神は、喜びの収穫を留めることをされたくなく、少しでも多くの喜びを得るために苦しみの時間を延ばされたのです。
苦しみと喜びは紙一重なのです。
私たちの神は逆説的なメッセージを私たちに下さり、また私たちに逆説的な状況下に置かれます。
イエス様も、黄泉にまで下ってくださったからこそ、高く高く上げられ、イエス様の名に勝ものはない。
貧しいものは幸いと言われた。持っているものは持たないものよりさらに与えられ。
死んでも生きるのです。パウロも、朽ちる物、朽ちないもの。私にとっては生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。弱い時にこそ強い。

◎ 今日は、この逆説に力があることを覚えていただきたく思います。

★ パウロの誇り Paul’s boast?

さて、Ⅱコリントの話しに戻りましょう。パウロのクリスチャン人生は逆説の中から始まりました。彼は、もともとクリスチャンを迫害している人でしたが、イエス様に出会って劇的に変わるのです。クリスチャンを殺す立場だったが、人々をクリスチャンにする人になったのです。それからの人生は逆説ばかり。そんな彼だからこそ、何を誇るかよく知っていたのです。
誇ることで言えば、彼にはいくらでも誇るべきことがありました。しかも、言うならば、彼はパラダイスに行くという経験までしました。その啓示について経験について、周りが彼を誇らせるようにしたようです。周りが過大評価するといいます。

◎ 人というのは、自分から高慢にならなくても、周りが過大評価をして高慢になるように仕向けられることがある。パウロは真実だけを語るというが、ありのままの真実、神様に与えらている分ということを忘れてはいけなす。

◎ 誇る--- to glory 人々は、あなたのすばらしさを持ち上げて、あなたの栄光を礼拝するようになる。あなたはいつの間にか誇るようになる。これが怖い。あなたは、ワーシップリードでもなんでも他の奉仕でも人があなたによってもたらす栄光をあがめるようになったら、これは危険です。

★ パウロの逆説的生き方を説明している 
Paradoxical life style in athorn in my flesh肉体のとげの話し

パウロは、高慢にならないように、神様に与えられたサタンの使者肉体的なとげが与えられたという。病気など、サタンの使者とも旧約から文化的に理解されている。それは、私たちの益にもなるという考えがある。

◎ とげ --- いろいろな説がある、目の病気か、肉体の誘惑か、てんかんか、霊的誘惑か、また、外見的な容姿だという説もある。とにかく、これが無ければ、スムーズに奉仕ができるのに。いつも煩わされている問題を彼は体の中に抱えていたのです。

◎ そして、三度神にお祈りしてお願いしたと言いいます。とげがなかなか取り去られない葛藤。主への奉仕の栄光、このとげの逆説の中で日々葛藤したのです。

◎ 彼は、人のために癒しを祈ったり、いろいろな奇跡を体験し、瀕死の状態を幾度と経験しても死なないでいるのに、これだけはなくならないのです。どうして。ともどかしくなったことでしょう。

◎ 皆さん方も、そんな逆説の中にいませんか。

◎ 逆説から逃げることもできます。私の知り合いで絶対皿洗いをしない人がしました。自分は、そのような賜物ではない。と。私にとっては、皿洗いは、ハウスチョアであって、霊的なこと関係ない。みんなで仕事を手伝ってすれば早く終わるのに。と思いました。しかし、その人が神学校に言ったら、みなと同じよう皿洗いをさせられ、すっかり人に尊敬されるようになりました。小さいことですが、逆説の中を通ることを選んだからです。パウロが、とげがなくならないから、ミニストリーやめます。という苦しみのない世界を選んだら、きっと信じる人は減っていたでしょう。神のブドウ園に喜びの実は少なくなっていたことです。

◎ 苦しみと喜びは紙一重 Suffering and joy at only a fine line

9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。But he said to me, “My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness.” Therefore, I will boast all the more gladly about my weaknesses, so that Christ’s power may rest on me.
人の弱さは、聖なる力なのです。すなわち、あまり神の力が働くのに、あなたの有能無能、持てる持ってない、あるいは、あなた自身の栄光は全く関係ないのです。弘法筆を選ばす。ということわざがありますが、神が働かれるには、弱さのあるあなたが必要なのです。弱いからいいのです。私たちは、弱いところにこそ、神の力を招き入れるからです。

誇る- to glory

★私の証し: 何週間か前に、私の学校の創設者と個人的に時間をとって話していただくことがありました。彼は、まるで私のことをなんでも分かっているかのようでした。私のことをたくさん励ましてくれました。そんな中で一つ心に残った言葉がありました。彼は、私のことを「勇敢な女性だ」と褒めました。私は、「ありがとう、でもいつもそうではないし、実は、誰よりも弱虫です」と言いました。実際、私は、大学院二年目で試練にあって、自分の弱さと能力の無さに嫌気がさしていたのです。そこで彼は言いました。「弱いから勇敢なんだよ。逆説にこそ力があるんだ。弱虫でない人の勇敢さなんて、無謀なだけだ。君は、逆説を乗り越えて勇敢なんだ。それが力なんだ。」と。私は、その言葉に勇気づけられまた。またやってみよう。神さまに与えられた夢を続けて追いかけてみようと思えました。

◎ 皆さん、考えてみてください。人生の中には、逆風もあります。困難もあります。信じやすい時もある、信じられない時もある、自分の身体が弱ることもある、能力がなくなる時もある、神様に対してわがままになる時もある。反抗期の時もあるでしょう。ただ怠けたいときも。全てが前向きで肯定的であることの方がないのではないでしょうか。

今日の逆説の中で、神様をそれでも選びませんか。あなたのとげ、弱さの中に、神様の力を招き入れて、それでも、神様に仕えてみませんか。きっと大きな喜びを経験できることでしょう。

#弱さ #礼拝

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