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北イスラエルの滅亡 A Trap of Idolatry

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もうすぐ帰国のともちゃんのため... もうすぐ帰国のともちゃんのために、セバスがカスタード・ブリオッシュという美味しい焼き菓子をつくってくれました。嬉しいともちゃんの笑顔。 えまちゃん家族とともちゃん。と... えまちゃん家族とともちゃん。ともちゃんは、天使のような二歳児えまちゃんとよく遊んでくれました。ちなみにお父さんは、天才ベーカリーです!!
2015年7月12日日曜日バイリンガル礼拝音声は、http://youtu.be/-6vxakpjOBw

Ⅱ列王記17:7,8 7
こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王パロの支配下から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、8 主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習に従って歩んだからである。

Ⅱ列王記17:12-18
12 主が彼らに、「このようなことをしてはならない。」と命じておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。13 主はすべての預言者とすべての先見者を通して、イスラエルとユダとに次のように警告して仰せられた。「あなたがたは悪の道から立ち返れ。わたしがあなたがたの先祖たちに命じ、また、わたしのしもべである預言者たちを通して、あなたがたに伝えた律法全体に従って、わたしの命令とおきてとを守れ。」14 しかし、彼らはこれを聞き入れず、彼らの神、主を信じなかった彼らの先祖たちよりも、うなじのこわい者となった。15 彼らは主のおきてと、彼らの先祖たちと結ばれた主の契約と、彼らに与えられた主の警告とをさげすみ、むなしいものに従って歩んだので、自分たちもむなしいものとなり、主が、ならってはならないと命じられた周囲の異邦人にならって歩んだ。16 また、彼らの神、主のすべての命令を捨て、自分たちのために、鋳物の像、二頭の子牛の像を造り、さらに、アシェラ像を造り、天の万象を拝み、バアルに仕えた。17 また、自分たちの息子や娘たちに火の中をくぐらせ、占いをし、まじないをし、裏切って主の目の前に悪を行ない、主の怒りを引き起こした。18 そこで、主はイスラエルに対して激しく怒り、彼らを御前から取り除いた。ただユダの部族だけしか残されなかった。
出エジプト記21:1-6 それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。2 「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

さて今週のお話しは、いよいよ北イスラエルが滅亡してしまう場面です。時は、BC722年。王は、ホセア王となります。しかし、アッシリアに捕らえ移され、国は滅びてしまいます。聖書は、その国の滅びた理由は、こうであるというところから学びたいと思います。現代のクリスチャンの私たち、特に日本人である私たちに非常に学ぶべきところが大きいと思っています。

★ 北イスラエル滅亡の原因は偶像礼拝にあった。Ⅱ列王記17:7,8

前にも話しましたが、そもそも、北イスラエルができたのは、ヤロブアムによってでした。そして、このヤロブアムが金の子牛をべテルとダンに作って祀り、神としました。
それというのも、ソロモンが妻たちの神々をイスラエルの中で礼拝させることを許したことからの影響があった。

金の子牛の由来; 出エジプト記32章で、モーセが山で神とあっている時に、民の不安をおさめるために、アロンが金の子牛をつくって、「これがあなたがたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」と言った。金の子牛信仰というのは、その時代からその地域に存在していたようだ。古く根強く残った人がつくった神であったのだ。それをヤロブアムがまた担ぎだしたということだ。

◎厄介な神観のすり替え The replacement of view of God; 

子牛をわざわざエルサレムに行って礼拝しなくても、地域で拝めるお手軽な地方の神とした。目に見えない神を見える神にした。
信仰とは、目に見えない事がらを確証させるもの。目に見えるなら、本来信仰はいらない。「神は、霊ですから、神を礼拝するものは、霊とまことによつて礼拝しなければなりません。」God is Spirit, and those who worship Him must worship in spirit and truth.ヨハネ4章24節

◎信仰のすり替えが起こっている The replacement of faith。。。。。
一体何のために礼拝するのか?

V12-18 にいろいろな神々が出てくるが、それらを人々が拝んだのは、豊穣、繁栄、安全を願ってのことであった。願いを持つことは、自然であり、悪いことではないが、
我々の神は、豊穣を願って拝む神ではない。拝むことと引き換えに、何かを得るのではない。私たちが、神の言葉に従い、神を愛して生きるなら、願わなくても豊穣が付いて来るのだ。命、健康、繁栄、農業的な豊かさ、安全、尊敬そのようなものがついてくる。

例) フィジーのリバイバル。。。国のリーダーが罪を悔い改め神に立ち返る。人々が悔い改める。今まで不作だった農地が豊かに実りだし、魚がいなくなった海に魚たちが戻ってきて大漁となった。90年代に話題になった出来事であった。

〇さまざまな神々との共存  v12-18
北イスラエルには、ヤロブアムだけではなく、様々な神々が拝まれていたようです。
V12-18にも書かれていますが、アシェラ像、金の子牛、天の万象(太陽、星、月), バアル、子どもをいけにえにするモレク。その他にまじない、占い。。。
もういろいろな神々が共存していた。しかも、まことの神、ヤハウェも民の意識の中ではそれらの神々とミックスされていた。

日本の霊的状態に似ているではないでしょうか。

北イスラエルのこの神々は、豊穣を願って祀られたものである。ご利益があるというので拝むのだ。

◎偶像礼拝とは

 1) 天地を創造した神が禁じている。出エジプト20:1-6

2) 人間のわがままの表れである。

  神よりも自分が大事になるとき、偶像礼拝の罪の陥ることを覚えておこう。今すぐに、自分の願いをかなえて欲しい。これが偶像礼拝の根の思いではないでしょうか。もしも、自分の夢や、願い、あるいは、問題や心配ごとが神様の存在よりも自分の中で大きくなってしまったら、それはもう偶像礼拝になっているのです。この問題さえ解決されたら、私は幸せになれるのに。。。私の夢がかなったら私は幸せになれるのに。。。という具合に、あなたの夢や問題があなたの気持ちを全て支配するようになります。本来は、神がともにいて下さったら、幸せであるはずです。。。

 3) 悪霊との契約関係である。 V35, 38 契約を結び。。。結んだ契約を忘れてはならない。。。。

人間が手でつくった木や、石、あるいは金が本当に神なのでしょうか。背後に霊がいるのです。もと僧侶の松岡先生が以前おっしゃっていましたが、仏像は、出来立ては、ありがたくないそうです。何10人もの僧侶が何日も拝み倒さないし、霊が入らない、ありがたくならないのだそうです。

すなわち、私たちが拝まなければ、その像は、何の力も持たないのです。しかし、あなたが手を合わせて、拝んだとき、あなたの人生と背後にいる霊と契約ができてしまうのです。
個人的な経験から、この契約を解除せずにいるなら、クリスチャンになっても成長が妨げらると言えます。

日本には様々な神々、八百万の神がいるとされているが、天地万物を創造した神は、世界にただ一人です。その方は人間の手でつくった住まいに住まわれるような方でもなく、毎日供え物を当てにする方でもありません。

★ 現在の私たちが学ぶべこと

北イスラエルは経済的にも政治的にも安定していた。しかし、霊的には、大きな神の怒りを積み上げていくこととなった。

ご利益をもとめて、悪霊と契約関係をいくつも持っていたイスラエルの民は、結局、自分の思うとおりの人生を生きたい、違う言葉で言えば、自分のエゴから、神をつくりあげ、それを拝むことで、それを実現させようというのです。
また、背後に働いている霊は、神の座を奪いたい。人間に崇拝させたいと思っているものたちですから、それをかなえてやるから、拝め拝めとやってくるのです。悪霊にとっては、人間に拝まれることがたまらなく好きなのです。
 一方、天地を創造された真の神は、私たちに拝むことを強要されません。また、拝むならよいものをあげようと言われる方ではありません。私たちの心が神に向けば、全てはついてくるのです。

◎ 福音。。。真の神様との契約とは信じることのみ

有名な新約聖書の箇所を開いて見ましょう。
ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。For God so loved the world that he gave his one and only Son, that whoever believes in him shall not perish but have eternal life.
福音は、ただ。神様の救いはただです。罪が赦されることも、天国にいけるようになることもただです。ただ、信じることが求められます。そして、心からの改心、悔い改めが必要です。そして、心が変わった人たちは、神様の大きな愛にふれられ、さらに変えられ、この神様に生涯ついていきたいと思うのです。これは、律法でなく、愛の生き方です。

偶像は、人のわがままの心のあらわれですが、天地を創造された神を信じて生きることは、愛に根ざすことなのです。




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