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罪のないものが…He who is without sin…

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二週間ほど、東京家政大学のみな... 二週間ほど、東京家政大学のみなさんがSeattle Pacific University での授業の通訳をしました。みなさん、時差ぼけを乗り越えて、よく学ばれました。新しい出会いは、いいですね。 土曜日は、教会のエレンちゃんの... 土曜日は、教会のエレンちゃんの結婚式でした。いつも、お父さんが花嫁を連れて入ってくる瞬間に泣きそうになります。。。私たちも、整えられてキリストの花嫁として、花婿イエス様のところに行く時に、どんなに感動することか。。。なんてことを考えていました。美しい光景です。。 日曜日は、かわいいちゃんたちの... 日曜日は、かわいいちゃんたちのママのお誕生日をお祝いしました。ケーキは、エリックがオーダーして、さすが、美味しかったです。今年も子育てが守られて、たくさんの笑顔と祝福で満たされますように。忙しいママさんだけど、神様からたくさん休みもいただけますように。。。。。。いつもえらいよーー
2016年3月13日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/y_HIkBA4bD8

ヨハネ8:1-11
1イエスはオリーブ山に行かれた。 2 そして、朝早く、イエスはもう一度宮にはいられた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。 3すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて来て、真中に置いてから、 4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。 5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」 6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。 7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」 8 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。 9 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。 10 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」 11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」]

朝早く、イエス様は、宮で教えていました。すると、そこへ、ばたばたと男たちが騒ぎながら入ってきます。なんと、姦淫の現場で捕まえた女を裁いてくれとやってきたのです。

★当時の姦淫の罪の位置づけ

この女は現場で取り押さえられました。当時は、姦淫の罪は死刑でした。重罪であるために、証拠をはっきりさせないといけませんでした。けれども、相手の男性は、一緒につれてこられませんでした。おかしいですね。と言うことは、何者かによって仕組まれたこととも取れます。

★律法学者とパリサイ人たちの陰謀

 これは、律法学者とパリサイ人たちが、いつも罪人と仲良くし、人々を癒し、安息日に至るまで人を癒すミニストリーなどをして、当時の律法の考えから何か逸脱しているようにかんじるイエス様が、一体どのように対処するのか見たかったのです。そして、他の罪人たちのように赦したら、またイエス様を訴える材料となり、赦さなくても、今までのことをどうしてそうしたのかと責める材料になるので、イエス様を陥れようと考えたのです。

みなさん、詩篇一篇に、幸いなことよ。罪人の道に立たず、あざけるものの座につかなかったその人。とあります。Blessed is the man Who walks not in the counsel of the ungodly, Nor stands in the path of sinners, Nor sits in the seat of the scornful;

これは、とても大切な言葉です。この律法学者とパリサイ人たちは、自分をどこか高い椅子に座って人を裁くような態度をもっていました。彼らは、この女やイエス様をも裁いていました。

私たちは、このような精神に気をつけなければなりません。裁きは、死をもたらすものだからです。こないだyoutube でたまたまDr. Phil ショーを見ました。いやーな気持ちになりました。Dr. Phil や観衆も真ん中に座っている人たちを裁き、恥ずかしい気持ちにさせ、みんな物笑いの種にし、傍観しています。そして、見ている自分もだんだん、人を裁く気持ちになっていくのです。。。恐ろしい番組だー。。。と思いました。私たちは、初めは、傍観者でもだんだんと裁きの精神におかされていくのです。気をつけなければなりません。

自分の思いに気をつけましょう。  (天国の話)

★イエス様は地面に字をかかれた

イエス様は、というと、イエス様はそんな大騒ぎをしている男たちをよそに地面に何かを書かれ、彼らを相手にしませんでした。しばらく書いていたようですね。一体何を書いていたのでしょうか。この後の展開から、ある人は、人の罪のリストをかかれたとも、目の前で訴えている人たちの罪を書き出していたとも、恵みについて書いていたとも、推測されています。。聖書自体にも何も明確には記されてはいませんが。。。

 イエス様は、沈黙されました。

私たちは、物事に反応しやすいものです。しかし、反応をしないこと、沈黙が大きく私たちの益に働くことが多いのです。

★罪のないものが。。。 裁きの本質は、いのちを断つこと

7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」7 So when they continued asking Him, He raised Himself up and said to them, “He who is without sin among you, let him throw a stone at her first.”

とうとうイエス様が口を開きました。そして、また地面に字を書き続けました。イエス様の言葉の後。沈黙が続きました。

しかし、この沈黙の時間が男たちと、引き出された女に考えさせ、自分たちを省みる時間を与えたのでした。

★女に起こったこと

女は、この沈黙の間に、逃げ出そうと思えば逃げ出せたはずだった。しかし、彼女は、その場から逃げなかった。
自分のしたことの重大さに気づき、彼女の罪に対する真摯な態度が伺える。覚悟が出来ている。死んで罪の代価をはらわなければならなのなら、払うという心が決まっていたのだろう。

★罪の重大さに気づくこと

みなさん、この女性は、大変惨めな気持ちを味わいました、けれど、それと同時に大変貴重な体験をしました。それは、自分の罪の重さに気づくことです。自分の罪の重さに気づくことが出来たら、私たちの人生は、180度転換し変わることができ、そして神の前に行くならば、あなたは、神の100パーセントの恵みで力つけられ、新しく生きることで出来るのです。それが、実は、キリスト教の王道の生き方であり、スタートラインでもあるのです。

日本人には、共同体意識が強い故に、悪いことをしてはいけないという倫理観が強いですが、実際には宗教的な背景から、罪とは、何かわからない人が多いのです。赤信号みんなで渡れば怖くない。。。に現されているように、皆がしているならしても悪くないという意識が働きます。

例えば、私が初めて教会に行って、罪と聞いたとき、自分には関係ない話だと感じました。わたしにとっては、法律を犯していることが罪であり、一度もおまわりさんに捕まってないから、私は罪人ではないと思っていました。

聖書では、罪とは、ギリシャ語で、ハマルティアといい、的外れであることをさしています。何の的かと言いますと、神様の基準です。神様の心、基準に外れていることは罪なのです。日本国の法律ではなく、神様の法律にはずれると、罪人なのです。
赦さない心、裁き、ねたみ、憎しみ、自己憐憫、高慢、盗み、悪口、うそ、などなど、人殺しなど、刑法でも罪のものはやはり神様にも罪ですが。。。多くは、私たちが日常、私たちの心の内側や頭の中で繰り返し犯しているものが多いものです。
こう考えると、私たちにはみな罪の性質があり、罪に突き動かされて生きているように思いませんか? そして、私達人間に罪があるから、私たちの社会に問題があり、私たちの人生に問題が起こってきていることが理解できるでしょうか。

★ イエス様と向き合うことになった女 Face to face to Jesus

罪のないものが、初めに石を投げなさいと言われ、しばらくして、男たちは、一人また一人と去っていきました。私たちの中に罪の無い人間は一人もいないのです。ただ、イエス・キリストだけが人として、罪の無いお方でした。イエス様は、完全な人であり、完全な神であったのですから、罪のない完璧な人間として、私たちの罪を贖うための神へさげられた小羊となられたわけです。しみも傷もない小羊しか神にささげられないからです。

私たちは、聖書で言われているとおりに、「人間には一度死ぬことと、死後に裁きを受けることとが定められているように」(ヘブル9章27節)And as it is appointed for men to die once, but after this the judgment,

死後、聖い神様の前に一人立って、生前の行いを自分で弁明しなければならないのです。神様に裁かれ、そして、天国に行くか地獄に行くか定められるのです。
しかし、聖書はまたこのように言っています。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネ11:25〜26)Jesus said to her, “I am the resurrection and the life. He who believes in Me, though he may die, he shall live. 26 And whoever lives and believes in Me shall never die. Do you believe this?”

ヨハネ3:18 彼(イエス)を信じる者は、さばかれない。He who believes in Him is not condemned;
と書いているとおりです。

この姦淫の女性は、分かったのです。

① 彼女がどうしようもない罪人であること。② 裁きが遅かれ早かれ来ること。
そして、イエス様に直面し、イエス様に出会ったのです。

★行きなさい

10 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」 11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」10 When Jesus had raised Himself up and saw no one but the woman, He said to her, “Woman, where are those accusers of yours Has no one condemned you?” 11 She said, “No one, Lord.” And Jesus said to her, “Neither do I condemn you; go and sin no more.”

罪のないイエス様、ただ一人裁くことの出来る方が、行きなさい。いわば、「もう一度、新しく人生をやり直してご覧なさい。」と言われた。この女は、イエス様に出会いました。罪が赦されたのです。

これが、イエス様のあなたへのメッセージです。

私たちに人生のやり直しは、ききます。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(IIコリント5:17)Therefore, if anyone is in Christ, he is a new creation; old things have passed away; behold, all things have become new.

今日、イエス様と向き合ってみませんか?


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MR職人
MR職人さんからコメント
投稿日 2016-03-14 19:38

<罪>の解釈は難しいですね・・
逮捕されると<罪人>・・軽犯罪等で<無罪放免>になると過失・・
小生は無意識に多くの<小さな罪>を侵しているようです・・

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bokushi
bokushiさんからコメント
投稿日 2016-03-16 02:29

職人様
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか?
人の心には良心があるから、そこで判断するのが本来ですよね。でも、良心も日常的な罪になれて鈍ってしまうみたいです。。。
わたしも、毎日、神様の前にちいさいことからこつこつとの精神で生きていきたいと思います。。。。

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唐牛苹果園
唐牛苹果園さんからコメント
投稿日 2016-03-14 20:44

人間は生まれてから天寿を全うするまで必ず何らかの罪を起します。ですがそれは、自らの天寿を全うする時、即ち第一の死の時にその罪は許され、そして第2の死の時(己の死後約100年後、自分がそこにいたことも全世界の人から忘れ去られた時)、そもそもそこにあった罪そのものが無くなると私は思います。

http://matome.naver.jp/odai/2144064083405709301

↑の記事なんて、馬鹿げているか、人間は神なのか?とも受け取れる事例です。

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bokushi
bokushiさんからコメント
投稿日 2016-03-16 02:35

唐牛苹果園さん
コメントありがとうございます。
終身刑12回、禁錮3318年ですか。。。
それほどひどい罪だったということなんですね。アメリカならではの判決ですね。。。
しかし、聖書に「罪からくる報酬は死です、しかし、神からの賜物は永遠のいのちです。」とあります。罪には、人間界では、つける薬がないようです。
けれども、生きている間に、自分の罪に気づき、悔い改めるなら、必ず神は赦されると、そして、永遠のいのちがいただけるんだと、聖書に書いてあるんですよね。。。。
何か、リンクの、終身刑12回、禁錮3318年に永遠のいのちの反対の、永遠の裁きを連想させますね。。。
とにかく、今日一日を大切に生きたいと思います!
コメントありがとうございましたー

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