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最高の礼拝 Superb worship

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2014年8月17日日曜日礼拝 音声はyoutube からhttp://youtu.be/Jf8oXDWUCc8 

聖書箇所

マルコ14:3-9

イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。4 すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。5 この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。6 すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。7 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。8 この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。
9 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

先週、礼拝とは、イエス様の愛に感動して応答するものだ。イエス様の愛ありきの礼拝だということをお話ししましたね。

今週は、いよいよ、イエス様が捕らえられ連れて行かれる場面でした。14章の初めにも記されているとおり、もういつ捕らえられるかという緊張感の中にイエス様も弟子たちもいたのではないでしょうか。今日は、有名なナルドの香油を捧げた無名の女の話ですが、これが起きたのは、V3 らい病人シモンの家でした。

★どうしようもない私のところに来てくださるイエス様

今まで、読んでいてあまり気がつかなかったのですが、イエス様は、ご自分が捕まえられ、殺されるかも知れない時にも、病人の家を訪問しておられたのです。しかも、らい病人です。当時は、汚れたものとされ、誰も尋ねない家です。友達や家族から引き離されることも当然のことでした。また不治の病でしたから、どんどん進行する病気にどんなにか恐怖を感じていたことでしょうか。そのシモンの家をイエス様は訪れたのです。そして、ここが最高の礼拝の舞台となりました。

今日のお話しは、まさか、この人が神様を喜ばせることはできないだろう人々が思うような、二人の人物が中心になっているのです。らい病人というのは、当時の社会の敗者であり、どうしてもそこから這い上がることはできない立場でした。また、この名も記されていない女性は、イエス様に七つの悪霊を追い出された売春婦だとも言われていたり、またベタニヤのマリアであるとも言われています。いずれにしても、女性というのは、当時まったく身分の無い存在でしたから、まさか、この人が偉大なことをするとは考えられないことだったのです。

イエス様は、あなたのところに訪れてくださいます。たとえあなたが、人生のどん底にいようと、友達がいなくても、心の中に暗闇があっても、イエス様はあなたを探し出して、訪れてくださるのです。このイエス様を受け入れましょう。

★ナルドの香油 

らい病人シモンの家で、イエス様が食卓についているとき、一人の女が入ってきました。非常に高価なナルド油のつぼを持っていました。彼女は、それを割って、イエス様の頭に注ぎました。
この女性がなぜこのようなことをしたのかは、はっきり書かれてはいません。しかし、イエス様はりっぱだと誉められました。イエス様がりっぱだと誉められた人は、あまりいませんでした。百人隊長とカナン人の女くらいだった。

非常に高価な香油 … この香油は、三百デナリするものでした。人が一年働いた分くらいの金額です。

贈り物と愛… 贈り物というのは、相手を想って捧げられるもの。贈り物を見たら、送り手がどれほど相手を想っているか、また相手を知っているかが良く分かる。昨日は、エリックの誕生日でした。エリックは韓国料理が好きなので、韓国料理の店に連れて行きました。また日本語を習いたいので、CDのセットを前々から買って用意しました。相手を知っているから欲しいものが分かるのです。愛がそうさせます。また贈り物は、相手にふさわしいものを送ります。誰も天皇陛下にプレゼントするのに、その辺のお菓子をプレゼントする人はいません。値段も高くて良い品物を選ぶはずです。
この女性は、最高級の香油をイエス様に捧げました。愛の現れであり、高価な捧げ物でした。

イエス様のメッセージへの応答であった… イエス様は、ご自分が捕らえられ殺されることを三回は弟子たちに話している。弟子たちには、全くこのメッセージが心に入っていなかった。彼らの心は、自分たちのことでいっぱいであったからです。誰が一番出世するか、イエス様が政治的にイスラエルを治めてくれるのかなどといったことで頭がいっぱい。
しかし、この女性にとっては、もうすぐ捕らえられて殺されるイエス様に最高のものを捧げたかったという愛があった。
この行為は、埋葬の準備となり、また救い主である、彼女の心の王として認める油注ぎであった。

この香油は非常に高価な香油であるため、少しだけを使ってもよい香りがするものである。彼女は、つぼごと割って注いだので、その香りは、家全体に広がり、また、イエス様がゲッセマネで血の汗を流して祈られた時も、十字架を背負って歩かされた時も、十字架にかかられたその時もきっと香っていたに違いない。この女の捧げものが、イエス様の心をいかに慰めることとなっただろうか。

★弟子たちの反応

4 すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。5 この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。

◎宗教との対立

弟子たちは、憤慨します。「高価な香油を無駄にしたと言った。」弟子たちには、イエス様の香油に勝る価値が見出せていなかった。イエス様の傍にはいたが、イエス様のことは理解してはいなかった。

弟子たちには、貧しい人に施すために売ったほうが、宗教的に正しいと見た。

しかし、イエス様は、言われた、。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。7 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。8 この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。
9 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

弟子たちは、神を喜ばせることを追及しようとしていた。宗教は、自分が神を助けることができると勘違いさせるものである。それは、行い重視するあまりに、目的と方法が逆転してしまうのです。

この女は、自分にできる最高の礼拝をイエス様に捧げたのでした。それは、頭で考えて、何が一番無駄がなく、神が喜ぶか考えたものではありません。

ただ、いつものように人からのけ者にされているらい病人シモンの家に訪れているイエス様、もうすぐいなくなっていしまうイエス様に対して、最大の愛を表現したのです。

最高の捧げものをしました。イエス様ご自身を喜び、愛していたのです。
神を喜ばせることが礼拝ではなく、神を喜ぶことが礼拝である。 弟子たちは貧しい人にその大金を施した方が神様は喜ぶと考えた。しかし、イエス様は、この女の礼拝をりっぱだと誉めた

あなたが神を喜ぶときに、最高の礼拝を捧げることができる。

★福音の行くところどこにでも 

世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

礼拝は切り離せない。神ご自身を喜ぶことは切り離せない。これから、聖霊降臨後、福音宣教がどんどん広がります。弟子たちは、イエス様に対する愛ゆえに犠牲を払って、外国に出ていきます。その最高の捧げ物・犠牲が無ければ、イエス様の愛への応答がなければ、福音宣教は進まなかった。イエス様を愛して、最高のものを捧げるという行為が、福音宣教を前進させるのです。

福音には、このような礼拝が要求される。福音には、そのような価値がある。


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