土曜日は、教会のファミリークリスマスでした。皆さん、楽しくわきあいあい。ゲームやクッキー飾りを楽しみました。
教会員有志による、特別賛美
2017年12月17日日曜日礼拝メッセージ音声は、
VIDEO
クリスマスのお話し https://www.youtube.com/watch?v=JyVXIvdTF20
クリスマスのお話しをご存じない方は、こちらをご参照ください。
クリスマスのために、イエス様のお誕生のために用いられた人たちは誰でしょう。マリヤ、ヨセフ、羊飼い、エリザベツなどなど、いろいろといますが、皆さん共通の特徴があります。それは、神様を受け入れる態度です。マリヤのお話しを見てみましょう。
ルカ一章26-38
ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。28 御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。37 神にとって不可能なことは一つもありません。」38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
★ 神の道と人の道は違う God’s ways are not human’s ways.
待ちに待った救い主の訪れは、こっそり、ある人たちに伝えられました。しかも、有名な人でもなく、権力を持つ人でもなく、普通の人たちのところに来ました。王様や、宗教学者のところに行ったらいっぺんで広まるけれど、神様のやり方は違ったのです。
人は、外見を見るけれども、神様は心を見られるとⅠサムエルにもある通りです。皆さん、よく覚えておきましょう。神の道と私たちの道は違うのです。
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。 ・・主の御告げ。・・ 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」 旧約聖書 イザヤ書55章8~9節
“For My thoughts are not your thoughts, Nor are your ways My ways,” says the Lord. 9 “For as the heavens are higher than the earth, So are My ways higher than your ways, And My thoughts than your thoughts.
★恐れるな Do not be afraid.
けれども、その神様の良い知らせのために選ばれた普通の人たちは、戸惑いました。
神に選ばれた者たちに、等しく天使が言った言葉がある。それは、「恐れるな」です。
天使が言っていることは、信じがたいことであった。それは、自分の人生を大いに揺るがすことであったし、自分の力ではどうしても何も解決できるような種類のものでもなかった。
しかし、神は、「恐れるな」と天使に言わせた。
恐れの反対は? そう、信仰ですよね。恐れと信仰の間に距離がありました。それは、信仰をとれば、自分の人生を大きく変えるからです。
マリヤは、シングルマザーにならなければならなかったかもしれませんし、また、人に見つかれば、石打ちの刑で死んでいたかも知れません。信仰には、代価が伴うのです。
しかし、天使は、念押しの言葉を言っていますね。「神には、不可能なことはない。」と。
信仰には、自分の側のコスト、代価と、神の後押しの力が必要です。神には不可能なことはないと信じることが、信仰の本質であり、神はその信仰には必ず報いて下さいます。
★信仰はリスクを伴う Faith requires risk
〇アブラハムのお話Abraham’s case。。。。賜物セミナーでも出てきたお話しですね。
アブラハムは、やっと与えられた一人子を神にささげるように言われ、朝早く、その子イサクを連れて山に登りました。アブラハムはすでに神様と深い信頼関係がありました。二つ返事でした。あなたなら、どうしたでしょうか。大切な一人子を神にささげることができるでしょうか。子供を手放したり、誰かにあげたりすることなど、考えられるでしょうか。まして、この場合は、ほふって捧げるという意味だったのです。アブラハムは、神にはどんなことでもできる、ここだけは、分かっていました。神の約束、イサクから出てくる祝福の約束だって堅く信じていたのです。アブラハムは、自己の葛藤よりも、神の言葉を選びました。
神に言われたことをそのまま、受け入れることは、神を受け入れることでもある。
神をそのままで受け入れたのです。
彼が、子供を殺そうと手をかけようとした瞬間に、神がもうよい、分かった。と声をかけました。
そこには、捧げるのに完璧な動物が神によって備えらていました。神は、私たちの心を見ていらっしゃる。私たちが本来捧げるべきコストさえ、いけにえさえ、贖われるのです。
マリアも、ヨセフもその局面に立ちました。そして、神を取りました。
信仰を取るというときには、必ずしも、やさしいことばかりではありません、難しいことだってあります。しかし、いつも神は、喜んで神を心にお迎えする人の見方であります。
神は、子供のように素直な心で神を迎える人を探していらっしゃいます。あなたも、選ばれている者です。あなたは、神とともに生きる人生を恐れますか。それとも、何があっても、なんでもおできになる神を信頼しますか。神の言葉を受けとりますか。
★神の言葉を受け入れる姿勢 The posture that accept God’s word
「お言葉どおりに、この身になりますように」38 Then Mary said, “Behold the maidservant of the Lord! Let it be to me according to your word.” And the angel departed from her.とマリヤのように受け取りますか。
神は、子供のように、素直に、神をお迎えるする人を探しています。
★ぼくのところに来てください Please come to my place, Jesus!
次のお話は、私が若い時に、クリスチャン新聞か何かに乗っていて、ひどく感動したお話しです。クリスマスのお話しです。教会の降誕劇で、障害をもつ男の子が宿屋の役をもらいました。何度も練習して、セリフを覚えました。「すみませんねー、うちもいっぱんなんですよー。よそに行ってください。」本番が来ました。
イエス様がどんどん断られる。。。
最後の宿屋さん、断る、そして、馬小屋に。。が普通のお話だけど、。。。「いやーうちにもないのです。。。他に行ってください」と、マリアとヨセフが通り過ぎようとしたとき。。。
「イエス様、行かないで、ぼくのお家に泊まってください。」と泣き出した。
劇は、台無しになったどころか、みんなが神様を心にむかえる温かいクリスマスになりました。
〇選ばれたものとなるには、神を受け入れなければなれません。
イエス様は、王だけど、お生まれになる日に泊まるところがなかった。けれども、あなたを選んで、心に住み、あなたと一緒に神様の働きをしようと思っています。「ぼくのところに来てください。」の心で、神様の選びを受け取りませんか。
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