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十字架上の最後の言葉The 7 last words on the cross

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2015年3月29日日曜日バイリンガル礼拝音声は、http://youtu.be/irHRWrVLNuw

今日は、イエス様がいよいよ十字架に付けられましたところからお話ししたいと思います。イエス様は、散々鞭で打たれて、弱っておられました。もう十字架に付ける前に本当は死んでいてもおかしくないくらいに弱っていました。そして、他の犯罪人とともに十字架に付けられました。
そして、息を引き取るまでに七つの言葉を話されました。
ユダヤ文化では、数字や文字にも意味があります。7というのは、完全数です。完全に完成されたということです。
イエス様が話されたこの最後の七つの言葉に私たちに重要なメッセージを含んでいます。

① 赦しの大切さ

ルカ23:33-34
33 「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。When they came to the place called the Skull, they crucified him there, along with the criminals—one on his right, the other on his left. 34 Jesus said, “Father, forgive them, for they do not know what they are doing.” And they divided up his clothes by casting lots.
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」, “Father, forgive them, for they do not know what they are doing.”

イエス様は、罪もないのに、人々にあざけられ、リンチを受け、馬鹿にされました。名誉も尊厳もひったくれもありません。そのような時に、人を赦したのです。赦せないようなことがあったときに、赦したのです。
そして、この言葉は、全てを終えて、最後に赦すと言ったのではなく、まず第一に赦したのです。
これは、イエス様がこの地上に来られた目的がはっきりと示されているのではないでしょうか。

ヨハネ3: 17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。 For God did not send his Son into the world to condemn the world, but to save the world through him.
イエス様は、私たちがまだ罪人であるときに、このように取り成されました。この第一の言葉は、私たちに「赦し」の大切さを教えているのではないでしょうか。
私たちも赦すものとなりましょう。

② アイデンティティを自分のものにすること

ルカ23:42-43
そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」42 Then he said, “Jesus, remember me when you come into your kingdom.”43 Jesus answered him, “Truly I tell you, today you will be with me in paradise.”

「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」“Truly I tell you, today you will be with me in paradise.”

二番目は、隣にいた犯罪人がイエス様が御国に行かれたとき、思い出してくださいと言ったことに対しての言葉です。ここで、イエス様は、二つのアイデンティティについて騙っておられます。
まず、イエス様は、あなたに、イエス様を受け入れるなら、あなたもパラダイスにいるのです。ということを言われました。あなたは、地上に属するものではなく、永遠に属する、天に属するものとなるのです。ということです。
また、もう一つは、神の子としてのアイデンティティです。イエス様は、むごい肉体的、精神的虐待を受けました。身も心もぼろぼろだったはずです。普通なら、人と言うのは、ここで、自分の尊厳、アイデンティティを失いそうになりましす。しかし、イエス様は、このような状態で、罪人の一人として十字架刑にかかっているその場所で、隣の犯罪者に対して、「今日あなたは私とともにパラダイスにいる」と宣言できたのです。イエス様は、はっきりと、自分がどこから来て、何のためにきているか、自分の地上の目的をはっきりと知っていたからです。
もう一つのメッセージは、あなたは、自分の人生の意味を知っていますか? 自分のアイデンティティをしっかり持っている人は、このように強いのです。

③ 両親・家族を大切にすること

ヨハネ19:26-27
イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます」と言われた。27 それからその弟子に、「そこに、あなたの母がいます」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。When Jesus saw his mother there, and the disciple whom he loved standing nearby, he said to her, “Woman, here is your son,” 27 and to the disciple, “Here is your mother.” From that time on, this disciple took her into his home.

「女の方。そこに、あなたの息子がいます」“Woman, here is your son,”

イエス様は、ご自分が死ぬ前に、しっかりと、自分の母を自分の友達に託します。母のことをよろしく頼む。母よ、どうぞ、この人を自分の代わりと思って世話になってください。と。

みなさん、私たちの神は、家系の神です。アブラハム、ヤコブ、イサクの神とご自分を紹介される神は、家族、家系を大切にします。キリスト教になったから、家族の反対にあい、家族と断絶するのは神様の御心ではありません。産めよ増えよ、地を満たせと言われた神様は、あなたの家系全体を祝福したいと思っておられるのです。
イエス様のもう一つのメッセージは、神が大切にされているように、あなたの家族を大切にしなさいということです。

次の三つの言葉は、人間最大の三つの恐れに打ち勝つために語られました

④ あなたは、決して見捨てられない  恐れその一、人に見捨てられる・孤独

マタイ27:46
三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。About three in the afternoon Jesus cried out in a loud voice, “Eli, Eli, lema sabachthani?” (which means “My God, my God, why have you forsaken me?”)

「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」“My God, my God, why have you forsaken me?”

イエス様は、父なる神に見捨てられました。私たちの罪を身に背負い、人にも神にも罪人の一人として数えられたからです。イエス様は、黄泉、すなわち地獄の待合室まで下られたと書いてあるとおりに、この後死んで葬られるのです。
しかし、聖書には、「わたしは決してあなたを離れず、またあなたを捨てない」Never will I leave you; never will I forsake you.という言葉がありますね。
イエス・キリストが私の代わりに神に見捨てられたから、信じる私たちには、決して神様はお見捨てにならないのです。

私は、神様を信じる前、いつも友達や恋人、また職場の人たちに嫌われないように、捨てられないようにと恐れながら生きていました。しかし、神様を信じてから、そのような恐れから解放されました。たとえ、人が私を捨てても、神様は決してキリストによって、私をお捨てにはならないからです。

⑤ 霊の渇きからの解放   恐れその二、不足・不満

ヨハネ19:28
この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。Later, knowing that everything had now been finished, and so that Scripture would be fulfilled, Jesus said, “I am thirsty.”

「私は渇く」“I am thirsty”

イエス様は、初めから父なる神様とおられた方です。いつも愛、喜び、平安で満たされていました。私が、初めてクリスチャンになって思ったことは、「わーーなんて、全てが美しいんだろう。全てをいとおしく感じる。」「クリスチャンになる前の生活を考えると、まるで空気の無いところで生きているかのように、苦しく感じる」と思いました。愛、喜び、平安に満たさされる経験をしたからでした。

イエス様は、逆を行かれたわけです。空気のある世界から、無い世界へ。。。今まで渇いたことのない、霊が渇いたのです。そして、「私は渇く」と叫ばれたのです。
人間というものは、いつも将来について心配しています。明日食べものが十分にあるだろうか、着る物、住むところがあるだろうか、将来の仕事、幸せが来るだろうかと、いつも何かが足りないことを心配して生きているのではないでしようか。
イエス様は、究極の飢え乾きを体験しました。精神的にも、肉体的にも、霊的にもその渇き、足りなさは、限界を超えていました。

それは、私たちが二度と渇くことが無いために、イエス様が渇きを体験してくださったのです。誰でも、イエス様のところに繰るならば、その人は二度と渇くことがないのです。イエス様を信じる者には、二度と渇くことの無い生ける水の川が腹から流れ出るようになるのです。不足、不満はなくなるのです。

⑥ 義のための代価は払われた   恐れその三、変わることが出来ない、どうしようもない自分

ヨハネ19:30
イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。When he had received the drink, Jesus said, “It is finished.” With that, he bowed his head and gave up his spirit.

「完了した」”It is finished”

何が完了したのでしょうか。それは、罪が赦されて、神に義・正しいもの、罪の無いものとみなされるための、いわば、罪の負債を帳消しにするための代価をはらいきった。ということです。
人間のもう一つの恐れは、自分が変われないこと。自分のどうしようもなさです。
イエス様は、この不可能を可能にされました。心の変革、生き方の変革を可能にされました。
本当は、私たちは、滅び行く罪人でした。本当は、罪人なのですから、イエス様が受けた罰を受けて地獄に行くべきものだったのです。地獄行きをまぬかれるには、いわば莫大な保釈金を払わなければいけないのです。そのいわば保釈金、罪の代価をイエス様は、十字架の死で全て払ってくださったのです。永遠の死から永遠のいのちへ変換されました。死から命に変わるのです。不可能が可能になったのです。そうすれば、どんなにあなたが難しい人でも、キリストにあって、キリストに従うならば、すっかり帰られることが出来るのです。ここに私たちの人生の希望があります。
イエス様は、完了したと言われます。あなたも、変われます。と言われているのです。

そして、最後に生き方の奨めをされました

⑦ 神に委ねた人生の奨め 

ルカ23:46
イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。 Jesus called out with a loud voice, “Father, into your hands I commit my spirit.” When he had said this, he breathed his last.

「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」“Father, into your hands I commit my spirit.”

イエス様の最後の言葉となりました。いよいよ息を引き取る際に言われました。わが霊を御手にゆだねます。と。人間の一番の恐れは、死に対する恐れです。みんな、お金持ちになるために一生懸命働きます。そして、富を得た人の次の願いは、死なないことです。将来の医療の発達を信じて、たくさんのお金をかけて死んだ体を冷凍にする人もいます。

イエス様は、完全にご自分の霊、全存在を神様の御手にゆだねました。そして、黄泉にくだられるのです。しかし、もうすぐイースター・復活祭ですが、3日後に蘇られます。永遠なる方が、死になど繋がれることはないからです。
それは、誰でもこの復活のキリストを信じるならば、永遠のいのちが与えられるようになるからです。イエス様は、死ぬことさえ、惜しみませんでした。それほど、父なる神を信頼していたのでした。イエス・キリストを信じている人の強さは、死に対する恐れがないことです。死の向こうには、永遠のいのちが待っているからです。
ですから、昔、日本でも、キリスト者の迫害があり、踏み絵などで、つかまった人が殺されましたが、みな、輝いて死んで行ったと記録されています。

しかし、私たちの霊を神様にゆだねる、ということが必要になります。

もうすぐ来週は、イースター・復活祭ですが、復活祭のときの聖書の言葉に次のような言葉があります。
ヨハネ11:25, 26 今、生きていて私を信じるものは、死んでも生きるのです。And whoever lives and believes in Me shall never die.

死んでも生きるのイースターを日常化するにはどうしたらいいのでしょうか。それは、自我に死ぬことです。私たちは、生きれば生きるほど、人生の困難の中心は、自分自身であると気づきます。自分の内側が難しいので、物事がうまく行かず、幸せや満足感が薄い。。。。イエス様は、自分の全てを父なる神にお渡ししまた。生きるも死ぬも、あなたのものです。どうぞ、好きなようにしてください。とお任せになりました。
私たちも、自分の夢、自分のやり方、自分自分と言う思いをおいて、神様のやり方に委ねるときに、命を体験し、自由になるのです。

永遠のいのちの入り口がここにあります。永遠の命は、日々の生き方です。心を決めて、神様に全てをゆだねて、イエス様を信じませんか?

さあ、イエス様からの最後の七つのメッセージ、
一番大切なこと、赦すこと、あなたのアイデンティティをしっかりもつこと。
そして、家族を大切にすること。
三つの恐れからの解放の約束。
そして、生き方の奨めでした。

もうすぐイースターこれらのことを黙想しながらお迎えしたいと思います。



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MR職人
MR職人さんからコメント
投稿日 2015-03-31 08:45

日本では、言葉が先行し・・<イースター>が、日常化~認知されていませんね・・

ワオ!と言っているユーザー

bokushi
bokushiさんからコメント
投稿日 2015-04-02 02:29

いつもよく読んでくださってありがとうございます。
日本にも、イースターと言う言葉が最近入っているようですね。日本では、クリスマス、ハロウィンなども入っていますものね。ハロウィンは、キリスト教とは全く関係ないんですが。。。
いつも、留学生たちにクリスマスやイースターの本当の意味を説明すると感謝されます。

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