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イエスの十字架 Sins and Redemption

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2014年8月24日日曜日礼拝 音声はhttp://youtu.be/PWfEayp-CBU

聖書箇所

マルコ15章1-41

夜が明けるとすぐに、祭司長たちをはじめ、長老、律法学者たちと、全議会とは協議をこらしたすえ、イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した。2 ピラトはイエスに尋ねた。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」イエスは答えて言われた。「そのとおりです。」3 そこで、祭司長たちはイエスをきびしく訴えた。4 ピラトはもう一度イエスに尋ねて言った。「何も答えないのですか。見なさい。彼らはあんなにまであなたを訴えているのです。」5 それでも、イエスは何もお答えにならなかった。それにはピラトも驚いた。6 ところでピラトは、その祭りには、人々の願う囚人をひとりだけ赦免するのを例としていた。7 たまたま、バラバという者がいて、暴動のとき人殺しをした暴徒たちといっしょに牢に入っていた。8 それで、群集は進んで行って、いつものようにしてもらうことを、ピラトに要求し始めた。9 そこでピラトは、彼らに答えて、「このユダヤ人の王を釈放してくれというのか」と言った。10 ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである。11 しかし、祭司長たちは群集を扇動して、むしろバラバを釈放してもらいたいと言わせた。12 そこで、ピラトはもう一度答えて、「ではいったい、あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよというのか」と言った。13 すると彼らはまたも「十字架につけろ」と叫んだ。14 だが、ピラトは彼らに、「あの人がどんな悪い事をしたというのか」と言った。しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫んだ。15 それで、ピラトは群集のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した。16 兵士たちはイエスを、邸宅、すなわち総督官邸の中に連れて行き、全部隊を呼び集めた。17 そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、18 それから、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と叫んであいさつをし始めた。19 また、葦の棒でイエスの頭をたたいたり、つばきをかけたり、ひざまずいて拝んだりしていた。20 彼らはイエスを嘲弄したあげく、その紫の衣を脱がせて、もとの着物をイエスに着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。21 そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。22 そして、彼らはイエスをゴルゴタの場所(訳すと、「どくろ」の場所)へ連れて行った。23 そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。24 それから、彼らは、イエスを十字架につけた。そして、だれが何を取るかをくじ引きで決めたうえで、イエスの着物を分けた。25 彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。26 イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。27 また彼らは、イエスとともにふたりの強盗を、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。28 (異本)「こうして『この人は罪人とともに数えられた』とある聖書が実現したのである」29 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。30 十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」31 また、祭司長たちも同じように、律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。「他人は救ったが、自分は救えない。32 キリスト、イスラエルの王さま。今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった。33 さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。34 そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。35 そばに立っていた幾人かが、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言った。36 すると、ひとりが走って行って、海綿に酸いぶどう酒を含ませ、それを葦の棒につけて、イエスに飲ませようとしながら言った。「エリヤがやって来て、彼を降ろすかどうか、私たちは見ることにしよう。」37 それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。38 神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。39 イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった」と言った。40 また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。イエスがガリラヤにおられたとき、いつもつき従って仕えていた女たちである。このほかにも、イエスといっしょにエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。

今日の聖書箇所を皆さんで輪読しましょう。

★妬み・群集心理…罪

V1夜が明けるとすぐに、祭司長たちをはじめ、長老、律法学者たちと、全議会とは協議をこらしたすえ、イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した。Immediately, in the morning, the chief priests held a consultation with the elders and scribes and the whole council; and they bound Jesus, led Him away, and delivered Him to Pilate.

ユダヤ人たちは、イエス様を殺すことにしたかった。そして、当時は、ローマに支配されていたので、自分たちだけでは、死刑にできないので、ローマの総督ピラトのところにイエス様を連れて行ったのです。しかし、ピラトが尋問しても、イエスに死刑に値する罪は見当たらなかった。

皆さん、罪には刑罰が伴いますね。イエス様には、何の罪も見当たりませんでした。大変興味深いことに、実際に十字架の死に追いやったのは、祭司たち/宗教者たちでした。そして、その理由は、妬みからでした。イエス様は、大工の息子でありながら非常に権威があり、様々な奇跡をなし、自分たちの知らない御国の価値観を語り、多くの人々がイエス様を慕い、ついて行きました。イエス様は、一躍時の人でした。
祭司長たちの妬みは、人を殺すほどでした。

みなさん、妬みというのは、それほど強いものです。そして、妬みは必ず劣等感inferior complexの裏返しです。
私はクリスチャンカウンセリングをしますが、妬みの問題については、非常に注意深く取り扱います。妬みが強い人は、非常に解放に時間がかかります。とても根が深いのです。また妬みは、人を強く憎む傾向があります。それと同時に、自分の人生を好きにはなれません。大きな問題です。

聖書の中でも、十戒にもちゃんと書いてあります。出エジ20:17 「…すべてあなたがたの隣人のものを欲しがってはならない。」“You shall not covet your neighbor’s house; you shall not covet your neighbor’s wife, nor his male servant, nor his female servant, nor his ox, nor his donkey, nor anything that is your neighbor’s.”

また、聖書の一番初めに起きた殺人は、妬み故でした。カインとアベルの兄弟話し。創世記4章。カインがアベルを妬みから殺した。

妬みは、自分が相手の立場だったら良いという思いです。ですから、相手を殺してまで、その人の地位を取りたいという思いなのです。あなたがそれに気がついていようといまいと、そのように命を殺す力があるのです。

ピラトは、何とかこの罪の無いイエスを助けようと試みました。当時、過ぎ越しの祭りの日に、罪人を一人恩赦する慣わしとなっていたのをとって、イエスを釈放しようとしました。

V10 ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである。For he knew that the chief priests had handed Him over because of envy.11 But the chief priests stirred up the crowd, so that he should rather release Barabbas to them.

V11-15しかし、祭司長たちは群集を扇動して、むしろバラバを釈放してもらいたいと言わせた。12 そこで、ピラトはもう一度答えて、「ではいったい、あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよというのか」と言った。13 すると彼らはまたも「十字架につけろ」と叫んだ。14 だが、ピラトは彼らに、「あの人がどんな悪い事をしたというのか」と言った。しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫んだ。15 それで、ピラトは群集のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した。12 Pilate answered and said to them again, “What then do you want me to do with Him whom you call the King of the Jews?”13 So they cried out again, “Crucify Him!”14 Then Pilate said to them, “Why, what evil has He done?”But they cried out all the more, “Crucify Him!”15 So Pilate, wanting to gratify the crowd, released Barabbas to them; and he delivered Jesus, after he had scourged Him, to be crucified.

祭司長たちの世論操作は、相当のものでした。群集は、イエスを十字架にかけろ、極悪人バラバを釈放しろと要求しました。とうとう、ピラトは、群集からの人気を失いたくないので、イエスを十字架に掛け死刑にすることに決めます。

ここに、群集心理と言うものも、大きく働いています。人と言うのは、多くの人を敵に回したくないと、長いものに巻かれる、大勢の人の言うことに流されるのです。日本では、特にそれが多いのではないのでしょうか。人がどう思うか。それよりも、真理、真実に基づいて、ぶれない生き方をしたいものです。

★イエス様の反応

V5 それでも、イエスは何もお答えにならなかった。それにはピラトも驚いた。But Jesus still answered nothing, so that Pilate marveled.

全てを自分たちの思うがままに、操作をする祭司長たちとは、違い、イエス様は、自分で自分を正当化することも、守ることもありませんでした。ただ、黙り、もくもくと耐えておられました。

V23そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。 Then they gave Him wine mingled with myrrh to drink, but He did not take it.

あまりにも、痛みが激しく弱っていくイエス様に、没薬を混ぜ打ぶどう酒を飲ませようとしました。これはには、 麻酔の働きがあったからです。しかし、イエス様は受け付けなかった。それは、人の罪の刑罰の痛みを和らげることなく、そのまま受けるためであった。

神の御心に従う姿。神の良い計画に完全に信頼する姿。

人におとしめられたとき、このように神に信頼することができたらと思います。最終的に勝利させてくださる神に完全によりかかることができたら。

★傍観者たちの態度 ののしる人々

V29-32道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。30 十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」31 また、祭司長たちも同じように、律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。「他人は救ったが、自分は救えない。32 キリスト、イスラエルの王さま。今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった。And those who passed by blasphemed Him, wagging their heads and saying, “Aha! You who destroy the temple and build it in three days, 30 save Yourself, and come down from the cross!”31 Likewise the chief priests also, mocking among themselves with the scribes, said, “He saved others; Himself He cannot save. 32 Let the Christ, the King of Israel, descend now from the cross, that we may see and believe.”Even those who were crucified with Him reviled Him

十字架に掛けられるイエス様を見ている人たちは、イエス様をののしりました。自分たちに分かるように、自分を救って見せろと言いました。そうしたら信じてやると。
繰り返し言いますが、そのような態度の人たちには、神様からのしるしはありません。信仰のないところに救いは、ありません。分かるようにやって見せろではなく、信じる心が大切なのです。私たちは、いくら、このストーリーを知っていても、教会に足を運んでも、聖書を読んでも、傍観者であるかぎり、救いは体験できないのです。

十字架の傍観者ではなく、信じる者になりましょう。

★十字架を耐え忍び、死んだイエス様 … 贖いの完成

V37-38 それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。38 神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。And Jesus cried out with a loud voice, and breathed His last.38 Then the veil of the temple was torn in two from top to bottom.

他の聖書の箇所では、イエス様は、「完了した」It is finished! と叫ばれて死なれました。それは、贖いの業が終わった! 完成したということでした。しかし、なぜ罪の全く無い方が死ななければいけなかったのでしょうか。

イエス様の十字架の死は、あなたの罪の身代わりの死です。誰でも、罪ある者は、神様との交流を絶たれています。しかし、罪が取り除けられるならば、神様との交流が回復します。それだけではなく、永遠の命が与えられ、地獄ではなく、天国に入ることができます。

聖書に、ロマ6:23「罪からの来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠の命です。」For the wages of sin is death, but the gift of God is eternal life in Christ Jesus our Lord. 

ヘブル9:27,28「そして、人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることとが定まっているように、キリストも多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、…」And as it is appointed for men to die once, but after this the judgment, 28 so Christ was offered once to bear the sins of many.

とありますが、誰でも、自分の罪をイエス様が背負ってくださり、十字架で自分の罪と一緒に死んでくださった。すなわち、罪を贖ってくださったと信じるならば、赦されるのです。死後の捌きを免れるのです。

今日読んだとおり、イエス様は非常に苦しまれました。恥をかかされました。痛めつけられ、馬鹿にされました。誰でも、イエス様を信じるならば、どんな罪も赦されない罪はありません。また、ぬぐわれない恥はありません。癒されない病はありません。乗り越えられない苦しみはありません。

ただし、その罪の赦しを得るのは、私の罪もイエス様の十字架とともにつけられたと信じる人です。

あなたも、この十字架にかかられたイエス様を信じませんか。


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MR-職人
MR職人さんからコメント
投稿日 2014-08-27 16:09

<妬み~僻み>等の行為は、大嫌いなので極力避けています。
難しい世の中ですが、他人に惑わされないよう配慮してマイペースで前向きに生活すよう気をつけています。
今整理していた小一の日記の中で、母親に聖書を買ってもらい<うれしくてすこしよみました>と、書かれていました。

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bokushi
bokushiさんからコメント
投稿日 2014-08-28 01:34

MR.職人様
小学校一年生ですでに日記をつけられていたんですね。若いときから聖書に親しまれていたんですね。
これからも、どうぞ聖書を読んでくださいね。

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