永遠への想いによって生きる
7月
16日
今週は、金曜日にしかも同じ日に、カイト君たちのお父さんと、また、私たちのキリストにある兄弟、ケニーさんが天に召されまた。どちらも急で、特にケニーさんは水曜日にも一緒にアートを楽しんでいたばかりなので、ショックで、金曜日は体調が悪くなり早退したほどでした。
そして、人生について、命についていろいろと考えさせられました。本来準備していたことは違うのですが、今日は人生についてお話ししたいと思います。
伝道者の書Ecclesiastes3:1-11
1 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。3 殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。4 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。5 石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。6 捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。7 引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。9 働く者は労苦して何の益を得よう。10 私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
★神の手にある時 When you are in God’s hand
「天の下には何事にも定まった時がある。」これは、伝道者の書一章にある,空の空、日の下ではの、日の下とは意味が違います。天の下とは、明らかに、神の御支配の下という意味であります。神の御支配にあるのですから、全てに神の詳細なご配慮と意図が込められているというのです。
この箇所を読む時に、私の心はすこし慰められた気がしました。若くして命を亡くした二人には、どんなに体が苦しかったろうと思うのです。カイト君たちのお父さんは入院していたし、ケニーさんも水曜日は休もうかと思ってたけど来たと言っていたから、身体がしんどかったのでしょう。それを思うと辛かったのです。胸が痛くなった時怖かったろうとか。。。思うと。
しかし、神の手にある、神の支配の下には全ての時に意味があるのです。
★人は楽しみと喜びのために生きているLiving for happiness and Joy?
続けて、その後にこのように書かれてあります。
V12-13 私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。13 また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。I know that there is nothing better for people than to be happy and to do good while they live. 13 That each of them may eat and drink, and find satisfaction in all their toil—this is the gift of God.
栄華を極め、贅沢なものはいくらでも手に入る、全てをやりつくしたソロモンがこう語ります。人は、喜びと楽しみを見出すことしか良いことがない。そして、苦労の中に幸せを見出すことが神からの贈り物であると。
今、The book of Joy – Dalai Lama and Desmond Tutu の本を読んでいます。二人の霊界の巨匠ですが、彼らは幸せとか喜びは、それ自体が目的でない。それを目的にしている人は多いけど、そうじゃない。It said “Happiness is not a goal; it is a by-product . ” 喜びや楽しみは副産物だと言います。
生きている限り、痛みは避けられないが、苦しみからは解放されえる。とダライ・ラマは言う。
★あなたの人生の目的は?What is your purpose?
ローマRomans 8:28
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。And we know that in all things God works for the good of those who love him, who have been called according to his purpose.
私達は自分で選んだ目的もあるでしょうが、神にあってそれを求めている中で、神に与えられた一つのメッセージを見出すものです。
ケニーさんは、人の役にたつことなら、と、よく進んで自分のできること、得意なことを通して人を助けました。ケニーさんには、能力がすごくありましたが、お金に執着がありませんでした。それよりも、神様を探求することに興味があって、ホライズンカレッジが終わっても、まだマスターをやりました。勧められた本は、すぐ買って読みました。
ケニーさんがいつも、日本人教会でシェアしたメッセージは、父なる神の愛、無条件の愛、憐れみと恵みでした。それは、自分の生い立ちでは経験しなかったものですが、それだからこそ、それを探求し、いつもそこに興味を持ち、それを人に伝えました。
そして、今、まさに、追い求めてきた、優しい父の腕の中に帰りました。
なんという喜びを今感じているでしょうか。
★天国では隠されているものがなく神と顔を合わせるThere are no more hidden mystery in Heaven
黙示録Revelations 21:3-4
そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」And I heard a loud voice from the throne saying, “Look! God’s dwelling place is now among the people, and he will dwell with them. They will be his people, and God himself will be with them and be their God. 4 ‘He will wipe every tear from their eyes. There will be no more death’[b] or mourning or crying or pain, for the old order of things has passed away.”
天国では、地上で煩っていたことがなんでもなくなるそうです。第一、そんな苦しみを全て理解してくれるイエス様自らが涙を拭いてくれるのです。もはや、天国では、敵対心もなく、苦い思いもなく、恨みつらみも、苦しみもなく、痛みもない、病気もないのです。地上の過ぎ去ったことは、本当に過ぎ去ったこととなるのです。また、今までぼんやりして見えたものがはっきりと見え、神のミステリーについて理解ができるのです。ハレルヤ。
★イエス様に見る時を超えて生きる生き方Like Jesus, live beyond “time”
伝道者のテーマは、人生における価値の探求 / 不死の確かな希望がなければ地上の生活はむなしい、であり、伝道者の書を読み解く鍵は、「永遠」です。
◎「喜び」と永遠との関連性 Relation between Joy and Eternity
ヘブルHebrews 12:2
イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。looking to Jesus, the founder and perfecter of our faith, who for the joy that was set before him endured the cross, despising the shame, and is seated at the right hand of the throne of God.
この御言葉が何を語っているでしょうか。
①永遠が存在する。…地上の命が全てではない。十字架の死の向こうの世界がある。ということ。
②喜びという報酬がある。… イエス様の報酬は、喜びでした。地位でも、名声でも富でも、幸せでもなかった。人間が一生懸命得ようとするような報酬ではなかった。
★まとめSummary
刹那的な生き方ではなく、永遠なる方を求め続ける生き方、永遠なる方、時を治めている方と繋がって生きる生き方をしましょう。
今の苦しみは、悪いことではない。もがきや葛藤も、神の目的の中を歩む時に、副産物として喜びや幸せがついてくるのです。
神のうちにあゆみましょう。
投稿日 2020-07-23 23:44
ワオ!と言っているユーザー